パック飲料のストローを弄んでいると、中身のないそれはパコパコと音を立てた。
屋上のフェンスに前のめりでもたれ掛かり、今にも雪が降りそうな仄暗い空を見上げると、隣にいる英が「あ」と呟く。

「あれトラくんのクラスじゃない?」
「お、なんだよ、今日の体育野球だったのか」
「今からでも遅くないと思うよ〜。着替えて校庭に向かったら?」
「もう今更めんどくせえ」

予鈴が鳴り始めるよりも前に、うちのクラスの奴らがぞろぞろと校庭に集まるのを屋上から見下ろしていた。

「あ、鷹斗くんだ。見つかったら怒られるよ」
「いや、さすがに向こうからこっちは気付かないだろ」

そう言って高を括ったのも束の間、校庭からこちらを見上げる海棠と目が合った気がした。
残念ながらそれは気のせいではなく、海棠が呆れたように肩を下ろし溜め息を吐く仕草が見えたから、これは、

「バレたなこりゃ」
「さっすが鷹斗くん…目ざとい…。というか、トラくん逃げる場所がワンパターン過ぎるんじゃない?」

屋上と不良ってセットだよね、なんてキラキラと目を輝かせその視線が一心に注がれる。
他の奴に言われると腹が立ったり頭にくる言葉でも、なんでかこいつが言うと、毒気を抜かれるんだよな。

「お?悪口か?お?」
「わー暴力反対!」

予鈴が校舎全体に響き渡り英が制服の埃を払いながら立ち上がる。
適当に返事をしてゴミ箱目掛けて空のパックを投げ入れた。

「さて、と。僕はそろそろ教室もどろっかな」
「おう」
「あんまサボっちゃダメだよトラくん」
「わーったから早よ行け」
「…うーん」

早く行けばいいものを、何を考えているのか英はそこから動かない。
それが不思議で英を下から覗き込むと、ええととかううんとか小さな唸りを口の中でもごもごとさせ、その度に口元から白くなった息が浮かぶ。

「…行きたいんだけど、さ…」
「あ?」

行きたいなら行けばいいだろう。言葉を濁す英に首を傾げ、続きを促すつもりで訝しげに見上げると、しどろもどろとした様子の英が控えめに「あの」と口を開いた。

「離してくれないと、行けないかなって」

ようやく意味のある言葉を口にしたというのにその言葉の意味するところがオレには分からず、目尻をさっと赤く染めながら猶も言い淀む英の視線の先を辿ると、オレの手は英の制服の裾をがっちりと掴んでいた。

「…なんだこれ」
「いや、僕が聞きたいんだけどね?」

英の言ってることはごもっともである。
掴んでたのはオレなのだから、その行為の理由に疑問を持ち問いかけてくるのが英なのは至極当然のことだろう。だけど。

「…知らねえ」

意思を持って掴んだわけじゃないから、オレにだって理由は分からないからそんなことを聞かれても困る。

「ふうん、そっか」

そう言って笑う英の表情にぎくりとする。最近、英のこの笑顔に心臓のあたりがざわざわとする。
自分の中で、何かが変わってきた気がしていた。
胸がざわついて、隣にいると落ち着かなくて、他の奴と話しているとムカムカするし、意味の分からない憎悪まで湧いてくる。
視界に入るところにいないと腹が立って、離れようものならそれが許しがたくてどこか繋いでしまいたくなる。

この感情の、居所が、分からない。

隣にいる英の頬に腕を伸ばし触れるとひやりとしたその温度にはふ、と安堵に似た息が漏れる。
ぺたぺたと頬、鼻の頭、額を撫で回され、されるがままの英が小さく「う、」と声を漏らす。
風にさらわれてさらさらと流れる前髪をひと束引っ張るとくすぐったそうに掴む。

「おまえも、サボっちまえよ」
「え、ええ〜、円に怒られちゃうよ」

英の口から、その名前を聞くのも、なんとなく苦手だった。今おまえの目の前にいるのは、オレなのに。
ぶすりと唇を尖らせていると、それを察したのか、人好きのしそうな顔で嬉しそうに顔を覗き込んでくる。

「…拗ねてる?」
「すねてねえよ」
「なぁんだ、ヤキモチ妬いてくれたのかと思ったのに」
「バーカ」

英の声はあくまで茶化すようで、笑いを堪えるようにオレはくつくつと喉を鳴らした。

「あ、降り出したね」
「どうりでさみぃわけだ」

地に足がついていないようなふわふわとした関係に、オレは居心地の良さを覚えていた。
二人で肩を並べて地べたにしゃがみ込む。
口を開くたびに白い息がふわふわと浮かんでは消えて、どうでもいい話をいつまでもした。
何を話したかなんていちいち覚えていなくて、絡んだ指先ばかり見ていた。

一つ、気付いたことがある。
英は、よく笑うやつだ。

目が合えば笑い、手が触れても笑う。
緩みっぱなしのないだらしない顔で、まるで大事なものでも見ているかのように笑い、
それが自分に向けられているものなんだと気付いてしまった時はどうにもむず痒く、とてもじゃないが目なんて見れなくなった。

浮ついた気分になり、それが不安定で、でも、離れがたくて。だからまあ、このままでいいかと思い始めていた。
あまりにも見つていたら、英はいたたまれなくなったのか、口を開き、オレはおもむろに英の前髪に手を伸ばす。

「なに、トラくん」
「…頭に雪、積もってんぞ」

わしゃわしゃと頭を撫で髪の毛に触れると想像以上に柔らかく、雪の香りに混じってふわりと太陽の匂いが鼻を掠めた。
最近ずっと傍にある英の匂い。なぜか目頭が熱くなり、鼻の奥がつんとして、絡む指先に無意識に力を込めた。
ふうん、そっか、と目を細め英が笑う。それを見るとやっぱり心臓のあたりがざわつく。だけど、それだけじゃない
その理由は、まだ分かりそうにもない。これがなんなでなのか、分かりそうもないから、目を瞑る。

「トラくん?」
「眩しい」
「へ?雪が?」

お前の笑う顔がだっつーの。








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