チカダテ | ナノ
 

「ふられた」
 昔は城主だったこともある伊達政宗はしかし今の世ににょよんと生まれ変わってからは勇ましい前世をものともせず女に振られたというただそれだけの理由で怠惰に落ち込み夜7時に俺ん家に逃避しては我が物顔でベッドによじ登りばたりと横たわり、低い眼下を眺め「ああ死にたい」と落ち窪んだ生気の感じられない声でそうおっしゃるのだった。風呂上りをインターフォンで中断させられていた俺が風呂に入りなおしてから出てくるまでの約10分間、招き入れてやったときからシーツの皺一つにいたるまで位置が変わっていない。今回は一段と残念な振られ方をしたのだと容易に察しのつく凝固ぶりに、冷蔵庫からダイエットコーラを取り出して鼻くそが飛びそうなくらい豪快に鼻で笑ってやった。
 かつては奴としのぎを削ったこともある俺様猿飛佐助さんは現世でも手のかかる子の面倒見なくてはならない運命であるらしく、真田の旦那の代わりなのかこのうどの大木は割りと人生の初期から介入してきていた。ええっと、小学4年生の頃かな。それが大学2年の現在まで続いているのでもう10年の付き合いとなるが、それが長いのか短いのかはわからない。散々っぱら世話を焼いてやった真田でも武田でもなくこいつとの縁が続くのは奇妙というか釈然としないというか不条理を感じるのだが、うじうじとした後姿は全力で構えアピールをしてくるので人のいい俺様は無碍にも出来ない。ヒュウーやっさしいー。「だから女なんかやめとけっつったじゃん」俺様の所有物の上に載ったものも所有物です論を長い付き合いで理解していないわけもないだろう相手なので、遠慮もなくその背中に座る。何百年前よりは幾分か肉付きの薄くなった背中は安定感抜群で、尻でぐりぐりと押しながらコーラのクソ苦さを楽しむ。下から響くリップ音。
「ち、慰めろよ。俺ふられたんだぞ」
「可愛いお口で舌打ちなんか止めてよ。アンタが悪いんでしょ?」
 俺様というものがありながらさ、と。胡坐から正座にスタイルを変えてはみたが、脛に背骨が当たりこちらにも結構なダメージがきた。よっぽど前前世あたりに悪いことをしたのか前世のトレードマークだった彼の眼帯は今回も継続している。うつぶせの奴はさっさと顔見せなよとこちらが言うまで隠れた右側しか向けてこない。コーラをぶっ掛けてやりたいがその下にあるのは俺のベッド。
「そのまま動かないつもりなら上で課題やるかんね?」
 文章論のレポート締め切り忘れちゃってたんだよね、と現代っ子特有の長い右手を伸ばしてノーパソを取る。無いと困るものは常に半径3メートル以内に収めるこの主義は現状を思えばゼロ距離密着している男のことまで大切扱いの範疇に入れることになりそうだがべ、別に、そんなんじゃないんだからねっ。半分くらい減らしたコーラはよっこらしょと床、ベッド脇に置く。反応の無い男の上でカタカタと脳みその裏側に沸く話を書き連ねる。雨月物語と檸檬と醒睡笑を読んで自分でも3200字短編を創作してみましょう。いいよね現代ってただの道具だった元忍が心の中を形に出来ちゃうんだから。「ねー政宗ちゃん」と屍状態の男に呼びかけるが、返事はどこまでも無い。
「政宗ちゃんさあ、どーして女に走るかなあ。そんなに俺様いや? せっかく一人だけ許容してあげたのに、それでもだめなの?」
「……ふられた」
「つーか、普通の女じゃあ政宗ちゃんこそ満足できないでしょ? 俺様の理解力と包容力と指導力と家事力すごくない? 言っちゃあなんだけど、俺様ほどいい恋人イねーと思うよ」
「……まじ、いい女だったのに……」
「はぁ……ああもうムカつくこの主人公ぶっ殺そう」
 もぞ、と久しぶりに呼吸以外の反応があった。「ん? どうしたの」と殊更に優しい声を努めて出して聞こえないよと髪の毛を掴んで久しぶりに上を向かせる。きれいな顔してるね。死んでるんだぜこれ。片目を覆う眼帯の白さにむずむずと帰服しがたい感情が出てきそうになる。パパパンと打ち払うに限る。浅慮に曇った左目はうっそりと俺を映す。
「なあ」
「あん?」
「お前っていつまで俺のもんなの?」
「お前のもんじゃねーよ。お前が飽きるまでだよ」
 あったりめーだろ早々簡単に幸せになってもらっちゃ困る。何のために人が中学時代から眠い目こすって作った弁当食わせてたんだよ、俺佐助が居ないと駄目死んじゃうくらいまで言わせないことには前世からの因縁にもとずく復讐は終わらない。解放もしてやらない。実は俺こいつに殺されたんだよね前世。
「あ……悲しい」
 倦む左目はついにはうっすらとした涙まで浮かべてくるからいよいよもってこれは超乱暴で陥れるだけのセックスでもして黙らせてしまったほうがお互いのためにもよいかもしれない、と思って反射的に体を翻してパソコン落としてコーラも蹴って床はきっと半分の炭酸でぬるむけどそんなことよりこの男を服従させてしまおうと明快に考えて、その下半身に右手を伸ばそうとして、伸ばして、ざらざらとした陰毛に指の先が触れた瞬間だった。

「まっさむねー! 遊びに行くぞー!」
 
 ひどく晴朗な声がインターフォンを突き抜けるくらいに室内に響いた。ぴたりと固まった俺とは対照的、だらだらと凝固していた政宗はその声一つで目に活力を取り戻して、俺を押しのけガバリと起き上がった。「元親!」玄関まで駆ける後姿はコーラの沼にも歪むことなく振り返ることも無くぱたぱたと先を行く。女に振られて、俺様の下に来て、なのに俺が許した例外の、たった一言で元気になる。俺じゃねえのかよ、なんでそいつなんだと、言いたくなくて5年前、「チカちゃんならいいよ」なんて嘯いた。いいわけあるか、お前は俺の手で潰えるんだ、と叫ぼうとする舌を、この5年何度、齧っただろう。俺はあいつを壊滅させるためになんだってするつもりだけど、唯一、できないことがあった。
 なんであんな奴まで生まれ変わってくれたんだ、なんであいつと出会っちまったんだ。お前らなんて何も、何も覚えてない癖に。はじめましてなんて真っさらな挨拶を交わしていたくそに。俺は言わない、なにもかも覚えていたから、はじめましてなんて絶対に言わない。
 俺ができないことをさらりとやってのけるような男が、なぜよりによってあいつのもとにしゃあしゃあと出てきたんだ、どうして、俺とあいつの関係が定まった後になって来やがったんだ。
 俺はあいつになんだって与えてやるし、だからあいつは俺だけで生きればいいのに、俺に甘んじて、俺に殺される君が君なのに。
 玄関先から「やっぱりここかよお前、佐助の手空いてるか?」「ああ、呼んでくる」という人畜無害に爽やかなやり取りが聞こえてきて、俺はここから「ごめん、俺様やってない課題があるんだ」と大声を出す。えっまじで、どうすっか、という戸惑いの声まで聞こえてきて、そんなチカちゃんに「いいよ! 二人で行ってきなよ!」と返答。それに、コーラを拭かなくちゃいけないんだ。床に零しきったコーラを。俺は。







カレシ気取りの佐助(記憶アリ)とヒモのような筆頭(実はアリ)と筆頭の生きる希望兼親友なアニキ(ナシ)の三角関係。




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