6日目


「わわわわ!はじめごめんね!昨日の夕食、もう一度湯豆腐にしようと思っていたのに!」

『何をそんなに謝る?俺は気にしていないぞ』

「本当にごめんね!私後でもう一度材料買って来る!お豆腐切らしちゃってるから!」


日曜日の朝。

昨日あれからずっと眠ったままだった有紗が起床して一番に俺に言った言葉は、一昨日のことなどすっかり忘れていそうなほどに明るくなったものだった。

俺はと言えば、人間ではないゆえに睡眠など取る必要はなく、昨日はずっとぼんやりしながら考え事をしていた。

その考え事と言えば何を隠すでもなく有紗のこと。

考えれば考える程にドツボに嵌っていった。

時々気分転換にテレビを見たりしたのだが、俺が生きていた頃に毎週有紗と見ていたドラマの最終回がやっているのを見たときは、なんとも言えない気持ちになった。
有紗はそのドラマを毎週必ず録画していたはずなのだが、2ヶ月前からそのドラマの録画が途絶えていることにも気が付いた。

それを見て、気分転換どころか余計に落ち込んだ。

2ヶ月前と言えば丁度俺が交通事故で死んだ頃。偶然というわけではないだろう。


"とりあえず朝ごはんにしよう"
そう言ってキッチンに立った有紗の後ろ姿を見ながら思う。

俺はどうすればよいのだろうか、と。


今はたとえ幽霊とは言えども俺がいる。
それゆえに、有紗も悲しいという気持ちを一時的に忘れられているのだろう。
だが俺は幽霊だ。その存在は不安定で、いつ消えてしまうかも分からない。

いきなり俺が消えてしまえば、きっと有紗はものすごく落ち込むだろう。

そうなる前に、お互いが納得した上できちんと別れをするべきなのではないだろうか。


けれども…


残された有紗はどうなるのだ。

そればかりが心残りで、俺はどうにも別れに踏み切ることができないでいた。



「ちょっと手抜きでごめんね。ハムエッグとトーストだよ!」

『有紗、別に俺には毎食用意せずとも構わないのだぞ』

「いいのいいの!はじめと二人で食べられたほうが美味しいもん!」


"いただきます"
そう言って有紗は手を合わせた。
俺もそれに倣って手を合わせ、目の前に置かれたハムエッグトーストに手をつける。


「ねぇ、はじめ」

『なんだ』

「私ね、今こうしてはじめとご飯食べられていることがすごく幸せなんだ。この幸せってさ…紛れもなくはじめが私に与えてくれてる幸せ…だよね」


俺がトーストをかじり始めると、先ほどまでは楽しそうに笑っていた有紗が急に真剣な表情になって俺にそんなことを問いかけて来た。


『いきなりどうしたというのだ』


何か思いつめたようなその表情に、俺は胸のあたりがどくんと鳴った…ような気がした。


「死んだ人は私のことを幸せにできないなんて嘘だよね。私、今はじめといられてとても幸せだもの」

『……そう、か』

「なんかごめんね…!変なこと言っちゃって。私これ食べたら買い出しに行って来るね」


ほんの一瞬だけ表情を歪めた有紗だったが、またすぐに明るい表情を作って残りのトーストを食し始めた。

そして俺達が朝食を終えた後、有紗は外行きの服装に着替えて行ってきますと買い出しに行ってしまった。



"死んだ人間はどうひっくり返っても生き返ることはないし、きみを幸せにしてあげることもできない"



俺の頭の中に再び蘇る総司の言葉。

さっき有紗が俺にあんなことを聞いてきたのは、有紗もこの言葉のことを相当気にしているからなのだろう。

有紗は、俺が傍にいれば幸せだと言った。

だが本当にそれでいいのか。
それはこれから先の有紗にとって、幸せなことになるのか。

俺はまた思考がループしそうになり頭を抑えた。


その時、だった。



(はじめくん。会いに来たよ)


『……?!』


直接俺の中に流れ込んでくるように聞こえてきた、聞き覚えのある声。

この声…聞き間違えるはずがない。総司だ。


俺は部屋の中を慌てて見渡して見たのだが…いない。


(きみのお墓参りに来るのは初めて…かな。当たり前か。この間が四十九日だったもんね)


『………』


俺はどうしてだか状況をすぐに理解した。
きっとこれは、俺の墓前にいる者の声が俺に届いているのだ。


(はじめくんさぁ…有紗ちゃんのところに化けて出てるでしょ。この間僕が遊びに行ったときも本当はいたんだよね)

『……あぁ、いたぞ』


俺のこの声はきっと総司には届いていない。

それでも総司の言葉に返事をしてしまうのは、届いていればいいという思いがあるからだ。


(おかしいと思ったんだ。有紗ちゃんが二人分のお椀を用意する心理は理解できたんだけど、そこに置かれた箸が二つとも使われた痕跡があるのは変でしょ?信じられなかったけど、僕ははじめくんが来てるんだって思った)

『相変わらずあんたは鋭いのだな』


(だからね、きっとはじめくんも聞いていたと思うんだけど…さ。僕、有紗ちゃんに告白しちゃった。大学生の頃から好きだったなんて知らなかったでしょ?はじめくん…怒ってるよね)

『怒っている…か、どうだろうな。だが、総司の気持ちには大学時代の頃から気が付いていたぞ。あんたは自分で思っているよりも分かりやすいところがある』


総司に、"怒っているか"と聞かれた。
けれども俺は、一概には"怒っている"とは言えなかった。

あの日総司は、"僕は、きみが彼に抱いている想いもすべて受け止めて付き合っていく覚悟があるから"と有紗に言っていた。
その言葉を聞いた時に俺は、"あんたになら有紗を任せられるかもしれない"と思ってしまったのだ。

"前の男など忘れろ"。そんなセリフを言うような男だったなら、俺は有紗を任せられないと思っただろう。

けれども総司は、有紗の想いをすべて受け止めるつもりだと言った。

その言葉は、俺が安心して有紗と別れるには充分過ぎるほどの言葉だった。


(はじめくんが生きていたなら僕は有紗ちゃんのことを諦めていたと思う。だってはじめくんといることが有紗ちゃんの幸せなんだって知ってたから。けれどはじめくんがいなくなってからは、有紗ちゃんを幸せにできるのは僕しかいないんだって思ったんだ。きみも気が付いているんでしょ?幽霊のまま有紗ちゃんの傍にいても有紗ちゃんは幸せになることなんてできないって)

『……まったく…あんたには敵わんな』


(僕に任せてみてくれないかな…有紗ちゃんのこと。僕は自分のためだけにこんなことを言ってるんじゃないよ。僕にとっては有紗ちゃんも特別な人だけど、それと同時に、はじめくんも僕にとっては大切な友達だから)

『らしくないことを言う。明日は槍が降るな』


だが、俺も…総司のことは大切な友人だと思っていたぞ。

いや…"思っている"だな。


(だからね、僕は…さ。きみが残していってしまった大切な忘れものを…大切な友達の忘れものだからこそ、責任を持って幸せにしたいと思ってる)

『ふっ…それはきっと、あんたが思っている以上に大変だぞ。それでもいいのか』


あんたは知らないだろうが、あいつは結構我が儘なところがあるからな。

そして……よく笑い、よく怒り、よく泣き、……忙しいやつだ。

途中で疲れたと放り出したときはどうなるか分かっているな?


(だからね、はじめくん…きみは成仏してもいいんだよ。絶対に幸せにするって約束するから。僕ときみが交わす最初で最後の"男同士の約束"だよ)

『男同士の約束…か』


総司の言葉はその後からは聞こえなくなった。
きっともう帰ってしまったのだろう。

まったく。あんたは今も昔も、言いたいことだけ言ってさっさといなくなるな。


(だが…任せたぞ)


俺は心の中で総司に呼びかけた。

そしてそのすぐ後に丁度有紗も買い出しから戻って来て。



「さぁ、今日の夜こそ湯豆腐パーティーだからね!」

『あぁ、楽しみにしている』


そう言って明るく笑う有紗に、俺はすべての覚悟を決めて向き合い小さく笑みを零した。


俺は今晩の湯豆腐の味を二度と忘れることはないだろう。




6日目

俺が残した忘れもの


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