緑黒 | ナノ
 

柿の種にチョコレートをコーティングしただけのお菓子を好む君の感性がわからないと嘆くとだらしなくテレビを観ていた彼は大層難儀そうに起き上がり、僕の口に件のキメラ菓子をねじ込んで、そしてまたもとの位置に戻っていったのであった。うむ、チョコレート。舌先で溶かしていたら中から現れたのは普通にしょうゆ風味の柿の種でそもそも柿よりもピーのほうを好ましいとする僕の趣味の味ではなかった。彼とは永遠に平行線を辿るであろうことはそれだけで想像に難くなく、唾液を吸ってふにゃふにゃんになった柿の種を僕は奥歯でかみ締めたのだった。案外、後味は辛い。こんなもん一袋も食べたら口の中はてんやわんやだ。緑間君、と呼びかける。彼はテレビをだらだらと流し見し続ける。ニュースが好きだといっていたわりに、その内容が頭に入っているとは思えない。

「そんなに落ち込まないでください」
「うるさい」

部の名簿を頼りに住所を探り当てピンポーンとインターフォンを鳴らした僕を追い返すわけでもなく眼鏡のない素顔を凶悪そうにゆがめて、無愛想に招いたことといい、皮肉のひとつもなく居間に案内したことといい、断りのひとつもなくテレビの前に居座りよくわからないお菓子をぼりぼり咀嚼し続けたことといい、平素の彼では考えられない醜態である。その醜態を招いたのが昨日、2月13日の月曜日に彼がとある少女へ告白をしたことに起因する。そしてそのことは、壁に耳あり障子に目あり、携帯のメール機能から学校裏サイトを通じていまや部に在籍する誰もが知っている。一日で伝達されるプライバシーは勿論僕の耳にも入り、平日だというのに部活に来なかった彼を案慮しての訪問なのである。彼の指はとてもデリケートだ。一日でも練習を休めばすぐに鈍ることを僕は知っている。こんな生来の特性のため、彼に僕は見えなかったろうが一方で僕は彼をよく見ているのだ。

「うるさいだなんて、そんなことはありません割と静かな自負があります」
「そういうところがうるさいと言ってるのだよ!」
「今の君の声量のほうがうるさいですどう考えても」
「うるさい」
「珍しいですね君が、そんな風にかんしゃく起こすなんて。……桃井さんにふられたくらいで」

悲しいことにこれが現実なのである。緑間君は何をトチ狂ったのか我が帝光バスケ部のマネージャー桃井さつきさんに好意を寄せてしまい、昨日その気持ちを本人に直接打ち明けた。口は悪いが性根は常に威風堂々、そして正々堂々としていて傍から見ていても気持ちいいのが彼の長所ではあるのだが、いかんせん状況が悪かった。桃井さんは彼に勝るとも劣らぬほど頑迷一途な面があり、いかな緑間君が相手とはいえ自分の意志を曲げることをしない女傑なのである。そこが彼女の長所なのだから、今回のことの結果はなるべくしてなったというのが部員全員の見解である。その際の解説は青峰君がお送りしました。

「うるさい。黙れ。自分でも意外だったのだよ、あいつが誰に惚れているかだなんて周りから見れば一目瞭然だというのに、何故惹かれてしまったのか。我ながら不毛にもほどがある、くそ、うらやましいぞ黒子。せいぜいかわいい彼女といちゃいちゃすればよいのだよ。死ねリア充」
「どこからそんな言葉仕入れてきたんですか。死にませんよ。僕、彼女なんかいませんもん」
「とぼけるでないよ。桃井が誰に惚れているかなど明白だと言っただろう。隠さずともよいよ、惨めになるだけだ。お前なぞ、家に入れるのではなかったよ。というかどうして来た」
「桃井さんが僕を好きなことは知っています。が、僕は彼女とは付き合いません」
「なんて腹立たしい男なのだ。桃井を巻き込まずお前だけが死ね。……何故だ? 桃井は俺が見る限り相当いい女だぞ。気立てはいいし周りをよく見ているし、バレンタインデーに徹夜で手作りチョコを作るのだといったときの笑顔など最高だったぞ。それで思わず、秘めようと思っていた気持ちを伝えてしまったのだが」

それでバレンタインデー前日に告白したのか。笑えてしまった。やはり彼は面白い。よくよく堪能もしていないくせにポーズとしてテレビから視線を外さないところもそうだし、毒を吐くのにその横顔にはちょっとした罪悪感も浮かべている。普段だって、いかにも気難しげな顔をして周りを睥睨するわりにその内情はとても面白いし、いとおしい。
愛おしい。

「僕が好きな相手は、彼女じゃありません。君です。緑間真太郎君」

動物園でパンダの赤ん坊が産まれたとかで笑いが起こるテレビを眺める睫毛と、柿の種チョコを口に運ぶ彼の手が一瞬、震えた。
卑怯にも帰る準備をしながら僕はいう。僕は彼ほど高潔な人間ではないのだった。彼が案内してくれた道を逆走しながら、僕は彼の後姿を振り返る。

「どうして来たのかとおっしゃいましたね、僕も告白しにきたんです、君に。女の子に振られたくらいで落ち込んで僕なんかをやすやすと家に上げてしまう君のことを思うと、もう、秘めようと思っていた気持ちを伝えずにはいられなくって。あ、返事は結構です。君のその背中を見ていればなんとなくわかります。こっちを振り返らなくてもいいです、帰り道くらいわかります。そもそも男同士ですしね、はなから成就するなんて思ってませんし、ましてや君は失恋で傷心中です。そこに付け込むような告白へ君が熟考する必要はありません。僕が勝手に言ってるだけです。不快な思いをさせてしまったんなら、申し訳ないとは思いますけど謝りません。それでは、」


お邪魔しました、と僕は卑劣に言い放って、踵を返す。靴を履き、施錠されていなかった玄関扉を開ける。彼は一体この日の残りをどんな気持ちで過ごすのだろう。いかにも珍妙な組み合わせだったが柿の種をコーティングしていたのはチョコレートだ。ハッピーバレンタイン。僕はあのへんな味をしばらくずっと舌に載せるだろう、ずっとかみ締めるだろう。彼の指の感触と共に。
僕は明日も変わらず学校へ行くつもりだが彼はどうかなあ、と暫く歩いて考え始めたときに、珍しい彼の大声が背後から聞こえ、僕は足を止めた。







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