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棚に寄りかかって開いた窓の外を何をするでもなくただ見つめる。室内には夕焼け空の色が溢れ、時々思い出したかのように涼しい風がカーテンをひらひらと揺らした。 ふと、普段は人の出入りなんて滅多にないこの部屋に突然人の気配がした。 さっきまで授業をふけていつものこの場所で寝ていたのだが、どうやら授業も終わったようだ。
「こんな所に呼び出して、ごめんね」 「ううん、大丈夫だよ」
聞こえてきたのは男女の声。夕暮れの教室に男女ときたら、これからここで起きることは決まっているだろう。告白か、この学び舎(自分が言うと違和感しかない)でやらしい事をするかだろう。極論の気はするが、外れているとも思えない。 向こうからは棚の影になってこちらは見えていないだろうが、めんどくさい場面に居合わせちまったなと心の中で舌打ちをする。
棚に身を隠し、そろりと覗き込む。男の方はこちらに背を向けていてよくわからないが、女は初等部で見掛けていない顔だからおそらく中等部からのやつなのだろう。 自分の胸の前でもじもじと指を絡ませ、「あの」とか「その」と大して意味もない言葉を何度も口にしている。
「私、」
意を決したのか、俯きがちだった女が勢いよく顔を上げ大人しそうな外見からは想像つかない位の声量で告げた。
「私、英君の事が、好きなの」
突然、聞き馴染みのある名前が登場するもんだから意表を突かれる。はあ?と思いさらに覗き込む。先程は制服と肩あたりしか見えなかったが、確かに、あいつのようだ。
英は、なんて返事をするのか。
さっきの瞬間まで自分に無関係だったはずのこの出来事が、今ではまるで自分も登場人物のひとりにでもなってしまったようだった。英が何を答えるのかが、なんとなく気になる。
「ありがとう。すごく、嬉しいよ」 「じゃあ…!」 「僕、好きな人がいるんだ。だから…ごめん」
女の声が、期待に上擦ったかと思うと、すぐに消沈した溜め息が聞こえてくる。 告白を断るための常套句か、と思ったが、ほんの少しだけ見えた英の横顔は嘘をついているとは思えなかった。 いくら課題メンバーで一緒だったとはいえ、そこまで深い付き合いをしてきた訳ではないから、まあ、ただの勘だけど。
「そっか…分かった…聞いてくれて、ありがとう」
そう言うが早いか、女は堪えるようにして足早に教室を出て行った。 この教室にいるのは、オレと、英の二人きり。…英は気付いてないが。 このまま聞かなかった振りをして教室から出て行こう。 そんな事を考えているうちに、窓際に向かって足音が近付いてくる。 先ほどまでは棚が死角になっていたが、今となっては告白をされていた色男の姿が丸見えだ。 あいつがオレに気付くのも時間の問題だな、と隠れる事もせず英の横顔を凝視した。
英が鍵にそっと手をかけて窓を開くと、ひんやりと冷たい空気が入り込んできて身震いをする。 窓の外を見ながら、英が息を吐くその横顔が、普段とは違って大人びて見える。あー青春してるなーこいつ。 それがなんだかおかしくなってきてにやにやしていると、英がようやくオレの存在に気付いて素っ頓狂な声を上げた。
「…と…トラくん!?」 「よ」 「よ、じゃないよ…!いつからそこにいたの?」 「あ?ずっと」 「…ということは…」 「ばっちり聞いたぞ、あの女の告白」 「はぁぁ…」
英が盛大な溜め息を吐き、難しい顔をしてこめかみを強く押さえている。 眉間には皺が数本刻まれていて、だけど次に目が合った時にはパッと表情を和らげた。
「覗きなんて、趣味悪いよートラくん」
いつもどおりの表情。いつもどおりの声音。 一瞬でしまいこんでしまった英の本音が、気になった。
「そっちが勝手に始めたんだろ。むしろ謝って欲しいくらいだぜ」
聞きたくもない告白を聞かされたんだぞこっちは。頬杖をつき視線を窓の外に戻した。 英はオレの隣に並び、両手を口元で組んでいる。何も言わずに英が項垂れるから、気まずい空気が流れて居心地が悪い。 用が済んだのなら早く教室から出ていけばいいのに。
この空気に耐えられず、というわけでもないが、そういえばと思い口を開いた。
「つーか、誰だよ」 「え?」 「だから、お前の好きなやつ。いるって言ってたじゃねえか」 「そ、れは…」
質問をすると、英の頬にさっと赤みがさす。 こちらがまったく想定していなかった反応に、呆気にとられる。何を照れているんだ、こいつは。 なんだかこっちまで意味もなくそわそわしてくる。
「その、」
英の声が、震えていた。こちらを真っ直ぐ見る瞳に気を取られていて、気付いた時には英の手がオレの腕を掴んでいた。 「僕は」と英の唇が動く。英の手が、熱い。 こいつは今から、何を言うのだろう。オレよりも身長があるから、自然と見上げてしまう。
「ト、ラく」 「おおい、寅之助、ここにおるのか」
時田のよく通る声と共に、ガラリと勢いよく教室のドアが開かれる。 瞬間、意味もなく英と見つめ合ってしまっていた事実にハッとして、掴まれてた腕を振り払う。勢いづいた反動で、オレは近くにあった棚に腕を強打し予想外の痛みに腕を抱え込んでしゃがみこんだ。 ぶつけた腕をさすり上げながら英を見ると、何故か顔が赤らんでいて、口元を隠すように手のひらで覆い、立ち尽くしている。
「…おぬしら…何をしておるのだ?」 「な、なにも」
小さな教室で繰り広げられている光景に、時田が首を傾げる。 そうだ、何もしていないし、何も言われていない。 何もなかったのに、なんでか胸のあたりがざわざわとする。
英が隠した表情、声にならずに飲み込んだ言葉。 それらが気になる理由は、分からない。
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