かむあぶ | ナノ
 

ぐい、とつかまれた腕に、まだ自分は生きていたのか、と実感した。
視界は暗かった。ここが光が届かない室内なのか目を閉じているのか潰れているのか、それも判然としない。いつからこの状態であったかも覚えていないので、てっきり自分はくたばってしまったのだとばかり思っていた。死んだことはないのでよくはしらないが、命がなくなると感覚もきっとなくなるのだろうと夢想していたのだった、実際なんだか意識は朦朧として痛覚も鈍磨し、自分が今どういう状態でいるのかも定かではない。
それでもわかった。俺はいま誰かに腕をつかまれている。強く。
暗い世界、名前を思い出すことも億劫なほどけだるい現在のなかで、それはたったひとつの確かなことだった。俺は生きているんだ。
すると現金なことに、実感してからだんだんと、聴覚が戻ってきた。音が聞こえる。違う、これは声だ。恐らく自分の腕を握っている相手が、こちらへ、呼びかけている。幾重の層の向こう側から聞こえるような、現実味に乏しい、間延びした声だった。

「おい、おーい。生きてるかあ」

生きてるみたい、と答えようとして、声が出ないことに気づいた。さきほどからどうも息苦しいと思っていたら、口の中に何かが入り込んでいる。つい今しがたまでそんな認識、していなかったというのに。
どうやら、自覚という行為は生きるにおいて重大な足場となるらしい。じわじわと味覚も返ってきたようで、ごろりとしたそれが血と、折れた歯と、こぶし大の石と大量の砂利だと舌から伝わってきた。おいしくない。おっと、すげえ俺、腹が鳴った。口の異物を吐き出す気力もないのに。
声は出なかったが腹の音は聞こえたらしく、一瞬驚いたように腕の力が弱まった。再び握られたとき、痛い、と体が脳みそへ信号を伝達した。俺は今、どこもかしこも痛い。痛いじゃないか、馬鹿。うわあ、ああ、生きてる。すごく俺は今、生きている。思い出すように、確認するように、全身に意志が満ちていた。いてえ、畜生。腹も減ったし、なんだか寒いし。さっきまで微塵もなかった感覚が、欲望が、わいてきていた。
生きてる。

「待ってろ。今、瓦礫どかしてやっから」

姿の見えぬ声が言う。腕から温かいものが消えた。懐かしい手のひらの感触、失ったはずの、大人の男の手。がれき? ああ、そうか瓦礫の下敷きになっていたのか。そこから俺の腕だけ出ていて、手の男が見つけたのか。夜兎ってすごい。死にかけていても死なない。まだ俺は、生きられる。
まだたたかえる。
声の主と、闘える。



というのが俺と彼、阿伏兎が出会ったきっかけでありもとの契機は諸事情により家を出奔した俺が親父から御伽噺のように聞いた夜王鳳仙の元へ身を寄せることを決めたことに由来する。夜王、つまり宇宙海賊春雨の第七師団が遠征しているときいた惑星にカツアゲを千回くらい繰り返してたどり着き、あの俺星海坊主の息子なんだけどおと七光りを絶賛利用してアポイントメントを取ろうとしたところ、まさかの戦闘&爆撃に巻き込まれて危うくぽっくり逝きそうになってしまったという話なのである。当時の俺は、今から思えば随分と脆弱だった。瓦礫からぴょこんと天を掴もうとするがごとくに伸ばされていたという細っこい腕に目ざとく気づいた阿伏兎が居なければ死んでいただろうし、いや死んでくれと思う。なんならあの頃の俺など殺してやりたいほんとただの黒歴史。
阿伏兎は昔から阿伏兎だった。
明らかに子どものものとわかる腕を見つけた、そして生きているようだから掘り起こした、まあそこまでは気まぐれということでいい。だが、俺がやつの大好きな夜兎の子どもだったからというのもあるのだろうが、第七師団にこいつを置いてくれと夜王に懇願したのはどう考えても正常な精神からは逸脱している。俺からするとありがたいことこの上なかったんだけど勿論。
鳳仙と親父をマブダチかなにかだと勘違いしてのこのこ顔を出した俺に、多分当然の結果夜王はブチ切れ、そんなガキ今のうちに殺して星海へ宅配便で送りつけてやるわと息巻いた。事実実行寸前だったのだ。夜兎の王たる鳳仙に噛み付く馬鹿など夜兎には居ない。だが阿伏兎はやってしまった。待ったをかけ、王へ噛み付いた上に、それをやり通してしまった。そして今に至る、だなんて陳腐な結びでは済ませたくないほど、阿伏兎は尽力したのだった、ひとえに俺を助けるために。
馬鹿な男だなあと思う。
そんな馬鹿な男を酔狂だかお前の顔に免じただかなんだか知らないが、よりにもよって夜王が教育係に任命なんかするから、こんな馬鹿な男にあのときの少年は育ってしまった。
馬鹿な俺は、そんな馬鹿な阿伏兎をとても誇っている。実はね。




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