たけま | ナノ
 


 手におしろいを塗って、指先に紅を塗りその上に花の絵を描いた。布地を重ねた長い袖からはその爪の先だけが出るようにすると、筋を隠せてなんとか、女の指らしくなった。顔は布を垂らした笠をかぶって完全に隠し、三日三晩練習を重ねてなで肩や内股歩きが出来るようになると、怖いものはなくなってきた。
 事務員の誘導に従い出門表に名前を書いて再確認したが、細筆を握って、女の書体を真似ることはさして苦労せずとも習得できたようだ。完璧である。さて、これで行こう、と忍術学園をでて、ゆっくりとした歩幅で歩いていると、数歩目で進行方向から忍装束ではない至ってカジュアルなよそおいをした、3年生の竹谷八左エ門とばったり遭遇した。
 構わず歩調を緩めずにいこうとしたのだが、すん、と鼻で息をした音が聞こえると同時に素朴な声で「食満先輩?」などとガッツリこちらを見て言いやがったもんだから、おもむろに、されど力強くその手を掴んで忍術学園の門をふたたびくぐらねばならなかった。
 驚いた様子の竹谷をそのまま4年長屋に連れ込み、自室に入ると勢いに任せてどんと畳の上へ突き倒して、尻餅をついたところにぐいと顔を寄せた。「お前、なんでわかった」と喉の奥から声を出して問いかけると、一瞬のまばたきのあとで後輩は破顔した。

「ああ、声聞くとやっぱ先輩ですね。いや、においで」
「香り水を振ったはずだ」
「俺の鼻はすごいんですよ」
「……男のにおいがしたか?」
「食満先輩のにおいがしたんですって」

 厄介なことになった。舌打ちすると、竹谷はしかられたとでも思ったのか途端に俺よりでかい体をちぢこませ、申し訳なさそうな瞳でしたから覗き込んできた。うっとうしいその視線をふいと外し、さあどうするかなあと頭をかきむしりたい衝動に駆られる。

 ――「お前はどう見たって女装向きではないな」とばっさり評してくれたのが同窓生の立花仙蔵というその道のプロで、部屋にこもって鏡を前にいろいろと難儀した結果彼に助言を求めた俺に追い討ちをかけた。13歳なんて声変わりが近いのか女声を出そうとしても喉で掠れる上にある程度骨格が完成してしまっている男に女の姿をしろというのがそもそも誤りなのかもしれないが、それこそ仙蔵ならば朝飯前でこなすであろう分野なのだ。夏休みの期間をかけた課題を決めるくじ引きで一番引きたくなかったそれを引いてしまうあたり、まじで同室たる伊作の不運が移っているのかもしれない。いや違う俺は不運ではない。不運などでは断じてない。
 その伊作はというと、忍術学園に隠された秘宝を探すという課題を引き当てめったに自室にも帰ってこないで日夜を問わず、学園内を東奔西走している。噂によれば走った先から床に穴が開いたり校庭で遊ぶ下級生の投げたボールに当たったり壁にぶつかって棚から物が落ちてきたりしているようで、自分の課題を終えるまでは構っている暇などないとわかっていつつも心配でならない。せめて用具委員長として奴がやらかした箇所の補修をしたいのが本音だ。さっさと自分のほうをクリアせねばとはらはら焦ってしまうから尚のこと集中できずに鏡の中の自分の顔がものすごいことになるのだが、はるばるは組長屋まで足を伸ばしてくれた仙蔵に言わせるとそんなことは「不毛」の一言に尽きるらしい。
「留三郎。お前はそんなことをしている場合では本当にないのだとわかっているか。夏休みまであと一週間だ。伊作だって我らが4年生の一員なんだから、己の力でどうにかするさ。奴に気を取られてお前までが課題をクリアできずに夏休み期間がたった二日間、なんてことになれば、みっともないぞ」
 課題の達成率に応じて夏休みを満喫できる時間が決まる。もしもしくじれば夏休み返上で補習だ、4年生にもなってそれは確かにみっともない。
 女装なんてプライドが許さない、などど考えているわけでは勿論ない。忍者にプライドなどいらないのでそんなことはどうでもいいのだが、出来る限り忌避したいなあと考えてしまうのはただ単に、己を女たら占める能力値が限りなく低いからだった。用具委員だから手先は器用なのだろうといわれるのは、申し訳ないが畑違いであると返さざるを得ない。手先が器用なことと手で作ったものが美しいこととは全く違う話であるのだ。
「お前はもう終わったってのか……」
「そうでなければ、わざわざ出来の悪い学友にアドバイスなどしにこんさ。開始日から三日で済ませてやったわ。馬鹿か貴様」
 ぐうの声も出ない俺にしかしひどい顔だなと自力で施した化粧を見て更にそう言い募った仙蔵は腐っても美の伝道者というか口は悪くても審美眼は確かなので、彼自らが姿勢だったり服装だったりを整えてくれるのであれば、こんな課題も余裕なのだが。俺が選んでしまった個別課題である以上、あくまでも彼に求められるのはわずかばかりの助言なのである。紅の一塗りでも実際に手を貸してもらった時点で課題は失格、いや忍者のたまごとして失格だろうということくらいはわきまえている。双方だ。
 まあこの顔が女に見えないということを他者から指摘してもらっただけよしとするか、と自己憐憫しながら礼を言うと、仙蔵は、アプローチを変えてみろ、と静かに言った。
「女装で誘惑しドクササコの忍者の油断を誘い覆面を奪取せよ、だったか。その子どもの落書きのような顔面を化粧と言い張る有様を見るに確かに難易度は非常に高い課題内容だが、女装とは顔がすべてではない。まあ、私に言えるのはそれだけだな」
 謎めいた言葉だったが席を立つ仙蔵にそれ以上追いすがることも出来ず、それから更に数日を用いてようやく、顔を隠し他の所作で女として振舞うという結論に達した。
 顔を彩るには不向きだったが、指へ花を描くのには生来の器用さが遺憾なく発揮でき、残り二日しかない夏休みまでの間にプロ忍者の覆面を取るというどうにも無謀な任務に関してもなんだかやれそうな気がする!という妙な自信がわいてきた。声と顔は使わず、文字と指先だけでやんごとない身分のかよわい女と誤認させて、あとはまあどうにかなるだとうという弾丸作戦だが、このまま何もせず手をこまねいていては課題が達成できないで一気に落第の可能性も出てくるのだ。
 顔だけでなく指に化粧するのも立派な女装だと気づかせてくれたのはやはり仙蔵の言葉のおかげで、高飛車だととらえられがちな彼の真価がもっと評されるべきだと学友心に思う。とりあえず文次郎は仙蔵に成績で勝てないくせにぎゃあぎゃあうるさいからさっさと認めればいい。

――などとるんるんとした気持ちで考えられていたのは、竹谷に出会ってしまった数秒前までだった。竹谷自身はさっさと夏休み前課題を終わらせて暇だったそうで、一年生の生物委員が誤って山で逃がしてしまったという毒虫を先輩のよしみで探してやっていた帰りだったらしい。そんなことは右から左に流して、俺はひたすらに苦悩していた。後輩の竹谷にでさえばれてしまうのだ、プロ忍者の目を欺けるのだろうか。絶望的な気持ちになってきた。

「せ、先輩……?」
 
 俺が押し黙っているからか泣きそうな顔をしながら竹谷が声をかけてくる。この後輩のことはきらいではないし先輩として可愛がってもやりたいのだがしかし、どうしてもうっとうしいが先んじてしまう。一年生相手になら笑顔でいられることが、この後輩相手だとうまくいかない。年下の癖に自分より大きくて朗らかなところがどうにもイラついてしまうこの悪癖を、なんとかなおさねばなあと顔を見合わせるたびに思う。
 後輩は何も悪くない。ただ、きっと竹谷はその動物的嗅覚を持ってして、こちらの真情を見透かすのがうまいのだ。いつも気のいい兄貴分でいたいのに、少しでも偽るとすぐに不安そうな顔をされてしまう。同じく3年生の鉢屋にも言えることだが、特に竹谷のほうは純粋な心で言っているのだろうなあと思わせてくるから苦手なのである。俺が大人にならねばならない、とわかっていても、実際にはうまくいかず、苛々が募って竹谷に接してしまうという悪循環に陥ってしまう。重ねて言うが、竹谷はなにも悪くはない。
 悪いのは俺だ。たっぷりと自覚したまま、俺は閃いた妙案を実行していた。顔を隠していた笠を放る。

「せん、」

 身長差をものともしない体勢を利用して、爪化粧を施した指の腹ですべらかな頬を撫でる。はらりとおちてきた傷んだ髪の毛が数本絡んできたが、ゆっくりと梳いて自由になり、そのまま唇を撫でる。ざらりとした男の唇だ。ひとさし指を押し当て、少しずつ力をこめて割れ目に侵入する。歯列から裏側をなぞり、頬の内側のねとねとした粘膜をすべらせる。
 わざと喉の奥にぴんと伸ばした指をあててやると苦しそうに咳き込むが、まだ開放はせずに緩んだ口に更にもう一本、中指を突っ込む。二本の指をばらばらに動かし、舌の感触や歯茎のぬめり具合を味わっていると、真っ赤な顔で目を潤ませた竹谷が制止するように今更右手を掴んでくる。息苦しいのか、力はほとんど入っていない。無視して空いている左手でごわごわさいた髪の毛を掻き分け、露出させた耳に小さくと息を流し込む。びくっと跳ねた腰がおもしろくて、人騒がせな些かの鼻を恨みもこめて唇で食む。ずるりと口から指を引き抜くと、竹谷の唾液がぽつぽつと畳を濡らした。筋肉が一時的に弛緩しているらしい竹谷は体を支える力を失い、そのまま後ろに倒れ背を床に預ける。息が荒い。
 大昔伊作とふざけて遊んで学んだのだが、口の中を好き勝手に蹂躙されると息が出来ないのと妙に気持ちいいのとで正常な判断が出来なくなる。香水とおしろいと藺草のにおいに酔っているであろう今のうちにと竹谷にのしかかり、その耳元でひそひそと囁く。

「協力してもらうぜ、竹谷」

 夏休みの課題は『女装で誘惑しドクササコの忍者の油断を誘い覆面を奪取せよ』、だ。女装で誘惑した竹谷を使い、油断を誘ってドクササコ忍者の覆面を奪取することも、別に違反ではないだろう。とろんとした瞳のままの竹谷は何も考えて居なさそうな顔で、うん、と小さく頷いた。初めてこの後輩に他の下級生と同じいとしさが沸いてきた俺は、にっこりと微笑んでありがとう、と素直な気持ちで言えたのだった。













まだ食満と仲良くなりたいとつるつる思っていたころの竹谷君(12歳)。 14歳の現在ならば「俺だって精通きてますけど。油断してもらえるか、まず俺で試してみます?」という対応になりますアーッ。





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