知人の開いた個展のチケットが二枚あったから承太郎を誘ったら最初は面倒そうな反応を示した。他に誘う人がいないんだと伝えるとどこか嬉しそうな顔を一瞬だけ見せて結局は着いて来てくれた。仕方なくでも着いて来てくれる承太郎はきっと優しいのだろう。ぶっきらぼうな優しさにいつも甘えている、承太郎の事が好きだと甘える度に思った。個展の開かれてる小さなアトリエで作品を眺めていると、あるひとつの作品の前で歩みが止まる。それは単色で描かれていた。黒と白だけ、濃淡はあるけれど使われているのは恐らく一色のみ。それなのに光も影もどの作品よりも鮮やかに目に焼き付いた。描かれているのはひとりの女の人の立ち姿と背景には一軒家の家屋。作品の小さな説明書きを見ると妻の肖像画、と書かれていた。背景に描かれている家屋は恐らく作者とこの奥さんの住まいなのだろう。白黒のみなのに表情からも全体の雰囲気からも温かいものが伝わって来て幸せなのだろうとそう感じずにはいられなかった。


「もう全部観れたか?」

見下ろしてくる視線に気付き黙って頷くと、承太郎はスタスタと出口へ向かって歩いて行った。元より興味がないだろうに僕の気の済むまで待っていてくれた事を思うと嬉しくなった。後を追う前にもう一度だけその作品を見直した。果たしてあんな風に描くことが僕には出来るだろうか?

「楽しかったか?」

「…楽しかったよ」

「……眠くなった。帰ったら寝る」

「ふふ、そういう正直なところ好きだよ」

その言葉には返事は帰って来なかった。表情を覗き込むとぱち、と一瞬だけ確かに目が合ったのにすぐに愛用の学帽を目深に被り直して目元を隠してしまった。承太郎は僕が承太郎を好きだと知っている。迷惑かと確かめたら迷惑な筈はないとそう言われた。側にいる事はいつの間にか当たり前になっているけど、手を繋ぐ勇気はまだなかった。着かず、離れず、そう言うのか?よく今の状況は分からなかった。それでも隣にいるだけで幸せだから問題はない。今僕が承太郎の絵を描いたら何色が一番しっくりとくるのだろう。



透明水彩の紅色を白いパレットの上に並べる。緋色と言うべきか朱色と言うべきか、神経を苛烈に波立たせ落ち着きに欠け、躍動に溢れた色が並ぶ。その鮮烈な赤で筆を滑らせてこっそりとスケッチした彼の後ろ姿を、全て烈々とした朱を被せて単色塗りにしていく。影や光は濃淡のみで表現する。後ろ姿からでも伝わる強固な意志の強さ、己の信念の為になら何物をもねじ伏せ兼ぬ力は表現出来たかもしれない。でもそれだけではまだ何かに欠ける、彼の全てではない。

今は僕の膝の上で寝顔を見せている承太郎の顔を覗き、再び鉛筆の方を手に取り新しいスケッチブックの紙に曲線を描いた。失敗した訳ではないけれど納得も行かずにもう一枚、描きたくなってしまった。疲れているのかぐっすりと眠りに落ちている承太郎の鼻筋から頬まで、比率を正し丁寧に輪郭を縁取り、交差する線で面を作り質感を刻み込む。今のこの瞬間は何色が似合うのだろう、緑だろうか。剣が削がれて安堵し切ったかのようなその表情を色で例えるなら緑、その瞳は閉じられているけれど透き通り光を反射させる宝石のような緑をしている。僕の好きな色だ。昔から僕の側に居て僕を守り唯一の友達であったハイエロファントの色でもある。森の奥の湖に浮かぶ蓮の葉のように、その色はささくれ立った神経を優しく休ませてくれる。先程と同じように緑の濃淡のみで全て塗り終え全体を見渡す、それでもやはりまだ足りないと思う。スケッチブックから一枚紙を外してテーブルの上へと置いた。

角度を変えて次はやり辛いけれど承太郎の横顔の輪郭を取る。連続で描き続けて流石に疲れてきたから鼻筋から顎、そして首の喉仏までを描き後は綺麗に閉じられた瞼と長い睫毛だけを描き込んだ。髪まで丹念に描き表す余力が残っていない。仕方が無いから続きは明日にしようと、淡く冷たい氷のような青だけをさらりと被せた。荒く塗られた色彩はまるで抽象的に侮蔑の青を表してるようにさえ見えた。下衆を見下ろす時の承太郎の冴え冴えとした時の雰囲気ならばこのような色だとそう思う。結果分かった事は単色塗りで全てを表現するような技量はまだ僕にはない、とそういう事だけだった。この労力が無駄だとは思わないけれど、もし一部始終承太郎に見られていたらきっと呆れられただろう。

「……花京院、終わったか?」

低く響く声にはっとする。膝を見下ろすと緑色の瞳が真っ直ぐに俺を見上げていた。

「いつから気付いていた?」

承太郎の両頬を包むように触れる。起きていたなら言ってくれればいい、人が悪い。……君に人の良さなど期待した事等は一度としてなかったけれどね。

「あんなに集中した視線を向けられたらいつ動いていいか分からないだろう」

「……そうか。喉乾いただろう?今、飲み物を」

「要らねぇな。花京院」

次の瞬間身を起こした承太郎に腕を引っ張られて、背中をソファへと押し付けられる。大きめのソファでも大の男二人は少し窮屈じゃないか?パレットがカラン、とフローリングの床へと落ちた。後で床を拭かないといけない。今押し倒されてるのだと理解してさっき迄見下ろしていた筈の綺麗な瞳を見上げた。

喉は乾いていないとそう言った。でもその焦れたような瞳は何かを欲しているように感ぜられた。次の瞬間に重なった唇は唐突だったけれど予想外ではなかった。承太郎の後頭部に手を回し髪を掴む。唇は角度を変えた。お互いに角度を変える度に深くなる。まるで恋人同士みたいだ。やがてキスが止まり透明な唾液が唇の端から糸を引いて二人を繋げた。粘液が滴り落ち絡む音、その音を聞いてると身体の奥で何かが疼き出す。性急さを感じさせる視線と抑制するように深く吐き出す息と全部が卑猥な刺激になる。まだキスしかしていないと言うのに。

「そういうのを色気があるって言うのか…」

「てめーはわざと焦らしてんのか」

「……そんな事今迄一度も。でも画材片付けないと」

ああでもわざとかもしれない。色欲を感じるせっつくような視線に酔い痴れたくてすぐには与えない。今が一番酔える、恍惚に溶けてしまえる幸せな瞬間だと承太郎はきっとそれを理解する事などないだろう。紫。今の承太郎は紫だ。早く殺されてしまいたい。溶け和えばひとつの色に染まってしまえる、そうすればもう筆を手に取って表現する必要など、ない。










2015.5/22









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