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「西園寺のやつ、また他中の生徒と喧嘩したって聞いたか?」 「喧嘩じゃねえだろ、一方的に西園寺が殴ってたの見たって」 「まじかよ…って、今日西園寺来てるぞ…しっ…聞こえる」
…聞こえてるっつーの。 階段の踊り場で目が合ったやつらは気まずそうに視線をさまよわせた。 もし聞こえてたらどうしよう、殴られるんじゃないか、そんな考えが見え透く。 弱いやつらが群がって、一人じゃなんにもできねえ奴なんか相手にするかよ。 ふん、と鼻を鳴らしそいつらの横をすり抜けると背中に安堵の溜息が投げ掛けられる。
「おーこわ…やべーよ、西園寺のあの目」 「絶対一人や二人くらい殺ってる」 「ありえそう」
いや、ねえから。ありえない噂に思わず突っ込んでしまう。 本人に聞こえる聞こえないをもう気にしていないのか好き勝手に言いやがる。 そんなイメージだけで命知らずが寄ってこないってんなら願ったり叶ったりだけど。 誰も彼も腫れ物に触るように接してくるし、勝手にびびって根も葉もない噂にはどんどん尾ひれがついていく。くだらない。
「にしてもほんと、すげえ色だよな」 「ああ、気持ち悪い目」 「人間じゃないみたいだ」
持って生まれた容姿をどうこう言われる事にも慣れて、いちいち腹を立てたりする事もなくなった。 わざとらしく「はあ」と盛大に溜め息を吐いてやると、噂話をしている連中が分かりやすくびくりと肩を硬直させた。 言いたい奴には言わせておけばいい。なのに、ひとりの名前が聞こえてきて身体が自分の意思に反して硬直する。
「…そういや最近、そっちのクラスのほら、英とよく一緒にいるよな」 「ああ、たまに見かけるかもな。そういえばこの前、授業サボって怒られたってヘラヘラしてたよ」 「西園寺なんかとつるんでるなら、そういう奴なんだ、…ろ、」 「よぉ。楽しそうな話してんじゃねえか。オレも混ぜてくれよ」
その瞬間だった。こいつらに絡むつもりなんて毛頭なかった。 なかった、はずなのに。
「い、いや、何も話してなんか、ぐあっ」 「英が、なんだよ」
通り過ぎたはずのオレが進行方向を変え戻ってくると、数人の男達の顔色がみるみるうちに青白くなっていく。 会話のすべてを聞く前には既に殴っていた。眼鏡が床に叩きつけられそのまま階段を落ちていく。 脳みその筋肉ばかりが鍛えられていそうな長身の男に近付き見下ろすと、殴られた頬を押さえ尻餅をついたまま言葉にならない言葉で叫んで壁際へと後ずさっていく。 あーあ。こんな、明らかに腕っぷしが弱そうな奴を殴るのは初めてだ。 暴力とは無関係な環境で生きてきたんだろうな。でも今のは、あれだろ、言葉の暴力ってやつじゃねえの?
「で、なんだって?」 「ヒィッ」
しゃがみ込んでしまった男を覗き込むようにかがむと今にもちびりそうな顔で視線をあちこちに向けている。 先ほどまでこいつを囲んでた数人の男はいつの間にか散ってしまっていた。 胸ぐらを掴んだ腕を離してほしいのか、弱々しい力で男が抵抗し、睨んでくる。
「おっ、お前がそんなんだから…周りにいる人たちもそういう目で見られるんだよ!九楼さんだって、生徒会長だって、そういう立派な人ですらお前のせいで…!英だって、きっとどうしようもない奴なん、…ひっ」 「黙れよ」
男の顔のすぐ真横の壁を殴るとガタガタと身を震わせそれ以上口を開くことはなかった。 目の前の男が何を言っているのかがさっぱりわからなかった。音は聞こえるのに、言葉が次から次へと耳を通り抜けていく。 腹の奥底から熱いものが湧き上がってきそうなのに、それに反して冷水でも浴びたように頭と、そして指先が冷えていく。
一人じゃオレの前に立つ事すらできない連中に、何を言われても痛くも痒くもない。 どうでもよかったはずなのに、なんだ、これは。
立ち上がり背を向けると、遠くの方から教師を呼ぶ声が聞こえてくるが、それもやはりどうでもよかった。
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