かどしず | ナノ
 

思えば俺は昔から前髪が鬱陶しいほどに伸びてきたら自分で100均はさみを持ち出してゴミ箱の前でちょきちょきやってたような人種だったので、本来、あの男のように理髪店で清潔に整えてもらうのが常識だとでもいうような人間にかかわることもなかったはずなのだ。別に自分の髪型に自信があるわけではなかったが仮に「その髪格好いいね、どこでやってもらってるの?」とたずねられたとしても「いや、俺自身っすから…」としか答えられず、会話が膨らまないどころかそもそも成立しないのだ。「へ、へえ…高校生にもなって?」と当時でも微妙な顔をされること請け合いだから、この手の会話はいらいらすると言ってもいい。
しかし門田京平という変わり者は、その返答に対し「まじかよ。すげーな」と、どうしてだか感嘆したのだ。
さっぱりわけはわからないが、俺が便所に行くべく席を立とうとしたとき教室のドアから入ってきた男とぶつかりそうになった、たかがその程度の男がじっとこちらの顔面を見て「その斜め切り、似合う人間を選ぶと思うんだがお前の顔には妙に合ってっからよ、どんな腕のいい美容師なのかと思ったんだ」などどはにかみながら言ってきたのである。恐ろしい男である。何が恐ろしいって、あの男は媚びや諂いのおためごかしで口にしたのではなく「そういやさー、次の授業なんだっけ?」とすぐに次の会話に移れるような気軽さで述べたところであった。
平和島静雄16歳的に言わせてもらうと、そういう他愛もないやり取りは高校生活も2年目を迎えてしまうとぱったりと己の身の回りから消えており、ゆえに大して素敵な言葉を見つけられないまま「知らねえ」なんて面白みもくそもない返答しかできないのである。いくら新学期でクラス替えをしたとはいえ、天敵折原臨也との泥試合を知らぬ来神生はいないだろうことをすっかりと弁えていた俺は、今年やる修学旅行の班決めのこともこの時点で既にあきらめていた。
けれどこれまた不思議なことに、門田京平は、その会話ともいえぬ会話のあと、「よお平和島」「おう平和島」と、不毛な鬼ごっこあとの心身ともにコンディション最悪なままふらふらと教室に帰還しそのまま机に突っ伏して身動き取れなくなっていた俺の元に寄ってきたのである。何度も何度も。
そうやって門田京平は岸谷新羅のような物好きを通り越した変態がこの高校にはまだいたのかと、こいつも人体の神秘に興味があるのかと、勘繰っていた俺をもいつの間にか懐柔していったのである。俺がうら若きぴかぴかの高校2年生のこのときから思っていた、いつか離れていくんだろうな、がだんだん離れていかないで欲しいな、に変わり、あんなやつ離れてもいいと激怒させられしかし、ああ離れていく、と思ったのもつかの間、えっ離れないのかよ!?と驚愕させられることになるのであった。門田京平という男は、とりわけ我慢強かった。別に清廉潔白な真人間というわけはなかったが、いや、真人間というか本当に人間なのかも怪しいものだ。汚い手だって裏ではいろいろ使っていると嫌な筋から聞かされたが、少なくとも俺の前ではそういったことを表に出すことは一切なかったし、暴力をにおわせずただただ包容力を物言わぬまま見せる門田京平の物腰というのはもはや、高校生のそれではなかった。

気づけば卒業から5年。切れそうで切れない縁はまだ続いている。

たとえば俺はあの男のことが大好きだが、あの男の周りに居る人間のことなど微塵も好きではない。あいつを少なからずあいつにせしめた影響とも言えるあの男の交友関係のすべてを、俺は好かなかった。別に人間嫌いな性格のわけではないのでそういったやつらとも最初は仲良くしたいと思わなくもなかったのだが、すぐに合わないとわかった。「お前の髪の毛いいな」と言った人間が門田だから成り立った関係なのであり、その周辺にまでその回答を、人間性を、度量を期待してはおらず、またかかわる気もない。門田京平の結婚式やら披露宴やら葬式やらに俺は絶対に参列しないだろうと己で確信している。一人で祝いホールケーキを買って一人で食べて喜ぶし、一人で泣き寿司を一人で食って悔やむに違いない。
門田京平は好きだが門田京平の環境までもを俺は愛せない。そんな器の小さな人間なのである俺は。
というかあの男が「好ましい」と評した俺のこともまだ好きになれないのだ。高校2年生、素直に受けれたあの人好きのする笑顔を今は見れず、はあ奴の目に触れたくないと思いながら、背後からかけられる声を黙殺する。トムさんと幽とセルティと変態眼鏡。それだけ居ればいいと自分に言い聞かせて、あの優しい友人の「静雄」という声を消す。もはや俺はあいつの行きつけの理髪店の店長の子どもの名前まで知っているというのに。



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