次の日も次の日も彼女はベンチから練習を見ていた。
そうなるとなんだか日課のようにベンチに目をやるようになり、彼女が視界に入った。 意識して見ていた訳じゃない、ただ、「あぁ今日もいるなぁ」と頭の片隅で思うのが当たり前になっていた。
沢村にさり気なく聞いた所、彼女は苗字と言うらしい。
松葉杖についても聞いてみたが、「いやーちょっとわからないっすね!」と、全く役に立たなかった。
だからと言って本人に話しかけるほど気にしている訳でもないのだけれど。
「御幸!次移動だぜ?」
「あぁ今行く」
移動先は階段を上がった先の音楽室。 その階段で、彼女を見つけた。
「…あ」
思わず声が出てしまったが、苗字は自分にかかった声だとは思わなかったようで、振り向くことも無かった。
相変わらず松葉杖を右手に持ち、階段を見上げていた。
「大丈夫か?」
今度は苗字がわかるように、横にたち声をかける。
「え?あ…!はい、大丈夫です」
さすがに苗字の方も毎日野球部の練習を見ているだけあって、俺が誰だかはわかったらしい。
「階段登れるのか?」
「はい。大丈夫です」
返事をした苗字はニコリと微笑んでいて、嘘はついていないようだった。 その時始めて苗字の顔をはっきりと見た、沢村が「美人だって人気があるんすよ!」と言っていたのを思い出し、確かになと思った。
苗字は足に痛みがあるのか、時々休みながら松葉杖を使い、ゆっくりと階段を一段ずつ登って行く。
それを下から眺めながら、あの怪我はいつ治るんだろうかと考えていたら、 上から彼女が「あの…き、気になっちゃうんで前、歩いてください!」なんて言ってスカートの端を押さえた。 こちらを振り返った顔は真っ赤に染まっていて、思わず押さえた裾の中に目が行ってしまった。
違う。 断じてそういうつもりじゃない。 誤解だ!
そんな俺を倉持のやつが「いやだーさいてー!」なんて冷やかして笑ってやがる。
「ふざけんな倉持。大丈夫、ピンクのレースとか見てないから」
「ちょっ!御幸先輩!!」
あ、やべ。 とりあえず、話を逸らそう。
「俺の名前知ってるんだ?」
「え?そりゃあ…御幸先輩知らない人なんていないと思いますけど」
「それはどーも。苗字さん」
彼女の名前を呼べば、びっくりしたように目を見開かれた。
「毎日ベンチにいるから気になってた」
「うわっバレてたんですね。恥ずかしい」
「とりあえずさ、チャイムなるし上がろうぜ」 そう言って苗字から松葉杖を奪うと倉持に預け、苗字の前にしゃがんでみせる。
「え?いやいやいや、大丈夫です!」
「いつもなら1人でも大丈夫だろうけど、今日は喋ってたからさ、時間ないだろ?授業遅れるぞ」
俺達も苗字があがりきるまで行かないつもりだけど、授業遅れるなぁこれは。 意地悪く言えばようやく俺の背中に乗った苗字は、軽くて、暖かくて、柔らかかった。
「…ありがとうございます」
「無理矢理乗せたんだし、お礼言うことじゃないだろ」
じゃ、また放課後な。
なんて、なぜ言ったのかは自分でもよくわからなかった。
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