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拝啓 若王子先生
春風が心地よいこの頃、先生はいかがお過ごしでしょうか。 陽射しも暖かく、外でお昼寝をしたらきっと幸せな気分になるでしょう。 そのまま夕方まで眠り続けて、風邪など引きませぬよう。
羽ヶ崎学園に転入し、先生と出会い、人よりも遅い速さで進む僕の時間を急かす事なく、また立ち止まらせる事なく、共に高校生活を過ごしてくれましたね。
大学に入学し、毎日めまぐるしい日々を送り、教育実習では多くの事を先生から学び、先生から教わった事は僕の指針となっています。 僕が羽ヶ崎学園の教壇に立つことになり、先生の「後輩」となったのは、ほんの少しの間でしたね。
新緑の季節、あたたかな日差しの中、木陰の下に寝転がり木々の隙間からゆらゆらと光る日差しが頬を照らし、猫を優しく撫ぜる先生。
爽やかな眩しい白のシャツと麦わら帽子。たくさん採って今日の晩御飯にしましょう、とはりきって潮干狩りに挑ん日もありましたね。 たしか潮干狩りに夢中になりすぎて、寄せてくる波に足を掬われ尻餅をついてびしょ濡れになってしまいましたね。
木々が赤や黄色に色付く季節、ひそひそと僕の名前を呼んだ先生。 手招きをされ化学準備室に入ると、内緒ですよ、とそっと口元に指を当てる仕草をしてアルミホイルに包んだお芋を取り出し笑っていましたね。 ガスバーナーでじりじりと焼き始め、わくわくしました。 焼きすぎてしまって窓から立ち上がる黒煙に教頭先生が慌てていましたね。
はらはらと真っ白な雪が空から舞い、指先や鼻の頭がじんじんと赤くなる季節。 公園で大きな雪だるまを作ろうと意気込み、随分と頭でっかちな不格好な雪だるまが出来ましたよね。 雪だるまが寒そうだと言い自分の半纏を着せマフラーを巻いてやり、見事先生は風邪を引きましたね。
先生と共に歩む道が別れてから、今年で何度目の春となるのでしょうか。 こうして桜の季節になるたび、先生の大きな背中を思い出します。 先生との思い出はたくさんあって、どれも大切で、溢れんばかりなのに、この季節だけは、桜の季節だけは、先生の背中しか思い出せないのです。
あの日僕に背中を向けて、振り返ることなく自分の道を進んで行った先生。 それが先生の決断であり、意思であるのは理解しているつもりです。 それでも、恨み言の一つくらいは、言わせてほしいです。 今年の桜、先生の目にはどう映っているのでしょうか。
敬具
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