これもそれも。あれもだめ。だめ、全然。

ふぅと小さく溜め息を漏らして、背もたれに寄り掛かると、ギ、と椅子がしなる。
猫を思わせるつり上がった目は閉じられ、長い睫毛が頬に影を落とす。机の上に無造作に投げ出された何枚もの写真が、こっちの気持ちなんてお構い無しに視界に入り込んでくるので、少しばかりの苛立ちを隠そうともせずに眉根を寄せた。
どうしてだろう。
こんなにも「彼」を被写体にした写真を集めたのに、どれも、笑っていないのだ。データとして写真が欲しいのに。なかなか、これといった物が得られなくて、伸びをした。
いたずらっ子のように唇を突き出してみたり、口元は確かに笑っているのにうまい具合に手の平などで顔が隠れていたり、はたまた更衣室で着替えている最中の背中だったり、御手洗いで・・・これは見なかった事にしよう。
これらの写真は全て「彼」のファンの子達に提供してもらった物だが、一体彼女たちはどうやって写真を撮っているのか疑問になってきた。犯罪すれすれではなかろうか。彼女たちが間違いを犯さない事をそっと祈りつつ、また一枚、写真を手に取り、そこに映る人物の瞳を覗き込んだ。


「桜井、琉夏」


紡いだその名はあっという間に溶けていく。




笑った顔が一番いい。




「あ、みよちゃんだ」


珍しい事もあるものだ。状況を理解するのに時間を要したのは、早朝の屋上に誰かがいるなんて全く思っていなかったから。先客がいた事だけでなく、そこにいた人物にも驚かされた。
登校時間よりもずっと前に桜井琉夏がいるなんて。明日は雪かもしれない。雲ひとつない初夏の空を見上げ、そんな、非現実的な事を考えてしまった。それほどまでに、珍しい、と思ったのだ。


「てかさぁみよちゃん。連絡先教えてよ」
「必要ない。それと、ちゃんて呼ばないで」
「やーだ。かわいいから、呼ぶ。」


図らずも、胸が勝手に高鳴った。この上目遣いに何人の女の子達が騙されたのだろう。


「みよちゃんは俺の電話番号とか知ってるのに、ずるい」


そう言って拗ねた顔をしてみせる桜井琉夏は、年齢よりも幼く見える。
名前をちゃん付けされて呼び方を訂正するのも、こうして連絡先を聞かれても答えないのも、もう何百回何千回としている気がする。顔を合わせるたびにするこんなやりとりを、いつまで繰り返すつもりなのだろう。

きっと連絡先を教えたら。きっと名前の呼び方を享受したら。

もうこんな関係を持つ事はないのだろう。
それでいいじゃない。無意識に躊躇っていた自分を自覚して、そんな自分が不思議で、考えあぐねる。
しぶしぶ携帯電話を取り出し、赤外線を促すと、桜井琉夏が嬉しそうに笑うから、まあいいか、と思った。携帯電話を近付け、向き合う。

(あ)

(こんなに身長差あるんだ)

自分に影を作っている人物を見上げようとして、やめた。
画面の圏外表示、空に直線を引く飛行機雲、夏の足音、送信完了の文字。


「やった。みよちゃんの連絡先ゲット。今度連絡する」


しなくていい。心の中でそう呟いた。声にしなかったのは、どうしてだろう。
どうせ、連絡は来ないだろう。そう思うと少し胸が痛い気がするのは、どうしてだろう。
「じゃあまたね」と手を振る背中に声を掛けて呼び止めた。


「桜井琉夏」


彼が振り向くと、二人だけの屋上にシャッター音が響く。
桜井琉夏がいた所を、レンズを通して覗いてみたら、そこには既に彼はいなかった。
逃げられたか、と思いながら、さっき撮ったばかりの写真を確認しようと撮影モードを切り替えた。
映っていたのは柔らかな笑顔の彼。
自分の見間違えでは、と思い数回まばたきをしてみる。そのたびに、星がちかちかと飛ぶ。

なんだ、笑えるんだ。

写真の中の彼が、カメラの向こう側で笑う彼を取り巻く世界が、陽を透かした炭酸水みたいにきらきらと鮮やかで、レンズ越しでないと自分には眩しすぎる、そう思ってきつく目を閉じた。





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