「い…」

カップを握る手に力が入り、カップがカタカタと音を立てて揺れた。目の前にいる人物は端正な顔を歪める事もなく首を傾げる。その仕草に合わせて、窓から差し込む光できらきらと陽に透ける髪がさらりと流れた。ああ、厭味なくらい、綺麗だ。
この、見掛けだけはどこかの国の人形みたいな終夜が、今まさに、俺の平和を脅かそうとしている。

「いやだ」

苦虫を噛み潰したように眉根を寄せたのを見て、終夜はふうとひとつ息を吐いた。

「どうしても、と頼まれてな」
「あんな恥ずかしい事はもう二度としたくない。却下だ」

あんな事。当時の事を思い出して頭が痛くなった気がしてこめかみを押さえる。
普段お世話になる事はない眼鏡をし、伸ばしたままの少し長めの髪の毛を掻き上げ、肌を晒す被写体となった。多くの赤の他人の前で、指示されるがままにポーズを取らされシャッターを切る音と光を幾度となく浴びる。その場だけ我慢すればいい。そう思っていたのに、どうやらその考えは甘かった。よく考えればわかる事だったのに。
その場で十二分に辱められ、やっと終わったと肩を落とした日の事は忘れない。それが、悪夢の始まりだったから。
終夜プロデュースブランドの広告ポスターは、街中に出ると、これでもかと言わんばかりに目に飛び込んでくる。もはや目にしない日はない。これがこの街だけでなく全国にあるのだと思うとゾッとする。知らない女子に追い掛け回された事もあったし、いたるところで視線を感じるようになった。撫子に話した時は笑って「良かったわね」と言われた。何が良い事なのか説明して欲しい。

たかだか一回きりの手伝い。そう思っていた自分が間抜けだったんだ。
終夜の人気を理解していれば、こんな事にはならなかったのに。【あの】時田終夜だぞ。宣伝力が強いに決まっている。

「この件については、私の願いでもある。馴染みのカメラマンに言われたからというだけではない。私としても、そなたのイメージが強いのだ。」
「何を言っても無駄だぞ。やらないったらやらない」

口を一文字に結ぶと、お手上げだと言わんばかりに終夜が首を振る。

「そうか…無理強いは出来ぬ…。してここに、HANABUSA新作スイーツ、濃厚卵黄ふわふわプリンがあるのだが」
「…やる」
「おお…!そうか!そうかそうか、やってくれるか!再びそなたと共に仕事が出来る事、嬉しく思うぞ」

そう言って終夜は手元のカップを口へと運び、目を細め微笑んだ。人気俳優なだけあって、それだけで絵になる。テレビで見掛ける終夜よりも、こうして実際に会って顔を合わせる方が断然多いのに、終夜を見てそう思った。
終夜の纏う空気は華やかで、それでいて親しみやすさを感じるあたたかさがある。長年の付き合いになるからそう思うのかもしれないが。

「おぬしは、相変わらずだな」

プリンでやすやすと手を打ってしまう事をおそらく言っているのだろう。それで釣られてしまった自分はなんとちょろいのか。最近はその手には乗らなくなってきたが、HANABUSA新作のあのプリンならば話は別だ。
店頭に商品が並んだ瞬間に消え去るという噂は噂ではなく、連日足を運んでいるにも関わらず未だに出会えていない。愛らしい文字で売り切れと書かれた札が出迎えてくれるだけである。そう、まだ食べていないんだぞ、と心の中で叫ぶ。大学の授業を抜けてでも買いに行こうかと思っていたところだったのだ。限定10個と決めた、ここには今いない央を恨めしく思う。
にこにこと笑う終夜からふいと顔を背け、カップの中の紅茶を飲み干した。





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