キスをする前、必ず唇を指でなぞられる。細くて冷たい指が俺の唇をなぞる度、ああ、キスをされると思うのだ。

「あー…雨降るなんて聞いてねえ」
「そんなに口を開けて、間抜けな面が更に間抜けに見えるぞ」
「うるせえ。なあ傘借りてってもいいか?」

前日恋人である元就の家に泊まりに来た。一泊して、さて帰らなければと窓の外を見たら見事に雨が降っていた。激しい雨という訳ではないが、傘がなければ濡れてしまうだろう。濡れるのはごめんだ。風邪をひく訳にもいかないし。

「もう一泊していくか?」
「無理だ。明日俺一限から授業」
「我は三限のみだ」
「いやいや、テストもあんだよ。俺は帰るぞ」

立ち上がろうとした瞬間、腕を引かれた。いつもならさっさと帰れと言うくせに、今日はやけに引き下がるというか、甘えてくるというか。
残念ながら可愛いとは思えない。何故ならこいつが俺を求める時は大体良からぬことを考えているからだ。

「…何考えてやがる?」
「首筋。明日そのまま大学に行くつもりか? 我は構わぬがな」
「首…? まさかてめえ! 見える所に跡付けんなって言ってるだろうが!」

近くにあった鏡で自分の首筋を見ると、そこにはくっきりと赤い鬱血の跡が一つ二つ三つ。自慢じゃないが俺は人より色素が薄いせいでこういった類いのものはいやに目立ってしまう。
跡を漬けた張本人をじろりと睨むと、愉快そうにくすくすと小さく笑っていた。普段は滅多に笑わないくせに。

「抱かれている時気づかぬそなたが悪い」
「…帰る。傘借りてくからな」
「待て、元親」

急に真面目な声で呼び止められるもんだから、玄関に向かう足は立ち止まってしまった。
振り向いた瞬間、唇に冷たい感覚。細い指がすす、と俺の唇をなぞる。存在を確認するように、ゆるく、優しく。
これはキスをされるな。そう思い目を閉じる。くすぐってえな、早くキスするならしてくれよ。
漸く、指が離れた。

「…?」

しかしいつまでたっても交わされる筈のキスが来ない。いつもならすぐにされるのに。おかしいと思い目を開けると、先程より更に愉快そうに、満足そうに笑う元就の姿が見えた。

「な、何笑ってやがる!」
「パブロフの犬…」
「はあ? 何だ?」
「フフ、何でもないわ。さあ、さっさと帰るが良い。傘は玄関先にある」

滅多に見せない笑顔を浮かべながら元就は自室へと戻っていってしまった。最後に呟かれた言葉の意味は、一体。

(…後で聞くか)

質の良い傘を一つ借り、俺は自宅へと帰っていった。元就の言った聞き慣れぬ言葉の意味を知るのは、少しだけ後の話である。




パブロフの犬




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