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「……………はあ」
窓の外を眺めながら、本日何度目か分からない溜め息を吐く。
「溜め息なんて吐かないでよ、ただでさえ暑いんだから、ほんと暑苦しい」 「なかなか手厳しいね…」 「で、何があったの」
クラスメイトが僕の様子を心配して、というよりかは、面白そうなネタの匂いがする、といった表情で近付いてくる。
「んーーー…なんでも…ない…」 「ふぅん」
明らかに「なんでもない」トーンではない僕の声音に、それ以上の追求はされなかったことがありがたい。
「ちなみに、なんですけど」 「何よ」 「僕の手になにかついてる?」 「…なにも」 「ですよね」
やっぱりこの糸は、僕以外には見えていないようだ。見えていたら、もしかしたら教室中が大混乱になっていたかもしれない。
教室の窓から外を見下ろしていると、中庭で仲睦まじそうに会話をしている男女がいる。カップルかな、と興味本位で身を乗り出して覗いてみると、そこにいたのは、円だった。
僕の、溜め息の原因だ。
円だ、とわかった瞬間胸のあたりがなんとなくもやもやして、パックジュースの中身を一気に飲み干した。 あの後、ろくな言葉も喋れず円から逃げてきてしまった。円からしてみたら、全然、意味の分からない行動だったに違いない。
「あれ、央の弟くんじゃん」
背後にいたはずのクラスメイトはいつの間にか隣にいて、僕と同じように身を乗り出して窓の外を覗く。少しだけクラスメイトに視線を遣り、すぐにまた円を見た。
「女の子と一緒だね。弟くんの彼女?」 「いや…違うんじゃ、ないかなあ…」
多分。と心の中で付け足す。もしかしたら僕が知らないだけで、円には可愛い彼女がいるのかもしれないけれど。
「じゃあ円くんってフリー?私に紹介してよ」 「円が好きなの?」 「ううん。央贔屓の変人って知ってるもの」 「よく僕の目の前ではっきり言うね…」 「本人目の前にしてなかったら、ただの悪口じゃない」
いや、確かにそれもそうなんだけど。だけど僕だって円がかわいいのだ。事実であっても、お兄ちゃんとしては、ムッとしてしまう。
「弟くん、顔がすごく綺麗だし、もしかしたら、好きになるかもしれないでしょ」 「…そういうもの、なのかなあ…」 「恋なんて、気付いたら落ちてるものよ」
艶やかなリップが綺麗に弧を描く。 僅かに声を弾ませてクラスメイトが僕の顔を覗き込む。僕は、彼女の目ではなく、ちらりと横目で小指を見る。 彼女の指にも、僕と同じように赤い糸が結ばれていて、きっとそれはこの世界の誰かと繋がっているんだろうけれど、残念ながらそれは、円とではない。 だって、円の糸の先は、僕に繋がっているのだから。
そんなことをぼんやり考えて、おかしな話だなあと再び「はあ」と溜め息を吐くとクラスメイトが不服そうに唇を尖らせた。
「君にはちゃんと運命の人がいるから」 「なにそれ」
変なの、と彼女が続ける。うん、僕も、そう思う。 まるでこれじゃ、「円の運命の人は僕だから」と言っているも同然だ。
左手を窓の外に伸ばして手のひらを目一杯広げてみる。 風を受けてそよそよと靡く糸が、確かに僕には見えていて。
「あ、弟くん、こっち見た」
一瞬だけ円と目が合った、気がした。いつもならそこで軽く手を振るくらい、何でもないのに。僕の身体は円の視線から逃れるように、瞬間、バッと身を隠すようにほぼ反射的にしゃがみ込んだ。
「…なにしてるの?」 「…僕にも分からない」 「喧嘩中?」
無言でふるりと首を振る。喧嘩なんかじゃない。僕が勝手に動揺して、勝手に円を避けているんだ。
これじゃあ、まるで、円を意識しているみたい。
「僕が…円を…?」 「うん?」 「いや、何でもない」
恐る恐る窓の外を覗くと、そこにはもう円と女の子の姿はなくてほっと胸を撫で下ろす。円を避けて、一体何になるんだ。
今はまだ、この糸の意味も、理由も、なにも分からない。
これが、僕の目にしか見えていないというのなら。 これが、僕にとって都合のいい世界だというのなら。 僕って、もしかして、円のことが、
「好きなのかなあ」
独りごちると、隣にいたクラスメイトが呆れたように肩を竦め、本日二度目の「なにそれ」という言葉を僕に投げかけた。
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