放課後、教室に一人残る。既に他の生徒の姿はなくて、独りぼっちの空間は夕陽が差し込んで蜂蜜色だった。

「書けん……」

目の前に置かれた紙を睨む。『進路希望調査』と書かれたそれは、未だに真っ白だ。

何となく将来のビジョンを想像することは出来るのだが……物凄くあやふやで、進路とか将来の夢などと定義づけて書いて良いものなのか、若干不安なのである。

「はぁ…………」

脱力して机に突っ伏すと、私の下で藁半紙がクシャリと皺になった。




「まだ帰らないんですか?」




突然降ってきた声。
視線を上げると、似非紳士こと柳生が、私を見下ろしていた。 
 
「……何か用?」
「いえ。たまたま通りかかっただけです」

紳士とは到底呼べないような無機質な表情で、サラリと言ってのける。暇人め。

「おや、まだ書けてないんですか?」

私の下敷きになった紙を指差して、柳生が言った。馬鹿にしたような視線も忘れない。
カチンときたが、無言で頷く。言い返す元気もなかった。

「あ、あの……仁王さん?」

私が挑発に乗らなかったことが相当衝撃的だったのか、柳生が狼狽し始める。大丈夫かこいつ。

「……頭でも打ちました?」
「阿呆」

物凄く投げやりに返しただけなのに、柳生が安堵の表情を浮かべるから、何か複雑な気分だった。 
 
「……柳生は進路どうするんじゃ?やっぱ医者になるんかの?」

柳生が帰る気配がしないので、何となく訊いた。

「……取りあえず、進路としては医学部への進学ですね」
「ふぅん…………あ、」

ようやく紙にペンを滑らせたのに、柳生に阻まれた。

「何?邪魔せんで」
「……仁王さん。貴女、いつから医療関係に進路を変えたんですか?」
「……別に変えとらんよ」
「じゃあ、この『医学部進学』って何です?」

紙を取り上げられ、その部分を柳生が指差す。
……私は何も言えない。

「あのですね……これには私の進路じゃなくて、貴女の進路を書くんですよ?真面目に書きたまえ」

私の手首を掴んで、まるで小さい子供を叱るみたいに言う。

「仁王さん」
「…………書けんもん」
「はい?」
「無理。柳生みたいにハッキリ言えん。書けん……」

これ以上言ったら泣いてしまいそうで、柳生から顔を逸らすように俯いた。

部室棟から、外れたトランペットの音が聞こえた。 
 
「……言っておきますけど、私みたくハッキリ進路が決まってる人間なんて、ほんの一部ですよ?」
「ぇ…………」

あまりに予想外な言葉にポカンとしてしまう。
手首を掴む力が強くなった。顔を上げると、柳生が何やら真面目な顔でこちらを見ていて。

「明確に書こうとしなくて良いんです。どんな分野に進みたいか分かれば良いんですから」
「柳生…………」

「私は私、貴女は貴女です。焦る必要なんてありません。貴女の将来なんです……ゆっくり決めれば良い」

やがて手首を掴んでいた手が、両手で私の手を包む。心なしか、その声が優しく聞こえた。 
 
「……………………何です、その顔」

眉間に皺を寄せ、柳生が訝し気に私を見る。

「いや…………」
「何ですか」
「柳生が、優しい…………」
「─────っ!!!!」

いきなり赤くなった柳生が、私から顔を背ける。バッと両手を離し、こちらを睨む。

「……貴女のせいですよ」
「は?何でウチのせいになるんじゃ」
「…………貴女が、」
「ウチが?」
「…………」
「………………………」
「………………………………………………やっぱり何でもないです」
「何それ!ずるい!」

起き上がって奴に詰め寄る。すると、うろたえたように後退りする柳生。



「貴女やっぱり頭打ったでしょう!?どっかで!!」



柳生の意味不明な絶叫が、下校を促す放送と重なった。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
私が担任に進路希望調査書を提出した時には、空に夕闇が迫っていた。
職員室を出ると、当たり前のように立っている柳生。

「遅いです」
「先に帰っとったら良かったんに……何で律儀に待っとるんじゃ」
「もう暗いですからね。女性の独り歩きは危険です」
「……万が一、ウチが襲われて色々ややこしいことなって、試合に出れんくなるんが嫌なだけじゃろ」
「そうとも言いますね」
「いっぺん死んでこいや似非紳士!!」

いつものように噛み付くと、キュッと柳生の目が細まった。

「帰りましょう、仁王さん」
「おん……」

それが奴が笑ったんだと気付いた時、私の左手に奴の右手が絡み付いた。







Strada






(……やはり貴女はその方が良い)
(何か言ったがか?)
(別に何も)














『捻くれた彼のセリフ』
確かに恋だった様より


2013.1.2
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