チカダテ | ナノ
 



これの続き


イカ、ハマチ、コハダ。元親がこの順番で攻めることは知っている。あの高校を卒業して3年、今もきっと変わっていないだろう。お絞りで手を拭き、雑談をしながら待つ。左回りのレーンで横並びのカウンター席。左に視野を持つ政宗は、しゃあしゃあと会話を続けながら流れてきたイカの皿を、隣の席の男が手を伸ばすよりも早くに奪い取った。あっ、という悲痛さえ伴った虚を突かれたような声が、右側から聞こえて大層政宗の心は満たされた。別にイカが好きなわけではないけれど、続けざまに二貫とも、もしゃもしゃと嚥下する。全皿100円が売りの回転寿司でイカのうま味を最大限に理解するには一番最初に食べることだ、と偉そうに豪語していた左目に眼帯をしている男に目をやる。あ、のままぽかんと口が開いていた。精悍な印象が覆るほど情けない顔である。
生ビールが二人が座る席に運ばれてきた。食事時なので家族連れが目立つテーブル席はほぼ満席だったこともありカウンター席を選んだのだが、よかったと思う。政宗は元親と向かい合いたいというよりは隣り合いたいのである。

「俺の、イカ……」
「うらめしそうにみんなよ、もう食っちまったよ」
「……うまかったか?」
「いや、別に。やっぱ冷凍もんは味薄いわ」
「ゆるさねええええええ」
「ちっちぇえこと言うなって」
「言うに事欠いて、ちっちぇえ!? ハッ俺の包容力なめんなよ!」

元親の涙混じりの異議は確かに的を射ていて、結果的に彼の幼馴染を略奪した政宗といまだこうして回転寿司へ訪れるほど寛容な心は実在するのであった。さりげなくコハダの皿を取り頬張ると、「てててめええ」とスーツの襟首を絞めてこられたが、確かに長曾我部元親は、寛大な男であるのだ。
略奪という言い方は当てはまらないかもしれない。高校生だった時分に出会った毛利元就という同性の美青年と、元親との関係は、ただの学校の先輩後輩兼幼馴染であった。元親は思うところあってのことだろうが、毛利のほうは昔から何かと絡んでくる元親のことを鬱陶しい年下くらいの印象しか持って居なかったらしいのだからなおさら。ただ政宗に小さな罪悪感があるだけだ。自分が親友の想い人を奪ったのではないかという、罪悪感が。しかしそれがいまだにぬぐえないのだから、我ながら女々しい男である。
毛利は現在でもなお、紆余曲折はあったが政宗の恋人のままである。
親友は元親だし、一番素直になれる相手は片倉小十郎だ。運命の相手は現在高校生の真田幸村という青年である。だが政宗の恋人はあの頃から変わらず、毛利だけだった。
あの、忌々しいほどに美しくて、腹立たしいほど賢しく、憎々しいほど離れがたい男を、自分は、親友から奪ったのではないかと――正式に父親の会社を継いでから強気な経営戦略を展開する若造と評される今となっても――どこかで思ってしまう。
元親は何を思ってか、無言でコハダを噛み砕く政宗をじっと見つめた。持っていたジョッキを一息にあおると、顔色ひとつ変えずに「お前、美人になったな」と言い出す。

「HA?」
「ほれ、飲め飲め」
「お、おお」

気づけば泡が少なくなっているビールを元親に負けじと飲むと、すぐさま店員を呼びつけビールジョッキでと注文する同席者。たった2皿の寿司を体内に入れただけなので酒が回る。ただでさえ、決してアルコールに強くない体質をしている政宗である、運ばれてきたジョッキを半分にすると、ろれつが怪しくなってきた。社会人になって、これが一番困る。会食で酒を断れるわけもない。対して元親は、土佐人の血を引くと豪語するだけあって頬に赤みが差すことすらない、醜態を晒すことなくぐびぐびと飲む。ようやく回ってきたイカを満足そうにレーンから取り、唖然とする政宗をよそに追加でビールを頼む。またしてもジョッキ。土佐人てなんなの。
店員がこまめに回収しにきてくれても寿司皿よりジョッキの方がテーブルを侵食している。久しぶりに飲もうぜ、何を食べたいと仕事の合間を縫ってメールで聞いたら回る寿司でと返答があったから駅前に呼び出したが、これでは飲み放題が使える居酒屋にしたほうがよかった。社長の肩書きを持った政宗の立場を知っていてなお学生時代と変わらない安さ重視の夕飯にしようとする元親は、相変わらずに元親だった。三流私学でサークルとバイトを掛け持ちしながら工学の勉強をしているという正しい大学生生活を送っているようだが高校時代、廊下に門松を置いたり校庭に白線で平家物語の冒頭を書いたりした、妙な男のままであった。何杯目なのか数えるのも嫌になるくらいのジョッキに口をつけ、元親は言う。3杯目で政宗は追いつこうとするのをやめた。

「毛利とは最近どうよ」
「ああ……聞いて驚け。くそラブラブ」
「えっまーじーでー!?」
「まじでまじで。自分でもびっくりする。誕生日とかぁ、クリスマスとか記念日とかぁ、まじでやる。都市伝説じゃなかったわあれ」
「ちょ毛利がクリスマス満喫してるとことか想像つかねえよ何それ」
「いや、これが結構ノリノリ。百均で売ってるキンキラキンなモールとか、巻きつけたりする。自分の体に。無表情で」
「うっわああまじかよ見たくねえ、いや見てええ!」

ぼんやりした頭の中、ハマチらしき皿をとった政宗はもしゃもしゃと緩慢に口を動かしながら、ごめんな、と酔いに推されて言った。
とたんに酒が入って上機嫌だった元親の顔がけぶる。高校を教師の慈悲で卒業するまで、政宗から数度聞かされた言葉だった――政宗が会社を背負うようになって会う機会は減ったが、すぐになんのことか察せるほどに。元親の中ではもう決着はついていることだとなんど言い聞かしても、政宗は律儀に罪悪感を消さない。
元親は片手で政宗の肩を抱き、引き寄せる。渋面で、赤ら顔の政宗を覗き込む。

「面倒くせえなぁ……」
「AH、お前以外にゃア、もっと適当言えるんだけどな」
「あ?」
「お前にだけは、誠実でありたいんだって……小十郎が言ってましたぁああ!!アッハッハ! ヒィイイイヒャアアアアア!」
「うるせえ! うるせえ! この酔っ払い! 他のお客さんに迷惑でしょうが!」
「元親ぁあ」
「なんだよ!」
「お前マジカッコイイわあ」
「なんだよ、口説いてんのかよ」
「ほんと、誰よりも、かっこいいわ……」

正体をなくし政宗は体重をだらしなく元親へ預ける。しなだれかかる政宗、高校時代と変わらない筋肉のつき方をしている元親の肩が頭によくなじむ。元親の笑いが、振動となって伝わる。

「……俺にだきゃあ、惚れねえくせに」
「ええ?」
「あのよ、政宗。お前が毛利と付き合って気に病むことはねえのさ、当時も今も、あいつを奪われたなんて、俺はぜんぜん思っちゃいない。奪われたのは別のもんだ。お前らが付き合って、お前が罪悪感をかかえるほど俺がふさいでたとしたらそりゃ、別件だ」
「……別件?」
「知らないだろお前、俺の前世はきっと、海賊なんだぜ。強欲な、強欲な」

大きな手のひらで髪を撫でられる。
骨越しに響く低い声に体を起こそうとするが、頭が重くて動けない。だってお前は親友だ、と言おうとしても、舌が鈍くて声が出ない。
親友であるから出来ることがある。友達や、恋人には出来ないこと。元親にそういったものを求めて、それが許されている過去から続く現状を、政宗はひどく愛していた。それは逆でも言えることだと思って疑っていなかった。だが今、元親の右目を見ることができない。酔い以外の何かで心臓が震えている。
自分は毛利を奪った。その自覚は消えない。毛利が元親から奪ったもののことなど、考えたこともなかった。
元親は気のいい男だが、奪われたものを、それでよしとする人間ではない。元親から奪った物を、元親はいずれ取り返すだろう。
政宗はイカとハマチとコハダを奪った。容赦はきっと、してくれない。奪われる。奪われる。ああ、酔いが、醒めてしまう。







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