喉に引っかかった

郵便ポストに輪ゴムで綴じられ束になり押し込まれた家族宛ての年賀状の仕分けをするのはいつからか私の役目だ。
母、兄、父、私、日課である朝の散歩で知り合った隣町の吉原さん(仮)25歳男性のようにわざわざ他の誰でもなくジロー(犬、パピヨン2歳)の名前を住所の次に書いていたツワモノからのも中にはあったが他は普通に人間達、4人の名前に集中している。兄、母、父、父父父母、兄私、私母父父・・・
いつも思うのだが、あの偏屈な父に送られる年賀状が家族で一番多いというのが納得できない。大学の教授なんてものがそんなに偉いのだろうか。万事において朗らかな母が婿にもらってくれたからよいものとして、そうじゃなかったらあんな父は一生結婚できなかったんじゃないだろうかと丁度反抗期ということもあり私は思わずにいられないのであった。女性的だがまあ顔は悪くないし162センチある私が階段の一段上から背伸びをしてもまだ見上げねばならないほど長身だし、ルックスと勉強の面での頭の出来は上々。ただなんか、偏屈なのだ。高飛車なのだ、居丈高なのだ。だからお前は駄目なのだよってお前それ、まじに娘に言う台詞じゃねえからなグレるぞ。
いいとも見ながらみかんの入ったカゴを載せたこたつの四辺で家族全員がぬくぬく温まり、私は父スペースの山に最後の一枚をばちんとさばき、中々の重労働をこなして悦に入る。いい仕事したーあ。明日も来てくれるかなーのところで母があっ、もうこんな時間なのねそろそろお節食べましょうかと栗きんとんの補充を作りに台所に立った。こたつから10メートル離れたリビングで電話が鳴り、兄と視線を合わせて同時に腕を振り上げる。チョキ。パー。くそーと毒づいた兄がこたつをはい出、裸足の足をすり合わせながらそちらに向かう。
残ったのは私と父と、あとジローなのだけれどジローは部屋の隅で昨日お年玉の中から兄と捻出して買ってやった骨のおもちゃに熱中していてこちらは眼中にないようだった。父はテレビを背にする一角に腰を降ろしていて、軽快なバックミュージックの鳴る一位を当てちゃいけないコーナーを見たい私としては非常にそんな父が邪魔で仕方がないのだけれど、父もまたジローのように私などは眼中にないらしく一人朝のおしるこをまだちびちびと飲んでいる。父よ、お代わり何杯目? どんだけ好きなんだ。太れ。40も間近になってまだ腹出てないとかなんの嫌味だと思う娘な私。
母の料理をするときには定番の鼻歌がここまで届き、兄は丁度自分への用件だったらしくなにやら熱っぽく電話口で見えない相手と語り、父はこの番組がCMに以降するときのマヌケな音楽を鳴らす地デジテレビを背に、ようやく満足したのか何杯目かの空になったお椀を今度こそ箸と一緒にこたつの盤においた。ご馳走様でしたとの律儀な挨拶はこの家のルールであり、私も反抗期とはいえこればっかりは守らざるをえないものだった。父は仕分け済みの年賀状の山を見て一言。
「ありがとう」
「ドーイタシマシテ」
自分の分を手にとり一枚一枚眺めてゆく父。私は今期の新しいドラマの番宣に来た俳優がゲストとして出るコーナーを父のでかい身体ごしに見る。母と兄はまだ帰って来ない。父の上体が邪魔でたまらない私はぶっさいくな顔で睨みつけてやったのだが、父の眼鏡の表面はずっと下を向いていた。
娘より年賀状に興味のあるらしい父に、下唇をつきだして私は声をかける。
「父ってさ」
「なんだ、娘」
何その呼び方と聞いた他人様によく言われるこのお互いに向けた呼称の訳は深い。これはまだ私がものごころついてばかりのころ、基本的に何かが他者とズレている父に私は自分の名前のあとにずっとたんをつけて呼ばれており、本来ちゃんだったりさんだったりするところによりにもよってたんなのだからこれは何か不当な扱いを受けているぞと気づいた小学校低学年のときに「なんでおとーさんはあたちのことたんってつけるのっ」「可愛いからなのだよ」「かわいくないよっ」「何っ」「かわいくないよっ」「二度も言うのではないよ! ならなんと呼んでほしいか言ってみるがいいのだよ!」「呼び捨てでいいよっ」「妻でもない婦女子の名前を呼び捨てになんぞできるかっ!」「あんたがつけたんじゃんっむすめじゃんっ」「なら娘とこれから呼んでやるのだよっ、これで満足か!」「うわーんっじゃーおとーさんもこれからちちってよんでやーるーっ」・・・という論陣を張った結果であった。仲が悪いというわけではない。よくもないが。ジローが欠伸する。
「高尾さん以外に友達いるの?」
「薮から棒に、お前という奴は」
下睫毛が女性のように父の顔を彩り、なおさら誇張される父の泣き顔を眼鏡の向こうから私に伝えた。
父は大儀そうに立ち上がって、そのままふらりと書斎のほうへ向かっていった。あら逃げたのかしらと遮るもののなくなったテレビを堪能する。この番組って5分前までおもしろいよね。「娘」
戻ってきた父が手にしているのは少し黄色がかった、年賀ハガキだった。ぱっと見今年去年、いやもっと前か。
「何それ」
「俺が今に至るまで最も貰って嬉しかったハガキだ」
え。無造作に渡されたそれにこちらが焦る。父が何かを大事にしている、そんなものはおは朝の占いくらいなものだと思っていた。娘の出産日もあの番組は当てたらしい。
手の中にあるハガキは、裏も表もパソコン書きが大手をふるっている近年には珍しい、完全に手書きのそれ。緑間真太郎様、と綺麗ではないが丁寧な書体で父の名が書かれている。4年前の干支。
くるりと裏返すと、絵も何もない、黒一色のペンで書かれた近況報告。こちらの体調を気遣う大人の筆致、最後はこう締めくくられていた。

バスケが、楽しいです。

それだけだ。
「・・・・・・?」
私は何故こんな、言ってはなんだが私から見るとありふれたハガキをあの父が後生大事にしていたのか、というのがわからなかった。ただひとつ。私は昔、入るなと常々釘をさされていた父の書斎に兄とともに入ったことがある。国公立の大学の教授という地位にあり、偏屈で理屈っぽい父とはまるでそぐわない、年期の入ったバスケットボールをそこで一つ、目にした。
父がバスケをやっていたなんて、私も兄も聞いたことがない。たまにうちに飲みにくる高尾さんは今は現役を退いたとはいえ有名なバスケプレイヤーだったが、彼の口からもコートに立つ父の話を聞いたことは一度もない。
「誰。黒子、テツヤ・・・って?」
「4年前から音信不通、今どこで何をしているのかわかったもんじゃない馬鹿な男なのだよ」
そういう割に父の目元は本人が意識しているのかはともかく柔らかく、ふと父はその人のことが好きだったのではないかという確証もない考えが頭をかすめた。
父の。
15歳、今の私の歳だったときの父の写真を、そういえば見たことがないなと思い出した。
「ちち――」
「はーいみんな、お節お待ちどお様ー。栗きんとんも追加できたわよー!」
「なー親父におふくろ、正月早々悪いんだけど、俺卒業旅行行きたい! 金カンパしてー!」
脳天気に明るい台所での用を済ませた母と電話を終わらせた兄とが言いかけた私の声を掻き消し、父はまた律儀に母にありがとう、兄にバイトするがいいのだよと冷静に告げた。私は返しそびれた古い年賀状をもう一度見る。これが父の、友人。
黒子、テツヤ。父の。
「好きだったのかもしれない、人――」
なんだか悔しくなった。私も今年はどがんと恋するぞー。



私がその年賀状の真実を理解することができたのは、高校3年生、18になって、父の口から父の過去を知ることができてからだ。
黒子テツヤという人間が何故まだバスケをしていてあの父が何よりも嬉しいと思ったのか。私はその時、父を心底軽蔑し、そして深く愛しいと思えたのだった。
もう一度言う。私もあんな、恋がしたい。



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