花京院が瞳を閉じて深呼吸してから、十を数えると一度だけ浅く眠りに着く。耳元でもう一度指を鳴らしもう一人の人格の名前を呼ぶととゆっくりとその瞳が見開いていく。隣にいるハイエロファントが心配そうに花京院の顔を覗き込んでいた。

いつからそうなったのかは知らない。人格が統合されていないのは心の病である事は間違いがない。療法としてはそれぞれの人格の時にそれぞれにカウンセリングをして、異なる人格同士の情報を統一させる。何かが原因で纏まらなくなった人格の束を纏める為に、あとは情緒を安定させる為の薬物の投与もある程度は必要になってくる。

主人格が眠りに着くと必ずもう一人の交代人格の方が出てくるのを知っていた。俺は正直に言うとこっちの方の人格の相手をするのが苦手だ。識別の為、もう一人の人格の方は典明とそう呼んでいた。本人もその呼び方で問題はないと言っていた。典明は俺の姿を確認するとゆるりと口を開く。

「承太郎久しぶりだね。最近僕の方はあまり出て来れなかったから会えなくて寂しかった」

典明は長く綺麗な指を俺の頬に這わせて口角を上げて笑みを浮かべ、まるで悪戯する前のような愉しそうな目付きをしていた。それから迷う事無く重ねて来ようとする唇を指で押し留める。人格はふたつあるかもしれないが体は同じ花京院のものだ。

「…嫌がるの?どうして?本当は僕の事が好きな癖に」

何もかも見抜いている、そんな口振りだ。こいつの言うことは間違ってはいない。誰よりも花京院が大事で誰よりも好きだと、そう想っている。旧友以上に、患者としてというよりは人として誰よりも最優先に守るつもりでいた。他の病院からの紹介を受けて偶然診療所で患者として再会出来た時に感じたのは唯の懐かしさよりも、思春期に焼き付いていた憧憬と恋慕の念が勝った。その瞬間から他の患者達と同一に見なす事は俺の中ではまずなかった。

「……本物の花京院が記憶を失くしてる間にその体に勝手な事は出来ねえからな」

「本物って、どっちも本物だって事は理解してるんじゃないかい?担当医さん?」

からかうような口調だった。挑発的で奔放、人を傷付ける事を厭わない。いつも穏やかで相手に対する言葉を選んで話す花京院とは様子が違う。加えて幾らか時間が立つとこちらの人格だった時の記憶は完全に消えてなくなっている。解離性同一性障害、そう言われている類の物だった。診断するのにはとても時間がかかったし、他の精神病との合併も疑われるから慎重に治療を施している最中だ。最近はカウンセリングをしていても発症が抑えられ、基盤の人格は安定しているように見えていたんだが違ってたみたいだ。人格が揺らいでる時期に警察等の厄介になるとまた主人格の方に過大なストレスがかかり、進みかけていた治療が滞ってしまう。そんな事態を防ぐ為に典明の方がスタンド能力を使って何かした場合は出来るだけ事が大きくならないように処理している。今回は発見される前に撒いただけだが。花京院が持つ特殊な能力、ハイエロファントグリーンは俺の持つ能力と同じような物で普通の人間には見えない。その特殊な能力もあいまって今の『人格が二つある』状況は余計に花京院自身に尋常ではない負担をかけていた。今日みたいな状況下では特にだ。

「なんであんな事になってたのか説明しろ。…さっき俺に電話をしてきたのは典明の方だろう」

先程花京院から着信があったときに電話口で話していたのは、話し方から察するにこっちの人格の方だろう。

「そうだよ。でも僕は僕自身を助けただけ。夜塾の帰りに柄の悪い不良に絡まれて、揉み合いになって後頭部を打って気を失ったのが花京院」

そう説明しながら典明は自分自身を人差し指で指差し、次いで掌で自分の胸に手を置いてみせた。

「次の瞬間目が覚めてそいつらを立てなくなるように叩きのめしたのが僕」

「警察の騒ぎになるようなやり方はやめろ」

「そうは言っても深層心理で積み重なって隠し通され解離された人格が僕だからね。主人格の要望でもあった筈だよ」

典明は悪びれもせずにそう言い放ってからまた俺の顔に触れる。主人格の花京院と違う部分はもう一つあった。

「こうやって触れるのも、キスをしたがるのも本人が、…承太郎の言う本物の人格の方がいつも望んでいた事だ」

通常時の花京院はこんな風にやすやすと俺に触れてきたりはしない。

「何を…」

「承太郎も気付いているんだろう?幼い時から一緒に居て、毎週診察して心の状態にメスを入れて治療を繰り返してる承太郎が気付いていない訳はない」

真剣に見つめてくる視線に呑まれそうになる。表情の真筆さにいつもの花京院の方を思い出し、どちらがどちらか分からなくなりそうになってしまう。膝の上に置かれた手を、艶かしく首筋を這う指を跳ね除ける事が出来なかった。

「承太郎が好きだと、そういつも主人格の方は思っている。花京院も可哀想に。気付かれているのにも関わらず必死に隠して」

「……やめろ」

「承太郎が大好きで傷付けたくなくて、いつも僕に承太郎には何もするなと強く念じている、可哀想な花京院は自分から承太郎に触れる事すらままならない」

典明の方では主人格の花京院の思考も行動も全て記憶し把握出来ている。幾つかの人格が乖離されている場合、基盤となる人格の方は交代人格の記憶を保有出来ない場合が殆どだ。だけど交代人格の方は概ね他の人格についての記憶や生活記録を語ることが出来る。その事から推察するに今の言葉はきっと本当の事なのだろう。性格はまるで変わってしまっても二人(と便宜上そう呼ぶ)の間で唯一共通している事があった。それは、


「僕だろうと主人格の方だろうと承太郎に嘘を付いた事は一度もない、これからもない」



典明はそう悪戯っぽく微笑んでから俺の唇に口付けて体重をこちらにかけた。あれ程するなと言ったのに。普段の花京院が俺にこんな事をしたいと迫った事はない。だから罪悪感しか残らなかった。心の中で舌打ちをしつつ、後頭部を引き寄せて深く舌を重ねた。そして深く交わすキスで相手の気が削がれた隙に、鞄の中から気付かれぬように注射器を取り出し、スタープラチナを使い一瞬で正確に手首の静脈に鎮静剤を打ち込んで眠らせる。こっちの人格が出てくると手に負えない。

人格が入れ替わってしまっている時だとしても、好きな奴が迫ってきたら理性を失いそうになっちまう。おまけに好きだとかなんだとかそんな事ばかりを言ってくる。これでは治療どころではなかった。

診療所専用の携帯電話の音が鳴り、名前を見ると異国から日本へと留学し医師免許を取得して在日外国人として働いている同僚からの電話だった。片腕で完全に鎮静状態に落ちて気を失っている花京院を抱き締めたまま通話ボタンを押すと、落ち着きのある声が耳に響いた。

「承太郎、花京院は無事だったのか?」

「アヴドゥル。…無事だったが、こいつの担当医俺と変わってやってくんねぇか」

「何を言っている?承太郎と花京院は昔からの友達で花京院は誰よりもお前を信頼している、と聞いた。精神病の治療はいかにもデリケートなものだ、信頼関係が何よりも必要となってくる。変わる必要はないだろう」

「……いつか襲っちまいそうな気がするぜ」

こっちは真剣に悩んでそう言ったのに、ひゅぅ、と高く口笛を鳴らすような声が聞こえて「そうなったらそれもいいだろう」という不真面目な解答が返って来た。ぜってぇ面白がってやがるじゃねぇか褐色ラクダ野郎(診療所の事務所の机にラクダに乗った本人の写真が飾ってあった)。やるせなさを抑えつつ通話を終わらし、腕の中で眠る綺麗な寝顔を確認した。整った顔立ちも赤栗色の変わった毛色の髪も昔から大好きだった、だから困る。普段の、いつもの花京院は俺を好きだとは言ってはこない。態度ではなんとなく伝わってくるが。交代人格の典明の方が主人格の意思を無視していつも好きだ好きだと伝えてくる。治療が終わる迄は手は出さないと、そう決めているのに参った。花京院が元通りになった時に、交代人格の事についてあまり詳しく話せない部分があるのはそのせいだ。

「やれやれだ…」

前髪の長い部分を撫で上げると少し寝顔が幼く見えた。絶対に治してやる。要因はきっと色々あるだろう。他の人間には見えないものが幼い頃から見えていた、それを周りの大人達に理解してもらえなかった。幼少期の周囲の不理解、孤独感、胸に抑え溜まりに溜まったしこりのような心傷のダメージが解離性や離人症のような症状を引き起こす一因になっている可能性はある。花京院のように物事をひとつひとつ考え込み、冷静ではあるが時に情動的で繊細な心根を持つ人間なら、なおのことその傾向に拍車をかけるだろう。

全ての治療が終わり、花京院が夜安心して眠れるようにしてやれたら、その時に俺の方から好きだと言ってやるからもう少し待っててくれ。密かにそう誓いながら額に軽く、触れるだけのキスをした。















2015.6/8
どちらの人格になっても承太郎が大好きな花京院典明とその対応を測りかねる承太郎。









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