とある悪夢のお話


「近藤さん、俺たちはこれからどうなっちまうんだろうな」
 そう背後から飛んできた土方の言葉を、近藤は机に向かって書き物をしながら聞いていた。声を聞いただけで、近藤は土方が今どのような顔をしているかが手にとるように分かった。弱気な鬼の言葉に、近藤はつい現実から目を背けたくなる。
「どうしたんだトシ、急にそんなこと言い出して」
「急に、じゃねぇよ。ここしばらくずっとこんな感じじゃねぇか」
 すがるように見つめる土方の視線に耐えられず、近藤は筆をとめて背後を振り返る。
「今の新選組はどこを見ても問題ばっかりだ」
 土方は無表情にそう呟いた。
「幹部連中すら万全の状態じゃねぇ。総司は何もいわねぇがあれは死病だ、平助は羅刹になっちまったし、山南さんだって昔とは変わっちまった。新八と原田も今の新選組に疑問を持ってやがるし。平隊士も伊東の離隊やら暗殺やらでざわざわしてやがるし、幕府の不安定さにどいつもこいつも不安になってるんだろうよ」
 ぼそぼそと下を向いて話すその様は「鬼の副長」の土方らしからぬ姿だった。
「それに雪村を狙って鬼の奴らまでいろいろと介入してきやがる。…なんだってこんなに問題ばっか起こるんだよ」
 昨今の幕府の不明瞭さと政治不安は町の様子を見ているだけて身にしみて感じた。この土方にこんな顔をさせてしまうのだから、時代の流れは激しさを増すばかりだ。
「最近」や「もうすぐ」の話をしていると思いだされるのは昔のことばかり。幕府に認められ、池田屋事件で功績をあげ、新たにお役目を与えられ。あの頃が一番新選組が輝いていた時期なのではないだろうかと近藤はふと思った。昔はあんなに幸せだったのに、というのは皆の心に共通している考えだった。しかしそれを口に出してはいけないとわかっているのは副長と局長のまさにその二人だった。現実はそんなに甘くないし、夢はそんなに優しくない。まるで夢を見ているようだと土方は幸村にかたったことがある。そう、まさに夢だ。夢が幸せな夢とは限らない、悪夢も夢のひとつであろう。そんな儚い夢だとしても、彼らにとってはやっと手に入れられた唯一の希望だ。消えないよう悪あがきするしかない。例え覚めてもそれが悪夢の続きだと信じ続けなければ生き続けることなどできそうもない。それほどまでに新選組は二人が全てを注いで作り上げたものだった
「幕府が俺たちを他の部隊と統一させたがってるみてぇな話も耳にしたことがある。俺は…」
「トシ、」
「なぁ近藤さん、あんたは、新選組は、なくなっちまうと思うか?」
 最早視線は完全に近藤から外れて自分の膝へと落ち、ひとつひとつ言葉をひねり出すように土方は言った。
「俺とあんたが作った新選組はっ…そんなに、そんなに脆いもんだっていうのかっ…!」
 壊れた時代のなかで翻弄されてゆくのは新選組だけではない。それでも目に見えない何かがばらばらになっていくのを感じながら、彼らは生きていた。
「…かっちゃん、俺とあんたが追いかけてきたのはそんなちっせぇもんだったのか…?」
 昔の呼び方で弱々しく彼を呼ぶ土方は、まるで助けを求めているようで。
 近藤は何かにこらえるように肩を震わす土方を思わず抱き寄せると子供をあやすように背中を撫でた。なにより近藤は、鬼の副長の弱い顔を見ていられなかった。
「あんまり背負い込みすぎるな、トシ」
 幼馴染の弱さを知っていながら、そんな彼が鬼でなくなることのほうが近藤はよっぽど恐ろしかった。
「俺とお前が作った新選組なんだ…お前がこんなところで立ち止まってどうする…」
「辛いんだ…あいつらを見捨てることなんざできねぇ、でもそれだと新選組は、どうなっちまうのか…」
「そんなこと言うなんてお前らしくないぞ?俺たちが駄目だと思ったら、新選組は終いなんだ…」
 優しい近藤の声色に対し、土方は黒髪を揺らして首を左右に振った。
「違うんだ…なんだかよくわかんねぇけど…すごく、怖いんだ…」
作り出してしまったからには俺たちで蹴りをつけるしかない。終焉へ走り出した運命は止められない、しかし立ち止まることは許されない。新選組を正しく導けなかったとしたら、それは自分たち二人の責任だ。
「お前ばかり苦しまないでくれ」
 どうか、どうか一人で背負い込まないで欲しい。かと言って土方の持つ荷物を下ろさせることは出来ない。土方の歩みを止めさせることはできない。
「さっきいっただろう、新選組を作ったのは俺とお前のふたりだと」
 武士になりたいという志だけで、ここまで駆け抜けてきて、今更鬼でいなくてもいい等と告げることのほうが残酷ではないだろうか。それは土方が積み上げてきたもの、もしくは失ってきたものを否定するのではないだろうか。
「ならばその苦しみを一緒に背負いこむのも俺の役目だ」
 近藤はそう言って、しかし自嘲した。共に背負うなんて、出来もしないことを。彼に負担をかけたくはないが、志のためには土方に鬼でい続けさせるしかない、そんな矛盾に笑いが漏れる。ああ、自分は本当に土方を救う気があるのだろうか。
「今だけは、気張らねぇでくれ、トシ…」
「かっちゃん…」
「今だけは、な」
土方は近藤の分厚い胸に額を押し付けると声を殺して涙を流した。声は出せない。鬼は近藤の前以外では「鬼」でなくなってはいけない。唇をきつく噛み締め、それでも涙はぼたぼたと近藤の膝の上に落ちた。苦しみと悲しみと憎しみと寂しさと絶望が綯交ぜになった涙が頬を落ちていく様子を見て近藤は優しく笑う。
勿論土方は他の人間の前で泣かないし、泣こうともしない。「鬼」の面を自分の前でだけ外してくれるこの男への優越感を抱く。いや、優越感というには複雑すぎる気がする。なんだか酷く孤独感のようなものを感じた。
「俺たちはこんなところでくじけるわけにはいかないんだ…だからトシ、お前はまだ鬼の副長のままでいてくれ」
だが本物の鬼にはどうかならないでくれ、これ以上赤い水で壊れる新選組は見たくない。
「俺はあんたのためなら、あんたの夢のためなら鬼にだってなるさ…あんたの夢は俺の夢なんだからな…」
「すまねぇな…」
「謝んなよ、かっちゃんらしくねぇ」
 目を真っ赤に充血させてるのに笑おうとする土方が痛々しくていじらしい。近藤が無骨な指で涙で濡れた頬をそっと拭うと、引き寄せられたように唇を塞がれる。
どうしようもなく募った愛しさと苦しみを分かち合うことのできる唯一の相手だから。だから、だから今だけは弱いままでいたい。そうして明日からまた世界と戦い続ければいい。名残惜しむように一度離れれば、土方の切なく潤んだ瞳と目が合ってしまい、そうしてもう一度口付ける。一瞬の時間と、少しの空間にすら耐えられないように、土方は近藤に縋りつき、近藤はそんな土方を優しく受け止める。鬼の副長に仮面を外すことすら許さない局長の腕の中で、土方は確かに幸せだった。



「すまねぇなトシ…」
「なんで近藤さんが謝るんだよ…俺だって覚悟決めてここまで来たんだ、俺だって他の奴らだって、あんただけを責めたりしねぇよ」
 涙を拭う様子はまるで子供のようだったのに、顔を上げた土方はまたいつもの鬼の面を付け直していた。
「何かあったらすぐに俺に言ってくれ」
「当たり前だろ?あんたは局長なんだから何かあったら一番に報告するさ」
「いや、新選組のことじゃなくてトシ自身のことさ」
 お前は無理ばかりするから、といえば、土方は一瞬目を見張り、すぐにくすくすと笑った。
「無理をしてるのはあんたのほうじゃねぇか、俺はただ、」
 近藤の骨ばった指に、土方の指がするりと絡まる。
「ただたまに、あんたが傍にいてくれたら、いい」
 いつまで傍にいられるかさえ分からねぇんだ、と心の中で呟いた。



<作 : 深月>



幕末近土でした。
この二人だからこそというか二人だけしか共有できない気持ちがあったんじゃないかなーと思っています。





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