私の脳に

「ごめんなさい」

桃井は今人生で一番醜い顔をしているのだろうな私はと思いながらも涙や鼻水をとめることができず、ひたすらにごめんなさいごめんなさいと呪文のように謝り続けた。そうやって万能の言葉に依存したら彼の足が元のように戻るのではないか、と麻痺した頭の一角で自分をごまかしながら、白いベッドに足を吊る少年を直視することを拒んだ。自分の二つある足元ばかりゆがんだ視界で見ていた。23センチのローファーにはさっき道路に落ちていた枝を謝誤って踏んで一筋真新しい傷ができている。車椅子か松葉杖なしに歩けなくなった彼ができることはない傷だ。高校最後の大会が過ぎても治らないと医師に診断されたという傷だ。自分が見舞うと望んだのに、今彼がどんな顔をしているのか、見るのが怖かった。病室に足を踏み入れた瞬間に桃井が振り絞ったはずの勇気は枯渇した。逃げ出したい、と思った。好きで好きでたまらない少年の前から、逃げてそのまま姿を消したい、消え去りたい、と桃井はとっさに願った。
ばかばかしいとすぐにわかった。願わねばならないことは他にあるのに。
桃井、青峰、黄瀬、緑間、紫原、赤司。自分たちが奪った彼の足を、どうか彼に返してくださいという何にもかえがたい願いを、かなえてくれる神様はいなかったことを、とっくにわかっているのに。
断続的にごめんなさいと口にする桃井を制するような小さな声がして、桃井は殴られたとき以上に肩を震わせ、はじめて、ゆっくり、ゆっくりと顔を上げた。

「桃井さん。別に、謝罪なんかいりません」
「ご…めっ、んなっさ…」
「桃井さん」

汚い顔を晒す桃井を前に、いつもとなんらかわらない黒子テツヤの凪いだ瞳が怖かった。
愛しくてならない初恋の少年を相手に、桃井はかつて抱いたことのない罪悪感と、それ以上の恐怖を感じた。
清潔に短く切られた色素の薄い髪の毛といつもどおりの読めない、仙人のように達観した表情と、スポーツをやっているにしては小柄な体、それらが病室の中、あまりにも脆くてはかなくて、天井から吊られた足との対比が痛々しすぎ、また勝手にとめどなく涙が溢れた。一番泣きたいのは誰だと思っている。私は、一番悲しくて痛くて悔しくてつらいのは、誰だと思っているのだ。いつまで甘えているのだ。桃井はそう自分に言い聞かせるのだが、逆効果で更に哀惜が沸いて出てくる。黒子テツヤは無表情だ。桃井の被害妄想でどうとでも映るような、どうとでも捉えられるような、普段と一緒の、隙のない無表情だった。
どうして彼にあんなことをしてしまったのだろう。泣いて許されることでもないとわかっているのに泣くしかない状況を招いてしまったのだろう。
黒子の足。私たちがばきばきと折った足。バスケットプレイヤーとして、取り返しのつかなくなった足。取り返しのつかないことをした私たち。
黒子がベッドに体重を預けながらもはっきりと桃井の顔を見て言う。一瞬そらしたが、強い瞳が逃げることを許してはくれなかった。桃井は黒子の視線を鈍器で殴り続けられたような錯覚に陥りながら受け返す。

「桃井さん。僕は本当に、誰からの謝罪もいらないんです。責める気も、ありません。ただ、バスケットが出来なくなってしまったのが残念なだけで、彼らが、きみを含めてですが、今後バスケットに一切かかわらないで生きていくというのが、本当に惜しいだけです」
「……」
「考え直してはくださいませんか?」
「ねえ。…てつくん」

いっそ責めてくれたら、恨み言を言ってくれたら、罵ってくれたら、軽蔑してくれたら。そんなことは桃井たちの勝手な都合で甘えで、それを黒子がかなえる義理も無く、より一層罪悪感でちりちりと喉の裏側を焼かれてゆく感覚が桃井を支配する。
「加害者」全員で話し合った。私たちは今後、彼に償って生きてゆく。バスケットの才溢れるキセキの世代、関係者は全員が思い直せお前たちと何度も説き伏せてきたが、これが自分たち也のけじめのつけ方で、逃げ方なのだと押し通した。部活を未練なくやめたあと青峰は学校にもほとんど寄り付かなくなった。当時は軽いものだったとはいえ以前にも試合中黒子に怪我を負わせた黄瀬はそれまでの朗らかな人格がうそのように笑わなくなった。緑間はテーピングを止めて、国公立大学への進学のために勉学に没頭している。紫原はバスケをやめても特に生活に変わりはないそうだが、赤司はどうしたのか、桃井は知らない。
そして、私は。

「てつくん。……きすしてもいい?」
「それ、先に来た彼らにも言われました。柄でもないくせに、なんでですかね。どうぞ」

私はこの人が許してくれるなら、一生を彼のために使おう。進路調査票も必要ない。女として、人間としての人権を一切失ってもいいから、彼のそばで彼に尽くしたい。涙と鼻水でぐちょぐちょな誓いのキスを彼の唇に捧げながら桃井は本気で、そう望んだのだった。
神にではなく、黒子に。



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