屋上の重い扉が音を立てながら閉じていく。
この扉一枚隔てた先にはトラくんがいるのに、こんなに近くにいるのに、こんなに遠い。


ぱたぱたと頬に雨が落ちる。もう雪は降らなかった。
季節は確実に春に近付いている。僕はこれ以上先に進めないのに、時の流れは待ってはくれない。
こんなにも現実が心に重く沈んでいく。

頬を伝う雨はなんだか生ぬるい気がした。

「ふ、っく…トラ、くん、…」

別れるとか、別れないとかの話ではない。
僕の言葉が彼に何一つ響かず表面をすべっていく事が手に取るようにわかる。 そう、トラくんが欲している言葉はこれじゃな い。
これじゃない事は分かっているのに、僕はその正解の言葉を持ち合わせていない。
僕じゃ、だめなんだ。分かっているからなおさら、何も出来ない自分が情けなくて、泣きそうになる。
こんなにも好きなのに、彼には何も届かない。僕って何なんだろう。
僕じゃだめな事なんて、わかってた。殿を羨ましいと思った事もあった。

それでも、トラくんのとなりにいるのは…僕がいい。

「風邪を引くぞ」
「…殿」

どうして、こんな時、一番会いたくなくて、一番慰めて欲しい人が来るのだろう。
いつの間にか屋上の扉が開かれていて、殿の靴がぱしゃぱしゃと水を蹴る。
「ほれ、傘」と僕の方に傘を傾けてくれる。

「あ、ありがと」
「………」
「………」
「先ほど、寅之助とすれ違ったぞ」
「あー…」
「何やらいつもと調子がちがうように感じたが」
「殿は、すれ違っただけで分かっちゃうんだね」

すごいや、と零れた言葉は羨望と、そしてほんの少しの嫉妬。

「僕には、トラくんをどうにか出来ないし、僕のスカスカな言葉は届かない」
「どうして、そう思うのだ」
「…殿、僕はね、さして言葉なんて重要じゃないと思ってたんだ。言葉なんてなくても、あー、その、…好き、とか、愛、とか、伝わるって、自惚れてた」
「ふむ」
「でも、言葉なんて重要じゃないって思いたいだけなんじゃないかなって。」

届かない言葉の代わりに。選択肢を間違わないために。僕はただいつも微笑むことしか出来なかった。
彼にどんな言葉があげられただろうか?彼は、どんな言葉を欲しただろうか?

「正直、殿が羨ましいよ。どうして、トラくんを理解出来るのが僕じゃないんだろう、僕の言葉に力があればいいのにって…」

殿に吐き出している言葉が弱々しくて情けなかった。

「自分の言葉に力がないから。届く言葉を持ち合わせてないから。トラくんには響かない…だから、だから、言葉なんていらないって、思いたかっただけだったのかなって」
「でもちゃんと、央の言葉もあやつの心をに届き、響かせ、震わせていたであろう。言葉は口にする分、ちゃんと、伝わる。だから、愛という言葉が存在するのであろう。言葉は、使われるためにある」

ほら、殿は、僕が今一番欲しい言葉をくれるんだ。

「全然伝わってなかったんだ。僕だけ浮かれてたんだ。愛したりなかったのかな、って。もっと直接的な言葉じゃないとわかってくれないのかな、って。どうすればわかってくれるんだろう。我慢しなくていい、もう泣いてもいいよって、伝えたい…」
「それを全部言ってやればいい」
「全部、言ってもいいの?」
「おぬしらは恋人どーしであろう。私と寅之助、私と央では関係が違うし、伝えるべき言葉も違う。央には、央の言葉があるはずだ」


まだ、間に合うかな。


我が儘なところも、自分本位なところも、他人がどうでもいいところも、同時に他人を大切にしたいところも、僕のことをすぐ蔑ろにしがちなのも、すぐ手が出るし口が悪いし飽きやすいところも、でもそんなトラくんがぜんぶ好きだよ。

たぶんきっと、僕と同じ気持ちを、トラくんは 僕に少なからず抱いている。
だからきっといつか、トラくんは僕に触れてくれるだろう。
自らの意志で、触れたいと思ってくれるだろう。それは決して、自惚れなんかじゃないって、思うんだ。







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