消えた影



函館五稜郭。
夜半、大鳥圭介は恐る恐るといった風に、目の前の扉を叩いていた。
「土方君…いるかい?」
名前を呼んでみたが予想通り反応はない。
たった今終わったばかりの軍議は、扉のむこうにいるだろう男、土方歳三の機嫌を、すこぶる悪くしていた。
「土方君?」
待てども待てども返事はなく、入室の許可どころか、声を聞くこともできない。
このままでは埒があかないと、詮方なく、大鳥はゆっくりと扉を開け、部屋の中へと足を踏み入れた。
土方は窓辺に立ち、煌月を見ていた。
否、見ていた、というよりは視線をただ投げているだけと言った方が語弊はないだろうか。
月明かりに照らされ浮かび上がった彼の表情は、不機嫌を隠そうともせず、むっすりとしている。
「俺は部屋に入って良いとは言っていない筈だが」
「う、うん…ごめんよ」
「………」
大鳥の存在を無視するかのように背を向けたまま、けれども明らかな苛立ちを露わに舌打ちなどする土方は、やはり心中穏やかではないらしい。
大鳥は背筋を冷や汗が滴っていくのを感じた。
やはり、触れずにおくべきだったか、そう思い、大鳥が静かに踵を返そうとした時だった。
「待てよ」
ふと呼び止められて足を止める。
「…なんだい?」
「もう少しここにいろ」
「わかった」
「そこじゃねぇ、こっちに来いよ」
「あぁ、うん…」
手招きをされるままに大鳥は土方の側に寄り、彼の隣に立った。
そして視線に促されるように窓の外の月を見上げ、その優しくやわらかい光を見つめた。
「なぁ」
暫くの無言の後、土方はおもむろに口を開いた。
思いつめたような声色にはっとして、大鳥は彼の横顔を仰いだ。
「大鳥さん、あんたは…」
「……」
「あんたは、俺をどう思う?」
「どうって…常勝将軍さまさまだよ。君の戦い方、智略、姿勢、どれをとっても尊敬に値する」
「そうじゃねぇ」
賞賛の言葉は、深いため息とともに、ぴしゃりと遮られた。
土方の言わんとしているところは、少なからず大鳥にも理解できた。
常勝将軍土方歳三は、彼なりに、ここ五稜郭における自分の存在に、違和感に似た感情を覚えているのだ。
先刻の軍議に限ったことではなく、かれはこの場所において、どこか浮いていた。
意見が合わないのは勿論のことだ。
恐らく土方は、大鳥も含む五稜郭の面々を気に食わなく思っているであろうし、そしてそんな環境下で自分の立場とは何なのかと、途方に暮れているのだろう。
「常勝将軍だなんだと、あんたらは口先では俺を誉めるが…本当は微塵もそんなこと思っちゃいねぇんだろ?分かってんだよ」
「……」
「早く始末してぇと…本当はそう、思っているんじゃねぇのかよ」
「…」
「大鳥さん!!」
黙り込む大鳥に、土方はとうとう声を荒げた。
はっきり言ってくれ、自分が憎まれているのは分かっている、必死の形相でそう言いながら、大鳥の肩を掴み揺さぶる。
大鳥はされるがままになっていた。
血を吐くような土方の心の叫びに、なんと言葉を返して良いものか、見当がつかなかったのだ。
確かに、土方の懸念は的を射ていた。
この五稜郭において、内部で土方を嫌う者は多くいた。
その者たちは、土方のやり方に反対だとは言っても、実際彼の判断は的確であることが多く、口を挟めない、そのことが悔しいのだろう。
土方を暗殺すべきだとする意見も無くはなかった。
しかし大鳥は、土方のことを決して悪くは思っておらず、むしろそんな彼の様子が痛ましく、気の毒にさえ思っていた。
無論、そうとはおくびにも出さぬ。
自分が同情されていると知れば、土方はそれを快しとはしないだろうからである。
大鳥は常々思うのだった。
土方は詰まらない内部の諍いで殺されるべき人ではないと。
戦で死ぬのならまだ良いが、味方同士で無駄に貴重な命を失わせるとは、何事かと。
結局のところ、土方を抹殺しようなどと考える者は、先を見ていない。
いや、五稜郭を真に守る気など、端から持ち合わせていないのかもしれないーー。
「大鳥さん」
「……」
「俺の勝手な判断だが……俺は、あんただけは信じている」
「っ……」
伏せられた土方の目は痛切な光をたたえて揺らいでいた。

***

「なに、土方君が…」
思わしくない戦況。
新政府軍の箱館総攻撃は、こちらの敗北が見えてしまっていた。
ああこれで終わってしまうのかと、落胆と悔しさとで打ち震えていた矢先のことだった。
土方が命を散らせたとの知らせが、大鳥の元へ届いたのは。
「そう、か……」
驚くほどに眼球は乾ききっていた。
大鳥は地面にゆっくりと視線を落とし、血が滲むほど強く拳を握って歯軋りをした。
土方が本当に戦で死んだのか、内部の手の者によって殺されたのか、それについては大鳥には知る術もなかったが、襲い来る堪えきれないほどの胸の痛みに、大鳥は喘いだ。
脳裏には勇ましく逞しい常勝将軍の姿が明滅しながら映り、消えた。
涙は唐突に訪れた。

END



<作 : 智様>







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