「トラくんみーっけ。ほんと、どこでも寝ちゃうんだから」
「…今何時だ」
「もうすぐ下校時刻だよ」

いつから寝てしまっていたのか。
図書室の窓辺で日向に当たりながら寝ていたはずがすっかり陽が暮れてしまって、金星が明るく瞬いている。

「僕借りたい本あったから、まだ寝てていいよ」
「…いや、起きる…」
「じゃあ少し待ってて」

そう言って背を向けて歩く英の背中を見てはたと気付く。
いやいや、こいつを待ってやる義理はないだろう。椅子から重い腰を上げると、去ったはずの英が本棚からひょっこりと顔を覗かせ目が合った。

「先に帰らないでね!」
「………へーへー」

待ってやる必要もないが、先に帰る理由も特に思い浮かばない。

先手を打たれて、オレは諦めのような生返事をすると、英は満足したように頷き、また本棚の合間を縫うように消えていった。
再び椅子に腰を降ろし、窓の外を眺めると雪がちらついていた。
寝起きの頭はぼうっとしていて、あくびをすると目尻に涙が浮かんだ。

居眠りで凝り固まった首を揉みほぐしながら、まだはっきりとしない視線を彷徨わせていると、見覚えのある本のタイトルが目に入る。

「初等部の時に読んでたやつ、続き出たのか」

懐かしいなと思う気持ちと、あの続きは一体どうなったのだろうという好奇心が同時に湧き上がる。

(どうせ英が戻ってくるまで特にする事もないしな)

引き寄せられるように本に手を伸ばす。

「……………」

届かない。
いや、そんな筈はない。ちょっと背を伸ばせば問題なんて何も、

「…………………」

届かねえ!
まじで届かねえ!

ぷるぷると震える爪先を情けなく思いながらも、自分の身長では取れない事を認めたくなくてつい意地になる。
ちらちらと視界に端に脚立が映りこんできて舌打ちをする。あれを使ったら、負けな気がする。
ぐっと爪先と伸ばす指先に力を込めると、本の背表紙に指が掠め、うまく引っかかって目的の本がきれいに一冊だけ抜ける。
お、と達成感を感じたのも束の間、一冊の本に引きづられるようにぎゅうぎゅうに詰められていた本が一斉に抜け始めた。

「は、はぁ!?」
「トラくんお待たせー。本借りれたよー、って、えっ!?何してるの!?」

頭上に降ってくる本の隙間から一瞬だけ英の姿を捉える。
避けるにも間に合わない。腕を頭の上に掲げ目をぎゅっと瞑ると、強い力で引っ張られる。

「うおっ、…と」
「わ〜、危機一髪だ」

背後でバサバサと本が床に落ちる音が聞こえる。後ろを振り返ると予想以上の量の本が落ちていて、あれを全部食らっていたらと思うとゾッとした。

「………び、びびった」
「それはこっちのセリフだよ…」
「目さめたわ」

はぁ、と息を吐きながら顔を上げると至近距離に英の顔があり一瞬思考が停止する。
視線だけを動かし状況を見ると、腕を掴まれたまま、英の腕の中に収まっていた。
…なんだこの体勢。
ふわりとかすめるように英の息が頬に当たり気まずくなる。

「んだよ、余計なことしやがって」
「ちょ、トラくん急に動かな、わ、」
「おまっ、手離せよこんのアホ…!」

離れたくて身じろぎをするとバランスを崩して英が倒れこむ。
一人で転べばいいものを、英ががっしりと腕を掴んだままで巻き込まれる。これが二次災害ってやつか…と頭の片隅で思った。
仰向けになって倒れた英に跨るように覆いかぶさると、英がオレの顔を見上げて笑い出す。

「ぷ、あははっ、なーにやってんだろうね。せっかくかっこよく決めたと思ったのに」
「…まあ、バカやったわな」
「司書さんに謝らなくちゃだ」

眉を下げて笑う英に胸がざわついた。
オレが巻き込まれたんじゃない。オレが、こいつを巻き込んだんだ。
面倒事を起こしてばかりのオレに、どうしてこいつは笑っていられるんだろう。
もやもやとしたものが溢れ出そうになり唇を噛むと、そっとその端に英の指が触れてハッとする。

「な…、んだよ」
「トラくん…」

じっと覗き込んでくる英の視線に耐えられず目を逸らす。英の胸に置いた手のひらはじんわりと汗ばんでいる。
この甘ったるい雰囲気は一体なんなんだ。よからぬ発想が一瞬頭を過ぎったが、それを否定するようにかぶりを振った。
見た目からはわからなかったが、触れてみると案外しっかりとした身体つきをしている。
さっき抱き寄せられた時も、思いの外ごつごつとしていたな、と思い出し身を強ばらせた。
なんでこんなに緊張してんだろ、と未だに目を合わせられないでいると英が頬のあたりを撫でて口を開いた。

「そろそろ降りてもらってもいいかな…トラくん、重い…」
「あ?」

一瞬でも雰囲気に飲み込まれそうになっていた自分に気付き恥ずかしさを覚える。
大袈裟に苦しそうな顔をする英に腹が立って鼻を力一杯つまむと「ふがっ」と奇声を上げるもんだから現実に引き戻された。

「トラくんって身長の割りに重いよね〜」
「うるせえな、筋肉だっつーの」

制服についた埃を叩きながら立ち上がり、バラバラに落ちた本を拾い上げる。
こんな事になっちまったしさすがに戻す時は脚立が必要か…。本をじっと見つめていると英がひょいと取った。

「本取ろうとしてこうなったの?届かないなら脚立使えばいいのに」
「………………」

何も言い返せなかった。何を言ったところで馬鹿にされる気がしてだんまりを決め込むと、「トラくんは意地っ張りだなあ」と結局笑われた。
お前だって届かないくせに、と心中で悪態づきながら英の後ろ姿を見ていると、オレが拾い上げた本をあっさりと元の場所へと戻していく。

「……お前、また身長伸びたのか」
「えー?どうだろう、自分じゃよくわかんないなー。あっ、大丈夫!トラくんもそのうちすぐに大きくなるよ!って痛い!なんで蹴るの!?」
「むかついたから」

へらへらと笑う英に無性に腹が立った。
全て本棚に戻し終わったのか、床にもオレの腕の中にも一冊の本も残っていない。それなのに、本棚を見上げると本が一冊入るだけの隙間が空いている。
そういえばオレが取ろうとしていた本だけがないな。疑問に思い首を傾げる。
英の方を見ると視線に気付いたのかにこりと笑った。

「司書さんに謝って、そしたらこれ借りて帰ろっか、トラくん」

これ、と言って英が見せたのはまさしくオレの目当ての本だった。
どれを取ろうとしていたかなんて一言も言っていないのに英の手にはきちんとそれが収まっている。
…ああ、そうだ、こういう、なんでもお見通しみたいなところも、

「むかつく…」
「ん?なに?」

口を開こうとして、ふと窓ガラスに映りこんだ自分の顔を見て驚愕する。

「なんでもねえよ、帰りに肉まん奢れ」
「え〜」

ぶつぶつと言う英に、目を合わせないよう背中を押した。
顔が赤らんでることを、気付かれたくなかったから。






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