「眠れないんですか?」
 睨みつける先を空から後方へと向き返す。また一段と嘘くさい笑みがいつの間にかこちらを見下ろしていて、忍び寄る気配に気づけなかった不甲斐なさと上から降ってくる視線の気味悪さに苛立ちを覚えた。
「隣、よろしいですか?」
 質問ばかりな男は了承を得る前に僅か数十センチの間隔を開けて隣に腰を落ち着けた。まだ何も言っていないという意図を含んだ瞳でそちらを見れば、いなすように柔く微笑まれ何とも憎らしい。相手にしているのも癪なのでいないこととしようと、浮かび上がる満月に再び視線をずらした。
「今月もまた綺麗な月が上がりましたねぇ」
 今月も、と強調して言ってくる様はこちらのことなどお見通しだと言外に言われているようで気分が良くない。ちくちくと言葉の針を刺してくるのが嫌味なほど上手い男が、世界で二人目に嫌いだった。
「少佐? ご気分が優れないのですか?」
「放っておけ」
「そういうわけにも参りません。少佐に万が一のことがあっては申し訳が立ちませんから」
「……魂胆が随分と丸見えだな、大尉」
「おやぁ、バレちゃいましたかぁ」
 本当によく回る口だ、噺家の方が天職なのではないかと思えてくるぐらいには。
「心配されずとも勝手に床に戻る」
「毎回律儀ですよね、少佐も」
「……何、」
「落ちてきやしないと頭で分かっていても、習慣はそう簡単に消え去るものではないですか」
「貴様、何を言って――」
 途端に鳴りを潜めた空々しさが、今度は一転して不気味さへと変わる。怪訝な瞳で奴を見れば、そこからはもう逃げられぬような拘束力を感じた。こんな、ただ目を合わせているだけで。蛇に睨まれた蛙そのものだ。薄らぼんやりと、奴の後ろでにたり笑う影が見えたような気がした。
「落ちてきませんよ、貴方がここに在る限りは」
 確信、と共に暗転。蛇が笑うその一瞬の間に見えたのは、過去と変わらず血塗れた未来だった。


***


 悪習が今月もまたやってきたのかと嘆息した。親の仇とでもいうかのような目で睨む先にあるのは餓鬼と同じ色で煌々と輝く満月。その輝きが鬱陶しくて仕方がないというよりも、あの存在が今にこちらに害を及ぼしてきそうなのが気に食わないといったところか。
 他人から言わせればそんなのはただの思い込みの範疇にしか過ぎない。むしろ大多数の人間はあの輝きを目にすると感嘆の声を上げたりするほどだ。己のマイノリティに気づかぬほどもう子供でもない餓鬼はそれでも睨みつけることをやめない。
 さて、どう宥めたものか。“ハザマ”の仮面を貼り付けにじり寄れば、警戒心丸出しの幼稚な嫌悪感が向けられた。しかしそこに普段とは幾分違うものを見つけ、ふと時の流れを自覚させられた。
 秩序が芽生え始めた子供の瞳が、蛇を捉えはじめている。仮面が崩れ落ちそうになるのをすんでで抑え、内心でほくそ笑む。成程、これはまた面白いことになってきたじゃないか。
「落ちてきませんよ、貴方がここに在る限りは」
 嘘、は何一つ零してはいない。秩序が存在する限り、あれが落ちてくることは絶対にあり得ない。自ら終わりを選択しようとはしない、世界は。永らえるための秩序だ、だから“テルミ”はそれを利用する。
 虚言で溢れかえる世界の中で、たった一つ濁らぬ真。倒れ伏せた子供を腕に抱き、ハザマは一方では愛おしそうに、一方では愉しそうに呟いた。
「愛していますよ、だから頑張ってくださいね」


(:20130707)
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