妄執はやがて

「お父ちゃんお父ちゃんお父ちゃあああああん!」

ぶんぶんぶん!メリーゴーランドの白馬にまたがりながら勢いよく両手を頭の上で交差させる今年7歳になった愛娘。
を、黄瀬は目を細めて眺める。左腕を振る自身は、いつまであの子は父ちゃん父ちゃん言ってくれるのかなあとほろり涙を光らせつつ、遊園地のロゴ付きの紙コップを片手に、ベンチでのんびり足を休めている。
アトラクションを1時間とか、昔はいくらでも待てたのになあ。サングラスの下、露出する口元に苦笑が浮かぶ。
そこに恋人や友達が居れば、2時間でも3時間でも話題に事欠かなかった。家族がそれらに劣っているとは思わないが、35にもなるとさすがに10代のころとは肉体の動かせ方が限られてくる、というのか。ただ立っているだけでも違う。出来が違う。
それでもまだまだ男盛りよーと息巻くマネージャーに言われるままにモデルとしていまだ第一線で活躍する黄瀬が、世間でいう夏休みに一日とは言え休暇をとれたのは奇跡だ。生憎共働きの妻と予定が合うことはなかったが、娘は大喜びで遊園地をせがんだ。
奇跡。
――カップの中のコーヒーをあおる。誰に見られているわけでも無い自嘲を、隠すために。
10年前に一緒になった女性、つまり今の妻も、メリーゴーランドでぐるぐる回っている娘も、黄瀬がかつて名を馳せたバスケプレイヤーだったことは知らない。大学で出会った彼女に中学2年から高校までの部活の話をしたことは一度も無いし、これからもきっと無い。
娘が好きなアニメや男の子の話をたまにしか顔を合わせられない父親に余すことなく聞いてもらおうと一生懸命になるのをいいことに、自分が好きでたまらなかったスポーツを絶ったその理由を語ることを、先延ばしにし続けているのだ。出来る限りはいつまでも。
娘に嘘をつけない自分だ。どうかその日が来ませんようにと、夜寝る前に祈ってる。
もういい歳なのに女々しいとかちゃんと、わかってるのになあ、と柱の裏に隠れた電動白馬を待つ。背もたれに身体を預ける。
広場中央に設けられた赤いベンチ。黄瀬の背中合わせに合わされたもうひとつのベンチに、微弱な人の気配。それがどこか懐かしい気配のように思えて、一応芸能人なのだからと気休め程度にかけていたサングラスがずれた。

「お久しぶりです」

「――え?」
勝手に琴線を刺激する声音が届いたその一瞬、黄瀬から握力がなくなった。右手から紙コップが消える。ほとんど空になっていたコーヒーが、しかしその存在を誇示するように靴に跳ねた。モデルの仕事でもらった先の尖った白いブーツに黒い染み。場違いに。

「お子さんがいらしたんですね」

あ。わ。吐息のようなか細い声しかでなくなる自分の弱いメンタルを呪った。
待って。違う。違うのに。もうあれから、20年も経ったのに。
いい父でいい夫で、いい仕事相手を演じることなんて誰かをコピーするまでもなくたやすくて、それに疲れることも、酒に溺れることもない、大人になったのに。
どうしてだろう。
なんで『彼』の前だと。こうも。

「僕らには、できませんでしたから。どうか大事にしてください」

生唾。
飲み込むのがひどく困難だった。『僕ら』。結婚式に彼を呼ばなかった自分を棚に上げて強く沸き起こる違和感と、・・・隠しようのない、不快感。
どうして、いつ? 誰と?――大人の分別なんてかなぐり捨てて、今すぐ振り向いてその肩に縋り付きたかった。それがどんなにみっともないことだとしても、取り乱した様子を取り繕うこともせず、ただただ彼に詰問したかった。
それをしなかったのは、娘が。
黄瀬が愛しい女性と愛を交わし誕生した、血を分けた少女がゆっくりとメリーゴーランドを一周させ、「お父ちゃーん!」と前歯が抜けた歯で無垢に、無邪気に笑って、こっちに向かって手をぶんぶん振ってきたから。
彼が羨むその少女の存在が、ぎりぎり、黄瀬を『父親』に留めた。微笑まれた気配。顔が熱くなる。顔を伏せる。
影が見えた。
彼の影。日に照らされ実物よりも大きく長い影が、すっぽりと自分を飲み込んでいた。ぞっとするほど、地面とは隔絶される色合い。

「格好いいですよ、お父さん」

俯いた顔を両手で覆う。背中から馴染み深くも薄い気配が消え、代わりに小さな足音が自分に近づいてくるのが聞こえてきたが、しかしそれでも顔はあげることができない。不思議そうな声を出す娘を、手探りで抱き寄せ、そのまま強く抱きしめる。柔らかく、温かい体温。自分と同じシャンプーの香り。
コーヒーの染みを視界に入れたくなかった。


なんで忘れられるだなんて思ったんだろう。


ごめんな、自分の声がひどく掠れているのを聞いて、少女はポケットをごそごそ探りそこから、イチゴ味の飴を取り出した。お父ちゃん、と差し出されたそれを黄瀬はどうしていいかわからず、もう一度ごめんなというしかなかった。



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