※主人公:瀬多総司
あ、くわれる。
がぶり、まるでそんな効果音が聞こえてくるような荒々しい噛み付きっぷりに意識が丸ごと持っていかれるまで五秒はかかった。ああ一秒って意外と長いんだなあ、と後にどうでもいい感想を吐き出す。歯型がくっきりしっかり二の腕に残り、ああいたいけな青少年になんてことを、というかそもそも俺は食いモンじゃねえよバカ何気に痛かったぞと心中でこっそり悪態を吐く。飄々とした瀬多はなんでもなさそうに、「あ、ごめん」って。それだけかよ。誠意が感じられない謝罪に今までなんとも思わなかったのはずが急に腹立たしくなって、瀬多に向かって軽く里中直伝(見て覚えただけだけど)を食らわしてやった。地味に痛がってやんのへへっ、ザマーミロ。
というか俺の相棒には人肉を食らう趣味でもあったのか。もしそうだったらちょっとひくわー、と声には出さず非難の目を向けてみた。視線を意味を読み取ったのか、陽介の肉だったら美味しいかもね、ちょっと筋張ってそうだけどって普通に返されて、筋張ってるってなんだ失礼ないやそういうことじゃねえだろ俺、ぐるぐる考えさせられる。だから俺は頭がお前ほどできてねえんだって、からかうならもっとハードルを下げた冗談で頼む。頼むよ相棒怖いんだってマジで、いや何がってお前の思考が。
若干ホラーちっくなやりとりと共に帰途につく俺たちの後ろでは、沈みかけた太陽が八十稲羽の景色に溶けかけている。さっきまで瀬多が飲んでたリボンシトロンの臭いが、なんでか俺の体にこびりついたかのように離れなくて、そういや俺ら天下の往来でなんてことをと今更ながらに思い出す。田舎でよかったとこれほどまでに感謝したことはない。もしこれが都会のど真ん中だったりしたら、ああ人は羞恥心で本当に死ねるんだということが立証されてしまう。なんて不名誉な死亡例だよ、でも瀬多ならやりかねないところがまた怖い。夕飯食ってくか?というあいつの声も耳に入ってこないくらい、その可能性に恐怖していた。
「よーすけー」
「はいいっ!」
「うわっ、情けない声」
「おいうわっ、ってなんだうわっ、って。九割方お前のせいだぞ」
「はいはいジュネスのガッカリ王子も大変ですねー。話変わるけど陽介今日夕飯食ってく?」
「えっ、いいの?!」
「目に輝きが戻ったな」
「リクエストしてもいいか!」
「どうぞ、ご自由に」
モテる男ってこういうところが違うんだなあ。変に関心しながら夕飯にぴったりなメニューを思い浮かべる。この間食べた肉じゃがが一番に出てきて、次にカレーとありきたりなものばかり。ああでも俺だけの欲求じゃ菜々子ちゃんに申し訳ない、もっと早くに本来ならば気づくべきことだがああそうか、これがガッカリ王子たる所以か。
「そういや堂島さんは?」
「帰り遅いってさっき菜々子から連絡あった」
「ふーん…」
相変わらず多忙なんだなと返せば、瀬多は少し嫌味っぽくそうだなって返事をした。多分菜々子ちゃんのことを思ってだと思う。瀬多の家(もとい堂島さん宅)には何度も足を運んでは夕飯やらなんやらと世話になることが多いが、たまに見る菜々子ちゃんの寂しそうな横顔は見ていて辛いものがある。まだあんなに小さい、それも女の子が、暖かさを残さない一人きりの家で留守番という光景は想像するだけで涙を誘う。
実は都会に住んでいた頃は俺もなんやかんやで小さい頃から鍵っ子で、それにしたって俺と菜々子ちゃんとじゃあ寂しさの度合いが違う。だってあの子にとって親という存在は堂島さんしかいないのに。だから、瀬多の存在というのはものすごく大きなものなんだろう。菜々子ちゃんがあんなにも本当の兄のように瀬多のことを慕う気持ちは痛いほど分かる。
「なあ瀬多、菜々子ちゃんが好きなものってなんだ?」
「どうしたの急に」
「んー…なんか俺ばっかり好きなもん食べてもなあと思いまして」
「へぇ、陽介にも気遣いって言葉はあるんだ」
「もしかして、俺ケンカ売られてる?」
「冗談冗談」
顔が笑ってねえぞ、おい。
瀬多の納得がいかない一言は放っておいて、このほとんど空っぽに等しい頭で菜々子ちゃんも喜んでくれるような献立を引きずりだす。できれば俺も手伝えそうなもの。いや瀬多がいれば俺なんて邪魔以外の何者でもないとは思うが、いじらしいあの子のためにも何かがしたい。
「悩んでるとこ悪いんだけどさ、俺腹減った。早く決めてよ陽介」
「毎回思うけどお前もうちょっとそのフリーダムさどうにかなんねぇ?」
「無理だね」
「はあ…」
ポケットに何か忍ばせていなかっただろうかと思案しながら手をつっこみ掻きあさる。いつもならのど飴を常備しているはずなのだが、悲しいかな今日はゴミだけしか発掘できなかった。どうせこのままジュネスに行って買い物するだろうから、そのときに何か奢ればいいかと安直な考えでいた二秒前。
あ、くわれた。
今度はうなじに、雄雄しい噛み痕をつけられたと理解するまで十秒かかった。瀬多、俺はお前の非常食じゃねえよあほんだら。
「ごめん、腹減ってて」
「それはもっと物理的な意味じゃねぇのか」
「物理的だよ?」
「そうだなそうだろうよ、いてーよ」
「美味そうだったから、つい」
今度はそのつい、で体丸ごと貪られそうで、俺は今からでもこいつの隣を歩くのを遠慮したい気持ちになった。
ここが田舎で、本当によかった。
(:20111209)