ぶん投げろ大地に向かって

「歯が抜けた」

あれはお互い1年ろ組のころ。普段の天真爛漫ぶりが嘘のように顔を真っ青にしながら私は病気なのだろうかと校医にではなく真っ先に自分の元にやってきた七松小平太を、長次は当時から嫌いではなかった。
確かに小平太の健康的でつややかな前歯が、言葉どおり一本欠けており、なんとも間抜けなことになっていた。
山に遊びに行ってくると言い残した彼を、長次は部屋で本を読みながら待つとも知れず待ち、帰宅する小平太に小さくお帰りを言ってから寝るという今にも続くスタイルは、この頃から確立していた。小平太は体術も得意でありながら好き好み本ばかり読みふける長次のことを何故かそれだけで頭がいい存在だと認識しており、よく宿題でわからない箇所などを訊ねてくる。答えだけを求めるのではなく、ちゃんと長次のたとえばここをこうするからこうなる、それを考えて解けという助言に逆らわずなるほどありがとうとお礼を言う小平太に好感以外を持てるはずも無く、長屋で同じ部屋を当てられたことを不満に思ったことも無かった。
が「今日は熊と決闘もしてないし誰かに顔を殴られたわけでもないのに、アケビを一口ああんと食べようとしただけなんだなのに、どうしたんだろうかこれは何かの病気なのかな長次!」と本のページをまくる手に絡み付いてくる彼はたいそう鬱陶しく、辟易させられた。それは私たちの歳にはおかしい現象じゃないんだよ、子どもの歯が大人の歯に生え変わろうとしているんだよ、と穏便に笑いながら言葉で説明してみるものの、この間縄標でほほの辺りををえぐってしまい痛む長次のぼそぼそとしたしゃべり方では混乱のきわみにある小平太には届かなかったらしく、ついにはビービー泣き出した。何よりも至福な読書の時間を邪魔された長次の堪忍袋もそれほど大きくは無く、男泣きをしている小柄な同級生がぐっと握っていた腕をつかみ、その指を自分の口の中に入れた。

「え、」

一瞬何をされたかわからなかったのか、ぴた、と泣き止んだ小平太にかまわず長次は、彼の指で自分の歯列をなぞる。
伏目がちに小平太を伺うと、目を見開き、ぼうっとした顔。
指に唾液が絡まるまで口の中を触らせ、抜き取って、わかったか、と聞く。大きな瞬きをして我に返った小平太は、見るからにわかってなさそうだった。お前今俺の生えかけの永久歯に触っただろうがと長次は睨む。察しが悪い人間ではないはずなのだが。

「わか、え、えっと」
「…この歳で、突然歯が、抜けるのは…お前だけじゃないし、おかしいことでも、ない。病気でもない」
「そ、…そうか」

ぴよりと出た青っ洟をずるりとすすり、そうか!ともう一度うなずいた小平太はもういつもの快活さを取り戻していた。ありがとう!と宿題の解き方を教えたときと同じ表情で笑い、勢いのままとでもばかりに長次に抱きついた。苦しい。呟いた長次に「長次も私と同じなんだ! おそろいなんだな!」と聞く耳を持っていない様子の小平太だが、まあいいかと長次は笑顔の戻った旧友の背をぽんぽんと叩く。上の歯は地面に向かって投げると立派な歯が生えてくるぞ、と囁きながら。

しかしその後何を勘違いしたのか宿題を訊ねるときや喧嘩をしたときなどことあるごとに口へ指を突っ込まれ、あのときは接し方を間違えたかなあと長次は苦悩することになる。

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