カリ、カリ、とシャーペンが紙の上を滑る音だけが静かな室内に響く。
窓の外では蜩が鳴き、夕暮れ色に染まったカーテンが幾分涼しい風を運んできては、踊るように揺れはためいた。
課題を片付ける、と言った央に付き添って付いてきてぼくは読みかけの本を開いていた。…のだけれど、それもすっかり読み終わってしまって、ふと視界に入る央見つめる。

くるくると動く大きな瞳が愛らしい。
分からない問題にぶつかった時、少し眉を顰める表情がかわいい。
時々こちらを覗いて視線がぶつかると慌てて目を逸らす様がたまらない。
ぼくの方を見て欲しい。
…触りたい。

「…………」
「……………」
「…まどか」

また目が合ったかと思うと、今度は逸らされず、怪訝な表情で央がぼくの名前を呼ぶ。

「なんですか?ああ、そこの問いの答えなら間違っていますよ。それとその前の問題も途中で計算ミスをしていますね」
「そうじゃなくて!というか、気付いてたならもう少し早く言ってよ!」

口を尖らせて文句を言いながらノートいっぱいに書き込んだ計算式を消していく。はた、と央は手を止めて「…そうじゃなくて」ともう一度言葉にした。

「用が終わったなら先に帰っていいよ」
「用ならあります。一秒でも長く央の傍にいて央の一挙手一投足すべてこの目に焼き付けておきたいと」
「あんまり見られると集中出来ないんだってば〜…」
「…そんなに見ていましたか?」
「穴が開くかと思った」

両腕を机に投げ出して、「自覚ないの?」と溜め息混じりに央がこてんと首を傾げて上目遣いで覗き込んでくる。まさか指摘されるほど央を見ていたとは思っていなくて、動揺しそうになるのを抑えて声を絞る。

「…いいじゃないですか、減るもんじゃないですし」
「ゆ、」
「…ゆ?」
「有料、です」

ふい、と逸らされた央の目尻が、赤く染まっている。そんな顔をされたら意地悪を、言いたくなってしまう。

「有料で、どこまでしてもいいですか?」

目を逸らさないまま、央の手を擽るように触れる。その手が逃げないことが嬉しくて、指を絡ませ央の手のひらを握ると、弱々しい力で央が握り返してくれる。
握った央の手を口元に引き寄せて、指先一本一本に唇を落とす。
ちゅ、ちゅ、と小さな音が、静かな図書室でやけに響いて、央の顔がみるみるうちに真っ赤になっていく。

小指に口付け、先の方を少し口に含んでみる。ぺろりと舐めると、見開かれた央の瞳にぼくの顔が映っている。なんて、独占欲を顕にした目をしているだろう、ぼくは。

あまり性急すぎると嫌われてしまうかもしれない。そう思って絡んだ指を解こうとしたら、一層強い力で引き止められる。不思議に思って央を見ると、ぼくの勘違いでなければ、期待するような視線がぼくを真っ直ぐに射抜いた。

「…円は…どこまでしたい?」

やっぱり、これは、ぼくにとって都合のいい夢なのではないだろうか。
ぎゅうと強く目を瞑って、開いて、央を見る。耳まで真っ赤に染まったその表情が何よりも真実を物語っていて、いてもたってもいられなくなる。

握ったままの央の手ごと、ぼくの額を押し付けて頭を抱えた。
ぼくはきっと、一生、央には敵わない。

「ま、円?」

俯いたままのぼくの頭上に焦りを含んだ央の声が降ってくる。

「…今は、ただ、このまま」

祈るように絡んだ手を額に擦りつける。
本当に、これだけで、もう、幸せだ。

「ねえ、円」

ぎ、と椅子がしなる音が聞こえてきたかと思うとすぐに柔らかい感触が瞼に降りてきた。目を開くと、鼻をすり寄せ泣きそうに笑っている央がいた。さっきの感触は央の唇か、と思って目を奪われていると、その唇が小さく動く。

「…もし、赤い糸があるなら、僕と繋がっていたらいいって、円、言ってくれたでしょ」
「…は、い」

質問の意図が掴めないままこくりと頷くと、今度は頬にキスをされ、央は嬉しそうに笑った。

「僕はね、繋がってると思うよ」

そう言って自信満々に胸を張って、繋いでいた手に力が込められる。

「だって僕、ちゃんと、見えたもん」

なにがですか、とぼくの唇が動く。それが、声になったかどうかは分からない。

「赤い糸」

そう言ってピンと小指を立てて央がはにかんでくしゃりと笑ってみせる。
それだけのことで、息が苦しくて、胸が締め付けられるくらいに、心臓が大きく鼓動を刻む。

少しの間だけ見えていたぼくの不思議な世界。
それは、ぼくにとって都合のいいだけの夢なんだと思っていた。
それでも、この想いがぼくの一方通行ではないと言うのなら、

「…っ」
「わ、まど、か」

勢いよく立ち上がると椅子が大きな音を立てる。机を挟んで央の身体を抱き寄せ、肩に鼻を埋めた。ぼくの背に弱々しく回る央の腕が嬉しくて、嬉しくて。

両頬を包み込んで鼻をすり寄せると、央の吐き出した熱い息がぼくにかかる。わざとらしく口の端に口付けると、「そこじゃない」と拗ねたように央が唇を突き出すその顔が可笑しくて愛しくて、ふっくらとした唇を撫ぜ、キスをする。

好きという言葉だけじゃ、伝えきれない気持ちがある。
溢れ出そうになるこの気持ちを伝えたいだけでなく、あなたからももらいたいなんて。ぼくはいつの間に、こんなに欲張りになってしまったのか。

「あなたが、好きです」
「僕も、好き」

偽りなんかじゃない、確かな温度を持ってぼくの耳に届くその言葉に、静かに、あたたかな涙が出た。

ぼくの右手に絡んだ央の左手を強く握り締める。
ぼくと央を繋ぐ赤い糸。たとえ目に見えなくなってしまったとしても、それは、きっと、これからも、ぼくたちを優しく繋いでいる。













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