「感情もジップロックに詰めて冷凍できたらいいのに」

 冷凍庫を開けてそう呟くとカラ松はわけがわからないって顔をして私を見た。そりゃそうだ、私だってわけがわからない。そういう、わけのわからない、小難しいことを言い出す時の私は、決まって機嫌が悪い。カラ松もそれを知っているから変に追及せずにただ私の顔を、まるでじっと言葉を待つみたいに見ているだけだった。

「……ご飯何食べたい」
「何があるんだ?」
「煮込みハンバーグ、カレイの煮付け、チキンライス、炊き込みごはん、ポークカレー、ハヤシ、豚の生姜焼き」
「……豊富だな」

 冷凍庫の中で一食分ずつ小分けになったものを見ながらメニューを挙げていけばカラ松はぽつりとそんな感想を零した。小さなジップロックが規則正しく冷凍庫の中へ整列している様はなんだか少しSFっぽかった。
 カラ松がカレーを所望したのでお米を洗って早炊きにして、カレーの入ったジップロックを二食分取り出した。鍋に水を張ってIHコンロの上に置き、凍りついたジップロックの袋を鍋のふちに立てかける。……カレールーは電子レンジで解凍すると分離するから湯煎で溶かさなければならない。一人暮らしの経験則だった。

「こないだね、急に休みになったでしょ。その時まとめて作って冷凍した。2週間分」

 いつでも電子レンジか湯煎でほかほかになって、作った時みたいにあったかく、復活する。世の中はこんなに便利なのにどうして心は冷凍保存できないのだろう。どうしてインスタントにならないのだろう。もう一つ鍋を用意して水を張り、フリーズドライの粉末だしを目分量で放り込む。カレーに味噌汁って変だろうか。……まあいいや。

「丸一日ずっと料理してた」
「……大変だったな」
「一人暮らしのさだめだろうね」

 仕事して、寝て、仕事して、寝て、たまに付き合いで飲みに行って、また仕事して、残業して、給料は上がらなくて、休みの日は自分の食べるものを作り置きしてせっせと冷凍する。……これに加えてふつうのOLはネイルしたり、合コンしたり、恋をしたりするものらしい。とんでもないことだ。お金も体力も時間も追いつかないよ。だけどどうやら、2年後輩のリエコちゃん曰わくそういったことをしない女は「変」なのだという。

「らっきょも福神漬けもないけどきゅうりの浅漬けならある」
「食べる」
「ん」

 ネイルも合コンもホットヨガもしない私がみんなから何とかギリギリ首の皮一枚繋がって「変」だと思われていないのは、私に彼氏が居るからだ。リエコちゃんは飲み会の席で「最近彼氏と別れたけどどの彼氏とも長続きしない」と散々嘆いた後、不意に「みょうじさんて彼氏とか居るんですか」と聞いてきた。明らかに(どうせいないだろ)っていう、人を見下した顔で。リエコちゃんほどじゃないが周りに居る他の人たちの視線も大方そんな感じだった。そんな空気のさなか、ハイボール片手に「いるよ。もう3年になる」って答えた時、私の心は、綺麗じゃないどろっとした甘美ななにかで満たされて、酷く気持ちが良かったのを覚えている。

「味噌汁の具、わかめと豆腐でいい?」
「ああ」

 味噌汁の具をこの2つにしたのはまな板を出さなくていいからだ。乾燥わかめを鍋に放り込み、手のひらの上で切った豆腐を湯の中に入れる。かき混ぜて、沸騰したところで味噌を溶かした。どうでもいいけどカラ松は白味噌に比べて赤味噌が勝っている合わせ味噌が好きだ。だから我が家に常備してある味噌は色が濃い。
 あの時、敗北感に満ちた顔で私を睨んでいたリエコちゃんは、私の彼氏がいい歳過ぎて職につかないニートであることを知らない。教えるつもりもないが。

「味噌汁も冷凍できるかな」

 私の、感情も。

「……あんたに貰ったイッタいラブレターの開けた時の気持ちとか」

 全部ジップロックに詰めて、並べて、保存できればいいのに。もう思い出せないんだ、3年前どんな気持ちであんたと向き合ってたのか。思い出せたらもう一度幸せになれそうな気がするのに。カレーを湯煎している鍋がふつふつと沸いている。鍋の中で揺れる水面を見ていたらなんだか突然泣けてきて、しゃがみ込んだらカラ松がキッチンに入ってきた。

「なまえ、」

 やや困惑したような色が乗る聞き慣れた声はもうほとんど条件反射みたいに私を安心させるけれど、私の涙は止まらない。蛇口が壊れてしまったのかもしれない。修理工を呼んでくれ、と思いながら止まらない嗚咽を吐き出していたらふわりと背中が暖かくなって抱きしめられているのだと分かった。

「……手紙なら、いくらでも書くから」

 意味のわからないことを口走ってずびずび泣く私を訳も分からず抱き締めてくれるあんたはたぶん世界一私に優しいよ。けたたましいくらいの電子音でお米が炊き上がり味噌汁は吹きこぼれていた。


例えばもっと上手に呼吸できたら

(160311)



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