「トラくん、どこ行っちゃったのかな〜。まさか卒業式までサボるとは…トラくんらしいといえばトラくんらしいかぁ」

はぁ、と呆れ気味にため息を吐く。みんなで写真を撮ろうと思ったのに、行方知れずのトラくんを探し始めてから随分と時間が経った気がする。
トラくんがいそうなところに足を運んでみる。屋上、教室、保健室、日当たりのいい中庭。ひとつひとつ辿るうちに、トラくんと過ごした思い出が溢れてくる。
学内の至るところに、こんなにもトラくんとの記憶があるんだ。そんな学び舎と今日でお別れなんだ。そう思うと、ようやく卒業という二文字を実感してぎゅうと心臓が痛くなる。
まったく想像出来ない暗い世界に飲み込まれそうで、尻込みする。
これからも、トラくんは僕と一緒にいてくれるのかな。
いくら考えても自分じゃ答えは出せない。こういう時ばっかり、自分の都合のいいようになんて考えられなくて、悪い方向に進んでいく。

「自信ないなぁ…」

トラくんはきっと僕の事、嫌いではないと、思う。…思いたい。
信じる、なんて言葉にしてみても、なんだか上辺だけを滑っているようでトラくんに届いているのかも分からない。
トラくんは僕に向き合ってくれている。
表情で、声で、仕草で、僕の事を好きなんだって思ってくれている。これは自惚れなんかじゃないと思う。
それだけでよかったのに。確かな言葉が欲しいなんて。

欲張りになってしまった自分に嫌悪する。ため息を吐くのは本日何度目になるだろう。もう数えられなくて、せっかくの晴れやかな卒業式の日が台無しだ。

「それにしても、ほんと、トラくんどこだろ」

中庭の芝生を踏みしめていると一番近くの教室から「西園寺君」と呼ぶ声が聞こえる。
西園寺は今この学園に一人しかいない。声のする方に近付き開いた窓の中を背伸びをして覗くと、ずっと探していたトラくんと、女子生徒が見えた。
思わず「トラくん」と声を掛けようとして、やめた。慌てて口を抑えて飛び出そうになった言葉を飲み込んだ。
ドキドキと心臓がうるさくなる。ああ、これは多分、告白なんだ。
中から姿が見えてしまわないようにしゃがみこんで息を潜める。

「西園寺君…初等部の頃から…西園寺君が好きだったの…」

そう思った矢先、想像通りのお約束な言葉が耳に届く。
盗み聞きなんていけないとは分かっているけれど、足が鉛のようにずんと重くなり動くことが出来ない。
トラくんは、なんて答えるんだろう。
さやさやと木々を揺らす風の音が優しくすり抜けていく。その度に桜の花びらはらりと散って、目に焼き付いて胸を締め付ける。
何も言葉を発さないトラくんの間がこの上なく僕を不安にさせて、握った手にじんわりと汗をかく。

「あー…わりぃ、オレ付き合ってるやついるんだわ」

付き合うっていう概念がトラくんの中にあったという事実に動揺を隠せなかった。

…やばい。嬉しいかも。

「九楼さん?」
「なんでそこでお嬢が出てくるんだよ…」
「あ、ごめんそんなつもりじゃ…ただ、仲が良いなって思ってたから…そっか…私じゃ、だめなんだね」
「お前がダメとかっつーか、あー、なんて言うか、うまく言えねえんだけどさ、」

「オレが、あいつがいいんだ」

声だけで、今トラくんがどんな表情でその言葉を言ったのかが容易に想像できる。
どうしよう。すごく、泣きそうだ。

「その子には敵わないなあ…西園寺君、変わったよね。確かに前から西園寺君が好きだったけど、前だったらきっと、西園寺君と正面から話せるなんて思わなかった。」
「べつになんも変わってねえけど」
「柔らかくなったよ、すごく。…じゃあ私、行くね」
「おう」
「…聞いてくれて、ありがとう…ね」

赤らんだ目元と堪えるような表情を残して彼女は教室をあとにした。
僕はというと、トラくんの言葉が嬉しすぎて膝を抱えて泣いていた。

「おい。覗きかよ」
「と、らく」

窓の格子で頬杖をついてトラくんがこちらを見下ろしている。泣き顔を見られたくなくて制服でぐいと強く目を擦った。

「トラくんを探してたんだ」

なるべく明るい声で言うと、トラくんが無言でじっと僕の目を見る。

「なんで、探してたんだよ」
「なんでって…」
「オレさ、なんでお前がオレの周りをうろちょろすんのか理解出来なかったんだよ。お前に付き合ったのも、暇つぶしだったわけだし」
「うっ…心が痛い…」
「毎日毎日付きまとわれて鬱陶しいし、いなかったら余計イラつくようになったし、なんでか、分かんなかった」
「………今は、分かるの?」

トラくんは、はーあ、と大きな溜息を吐き、頭を掻いて、ニッと笑った。

「あの日の逆みてーだな」

あの日。その単語だけでいつの日の出来事か分かってしまう。

「お前の好きなやつって誰だよ」

あの日と同じ、好奇心に満ちた目で見つめてくるトラくんに、僕は今度こそ躊躇わずにその名前を言えた。

「トラくん」
「知ってる」
「…じゃあ」

「じゃあ、トラくんの好きな人は?」

「ねえ、教えて。トラくんの、好きな人」

そう言うと、トラくんは笑って窓からこちらへ向かって飛んでくる。突然のことに驚いて頭が働く前に身体が動く。

「えええ」
「ナイスキャーッチ」
「あぶないよトラくん!」
「おまえがいるから大丈夫だろ」
「………」
「さっきの答え、教えてやるよ」

僕を地面に押し倒して、トラくんが唇を押し当てるようにキスをする。そしてその唇を耳元に近づけ囁く。

「お前だよ」

僕だけに聞こえる声、僕の心にだけ伝わる鼓動。
嬉しくて、嬉しくて、涙が溢れた。

せっかく泣き止んだというのに、次から次と目から涙が零れる。
僕の言葉は、気持ちは、トラくんに届いていたんだ。

まだ冷たい風が首元をすり抜けていく。








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