夏の匂いが嫌いだ。胸に染み付くあの不快な匂いから逃げたくて、気づけばいつも締め切った家に引きこもる。新羅から四日に一回の頻度で生存確認されるところを見ると、それなりには心配されているらしい。夏が嫌いなのではない、でも外は嫌いだ。だからクーラーで冷え切った部屋でディスプレイと睨めっこをする姿は、さながらニートそのものだろうと思う。
暑いのは嫌いというより苦手だ。どちらかというと着込む冬のほうが得意ではある。一度学生のときに寝不足が祟ったせいか熱中症で倒れたことだあるのだ、それからだと思う。お前の言うことは訳が分からないと指摘されたことがある、もっともだと思った。
いろいろトータルで考えてみると、このまま地球温暖化とやらが続いてしまえば確実に俺は生き残れる可能性が低くなっていく恐れがあった。別にそれでどうこうって悩みはしないけど、もし早くに死が訪れてしまった場合人間のこれからを共に見ていけないのは残念だなあとぼんやり思う。それと、ある、とは一応信じることにした天国だって確証が取れたわけではない。
不安、というには大袈裟過ぎるけれど、渋る気持ちが渦巻いていた。そんな風に、夏は余計なことを多く考えてしまう。無限に時間を与えられているわけではないのに、学生の頃の夏休みに戻った気分で、8月31日までがとても長く感じる。
今年もまた毎年のように家で引きこもる気満々だったはずの7月下旬、それはいきなりやってきた。
「灰皿」
「置いてるわけないでしょ」
我が物顔で押しかけてこられたのはもう何度目のことか、多分3回目ぐらいに達したところで数えるのをやめた。化け物はふんぞり返りながらソファを占領している。深夜の、漸く自分も寝付こうかと思ったそのタイミングで襲来した嵐は、まだ帰る気などさらさらないらしい。はた迷惑が服を着たような奴だ。
「用件は」
「んなもんはねぇ」
「…迷惑なんだけど」
「そりゃよかったな」
これほどまでに人の突然死というものを望んだのは生まれて初めてかもしれないというくらいに、今すぐにでも目の前で図々しく腰を落ち着かせている奴が消えることを願った。願ったところで叶えてくれる優しい神様なんてものはいるはずもなく、同じ空間で息を吸うはめに現在進行形でいる。
諦めるのも腹立たしい、しかし打開策など見つかるはずもなく辟易する。我が家だというにも関わらず最悪な居心地に逆に拍手してやりたくもなった。
「、もういい」
いっそのこと化け物なんかいなかったことにしよう、そう思い立って踵を返し自室でそのまま眠ってしまおうとした。
「…なにさ」
したの、だが。
「何勝手にいなくなろうとしてんだ」
「俺さっきまで仕事してたんだけど」
「それがどうした」
「寝たいんだけど」
「させるか」
売り言葉に買い言葉。いつものように突然暴れだすこともなく平然と言ってのける奴の顔を見ていたら、こちらの沸点がどんどん下がっていくようだった。何を偉そうにしているのかは分からないが、ここを自分のテリトリーとでも勘違いしているのなら早急に追い出さないと最悪の場合住み着く。そう危惧した自分は行動を開始した。
「警察呼ぶよ」
「なんでだよ」
「これ立派な不法侵入になってるんだけどシズちゃん気づいてる?」
「………」
「無自覚かよ」
どうやらこいつには一般常識というものが著しく欠如しているらしい。
「あのさあ、ここ一ヶ月あまり俺は一回も外には出てないし、ましてや君の機嫌を損ねることなんて一回もしていない。今まで用が無けりゃ近付きもしなかったくせにどんな心境の変化?」
事実だ。もっと言えば一回も外に出ていないどころか、何もする気が起きなくて一日中寝てた日もあるくらいだ。そんな俺にこいつは一体何しに来たのか。
「働けよ」
「働いてるわ。少なくとも君より稼いでる自信はあるね、やり方が世間一般の知るものとは若干違うだけで」
「いちいち一言多いんだよ手前は…」
「むかつくんだったら帰るなり何なりすればいいじゃん、俺は寝たいの」
睡魔はこんな状況にも関わらずすぐそこにまでやってきていた。それは俺の体力の限界が顕著に現れている何よりの証拠。下手すれば今にも落ちそうな意識をなんとか保っているのは、何もかもこいつのせい。その事実に余計に腹を立てる気力は、もう塵ほども残ってはいなかった。
「調子狂うんだよ」
意味の無い言い合いの幕を下ろそうと先に動いたのは、意外なことにあちら側だった。
「ここんところ手前の嫌味ったらしい顔一つ見ねぇのに気分が晴れるどころか、逆に苛立って仕方がねぇ」
何を言っているんだろうかと、驚きで体が硬直した。眠過ぎてとうとう大脳が働くのををやめたのかと一瞬考えたくらいだ。そうではない、これは紛れもない現実だと教えられるまでにどのくらい時間を要しただろう。自分で言っておいて恥ずかしくなったのか、奴は「とにかく、調子狂うんだよ!」と訳の分からない八つ当たりまでしてきた。もうやめだ、正しく理解しようと努力するのはやめよう。奴の馬鹿みたいに喚く姿を見てそう決めた。
「……で?」
「あ?」
「そのイライラとやらは、解消されたの?」
呆れ半分の溜め息を重苦しく吐き出して聞く。どうせ返事は分かっているからと諦めて、酷くなる頭痛に気づかないふりをする。
「全然」
だろうと思った。
恨みがましく横目で奴を見れば、鳶色の眼がすぐそこに迫っていた。


(:20111223)
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