聞き分けのいい子供は嫌いではないと笑われた。あの日から何一つ変わらない自分は、街を闊歩する。
「珍しいねえ、ここに折原の坊っちゃんが来るなんて」
「やめてください赤林さん、もうそんなんじゃないですよ」
「おや?四木の旦那と決別でもしたのかな?」
「違いますよ、ただ立場が変わっただけです」
池袋も外れの、小さな公園の一角。境界を越えれば多分そこはもう池袋ではなくなるのだろう。くくりは豊島区のどこかということになり、同時にテリトリーという常識は通じなくなる。そこから先は何にも干渉されない、さながら国境線のようなもの。
「それに、表立ってとはないにしろ意図的にここに呼び出したのは貴方じゃないですか」
「んー?気づかれてたのかな?」
「流石にもう分かりますよ、ご丁寧にすごくわざとらしかったですが」
「いや悪いねえ、なかなか折原さんと話せる機会なんてないもんだからつい、ねえ」
「……それもそうですね」
境が曖昧なここは嫌いだ。目の前に相対するこの人はそういったものを好む。言い方を変えれば、ここはこの人の領土で、ここではこの人の常識しか通用しない。本来ならばそれは俺自身が得意としているもので、他人に同じように振る舞われるのは好きではないというのに。きっと知った上でのことなのだろう、昔からそういう人だったから。
「夜の散歩っていうのも、なかなかいいもんだね」
「そうでしょうか?ご老体に夜風は毒では?」
「棘があるなあ……おいちゃんは悲しいよ」
「そういう風に育てたのは、貴方方だと記憶していますが……」
昔話に花を咲かせるためにここに呼ばれたわけではないだろう、それは分かっている。じゃあ、今更この人が自分を呼び出すメリットは?理解できないことは嫌いだ。
「じゃあそんな折原さんには意地悪してないで四木の旦那からのお届けものを素直に渡しちゃおうかな」
「お届けもの……?」
「あれ?話に聞いてないかな?」
「ええ、まあ」
四木さんがわざわざこの人を自分のところによこしてくるのは珍しく、多少の不信感はあったものの次の取引に関係するかもしれないことだったので、受け取ろうと数歩歩み寄る。
「相変わらず四木の旦那には従順だねえ……」
「何か」
「いや、なんでもないよ」
人の良さそうな笑みを浮かべているつもりなのだろう、それも見るからに怪しい出で立ちのおかげで台無しだ。ヤクザはどうしてこう派手に見せたがるのか、未だに理解ができない。脇に挟んでよく見えなかった茶封筒をこちらに差し出されたので、それに従い自分も手を出す。一応何かあるのではと疑り深く挑んだのだが呆気ないほどに何もなく、少し拍子抜けしてしまう。まあ元よりこんな人だし、今日は本当にただ届けものをしにきただけかもしれないと思い始めるようになった。妙に自分にちょっかいをかけるのが好きらしく、最近は四木さんに会うときでさえこの人に思わぬ遭遇をしてしまわぬよう注意するほどだ。そうさせたのは、他ならぬ目の前の赤林本人であるのだが。
「確かに受けとりました」
「じゃあおいちゃんはここら辺で。また機会があったら今度はお茶でもしたいねえ、折原さん?」
「機会があればぜひ」
愛想笑いの裏側に込めたのは、できるならこれきり二度と会いたくないといった想いなのだが、それが通じるわけでもなく、もし通じたとしてもこの人は絶対にそんな頼みを聞き入れてはくれない。人をおちょくって楽しむ、実に不愉快な趣味である。
「あ、そうだ」
ふと、赤林が思い出したかのように言った。急になんなのだろうか、他に渡すべきものでもあったのだろうか、と茶封筒にいっていた視線を彼に戻そうとした。
「誰かと、遊んでたりでもしたのかな?折原さんは」


煙草の臭い、おいちゃんあんまり好きじゃないんだよねえ。


ぞわりと、全身の鳥肌という鳥肌がその瞬間だけ一斉に逆立った気がする。肩に軽く手を乗せられているだけなのに、不思議とそれが何キロもの重みのように感じる。緊張という緊張で、唾を飲むことさえ忘れた。一言でいうなら、恐怖。厳密に言えば少し違うのだが、だいたいそれに似たような不快な感覚。
「折原さんは吸ってないよねえ……?」
「……ええ、」
「そっかそっか、じゃああのお兄さんのものかなあ」
ああ今叫べるものならせめて助けか、できるならこの人に今すぐ帰ってくれと請うことだけなのかもしれない。流石は赤鬼、伊達ではないが何も今、こんなところで本領を発揮しなくたっていいだろうに。
「じゃ、マーキングでもして帰ろうかな」
背後に回られていたのか、うなじに確かに人のものと思われる柔らかな唇が吸い付いた。小さなリップ音と共に微かな痛みを伴い、唇は直ぐ様離れた。また嫌なところにマーキングをされたもんだ、これじゃあ明日は一日デスクワークで決まりじゃないか。…波江さんに見られたらどう弁解しよう。
「またね、折原さん」
にこやかに軽快なステップで、粟楠の赤鬼はその場を後にした。先程のあれは、四木さん宛にセクハラとして訴えでもしたらどうなるだろう。とりあえず、今からでも予定を変更して、明日は外には出ない。あと、当分池袋に来るのは控えよう、絶対。
やけに残り香の強い香水に噎せながら、砂利を蹴った。


(:20120305 加筆修正)
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