「もしもし?え?なに?うん、それはもう昨日一松兄さんが大丈夫って言ってたじゃん。でもさぁどんな脅し方したんだろうねぇ。え?うん。おそ松兄さん?そのうち帰ってくるでしょ、明日には帰るって昨日言ってたし。おそ松兄さんに相談してよ僕そういうの分かんない……あーごめんキャッチ入ってる、ああ、うん、また後でかけるから。はいはい。キャッチ入ってるからまたね。うん、うん。じゃあね。……あ、もしもしー?うん、もうちょっとで着くけど、え?」

 道のど真ん中で突っ立って電話をしている男の人がいた。童顔に見えるが、この時間に私服でうろうろしてるならたぶん高校生ではないんだろう。私みたいに朝から授業をさぼっているなら話は別だが。ファストフード店で買った100円のシェイクを漫然と吸い上げながら、特に行き先も用事も無い私は歩道の脇でその男の人の様子をぼんやり眺めていた。道行く人たちが少しだけ迷惑そうな顔で彼を避けていくが、彼はそれに気がついていないようだ。

(……あ、歩き始めた)

 ん?何か落としてない?目を凝らして彼が落っことしたものが何か見定める。さいふ。え、財布じゃん。誰か気付かない?拾ってあげてよ。うそ、なに、私しか気付いてないの?彼は電話口の相手に気を取られているのか、振り向きもせずにどんどん歩いて行ってしまう。ああもう、

「あの」
「え!そうなの?そっかぁ、うん、……うん?」
「お財布落としました」
「わあ!本当だありがとう、えっ?あ、こっちの話……わ、ちょっと待って!」

 財布を渡し早急に立ち去ろうとしていた足を止める。呼び止める言葉は誰に言ってるのか判然としないけど、たぶん私に言ってるんだろう。だってこっち見てるから。私と話すか電話してる相手と話すかどっちかにして欲しい。
 彼が電話片手に目線と手振りで「うごかないで」と伝えてくるので、仕方無く冷たいシェイクのストローをくわえたまま彼のそばに突っ立って電話が終わるのを待った。ときどき私がちゃんとそこに居るか視線を走らせながら(心配しなくても逃げたりしないよ)早口で電話を終わらせた彼は、私に向き直ってへらりとその可愛らしい顔に笑みを浮かべる。

「ごめんね電話しながらで」
「あ、いえ」
「良かったらお礼に何か奢るよ」

 なにこれ、ナンパ?だとしたらものすごく巧妙なナンパだ。私がよっぽど訝しげな顔をしていたのだろう、男は苦笑交じりに大丈夫変なつもりじゃないから、と両手を胸の前で振って見せる。こちらが何も言わないのに「あっ、嫌なら良いんだけど」と付け加える彼に、よく喋る人なんだな、とまるで他人事みたいな感想を抱いた。それか沈黙に耐えられない人なのだろう。勝手に話してくれるならこっちが話さなくて良いから助かるけれど。

「それともお腹減ってない?」
「……ミルクレープ」
「ミルクレープね」

 だったらすぐそこに美味しいお店知ってるから行こっか、と小首を傾げる様はどこか小悪魔然としていて、やっぱりついていかなきゃ良かったかな、と少し後悔した。でも連れて行かれたお店のミルクレープが本当にほっぺたが落ちるんじゃないかってくらい美味しかったからなんだかもう細かいことが全部どうでもよくなって、舌の上で解ける甘いそれと良い香りのする紅茶にただただ舌鼓を打つ。ああ、なんて美味しいんだろう。
 美味しそうに食べるね、と声を掛けられたことで我に返り、口の中のミルクレープを紅茶で喉の奥に押し込んでから口を開いた。

「誰かと約束してたんじゃなかったんですか?」
「ドタキャンされたとこ。電車動かないんだって」
「ああ」
「知ってた?」
「動いてないから学校行くのやめたんで」
「人身事故らしいよ?昨日の夜中」

 死ぬなら他人に迷惑かけない方法で死ねばいいのにね。ミルクティーのカップを口に運びながらそう言った彼の瞳がほんの束の間、氷のように冷えたような気がして、思わずじっと注視したが二度とその色が彼の瞳に浮かぶことはなかった。気のせいだったのだろうか。潤みがちの大きな黒目がまるで子犬みたいに私を見つめる。

「そう、それでね、」

 いちごのミルフィーユをフォーク一本で器用に崩さず食べていく彼の女子力に感心していたのであまり真面目に話を聞いていなかったが、彼は大変饒舌だった。放っておいたら話題のスイーツと理想の男性像と連ドラの今後の展開についていつまでも話し続けていそうなクラスの女子みたいに。どこそこのカフェのラテアートが可愛いとか、どこそこのパンケーキは並ばないと食べられないけど水曜は比較的空いてるとか、将来子供が産まれたらどんな名前をつけたいか、とか、動物園では何の動物から見るか、とか……実にどうでもいい話ばかりだったが私が制服を着ているから喜びそうな話題を選んでいるのだろうか。あまり反応の芳しくないことに気付いた彼が不思議そうにそのくりくりした目をまたたかせる。

「ね、動物園とか嫌い?」
「水族館は割と好きです」
「そう。じゃ、この後行かない?」
「え」

 なんかきみ寂しそうだし、僕は予定が無くなって暇だし。と言ってそのアヒル口で小さく笑う。あまりに突然の申し出に思わずごくりと唾を飲んでしまった私はお砂糖で麻痺した頭を懸命に回転させた。……断ったほうがいい?断ったほうがいいんだろうな。知らない人について行っちゃいけないって幼稚園児でも知ってる。まあそれに関してはここでミルクレープ食べてる時点でもうだめなんだけど。黙り込む私に彼がきょとんとしながら、

「変なことされるかもって思ってる?」
「……」
「例えば、そのままどこかに連れこまれてえっちなことされるとか」

 思わずかっと顔が熱くなってくちびるからは言葉にも声にもなりきれない中途半端な吐息が漏れた。一気に赤面した私を見て彼はふ、と息を漏らし、日なたの猫みたいにその目を細めている。楽しまれていることを薄々感じながら顔を隠すようにうつむいた私はまるでうぶな女子高生みたいに膝の上で指を弄んだ。そういえばわたし女子高生だったっけ。何とも言えない据わりの悪い気持ちになりながら紺色のプリーツを指先で整える。

「否定はしないでおこうかな」
「か、からかわないでください」
「からかってないよ」

 だってきみ可愛いし、と。呼吸するより簡単そうに吐き出された言葉は私の鳩尾のあたりへすとんと落ちて綿菓子みたいに甘く溶けていく。砂糖菓子みたいな台詞をさらりと言ってのける彼に、ドタキャンされた相手もきっと女の人なのだろうなと、何の根拠も無いけれどそう思った。彼の顔を直視できずにカップの中で飴色に揺れる紅茶の水面を見つめていたら喉の奥でくつくつ笑われて。私はミルクレープの最後のひとくちを口の中へ放り込んだ。

「きみが嫌なら何もしないけど」

 机の上に出した私の手に、彼の手が重なる。まめに手入れされた短い爪がつやつやと光っていた。冷え性でひんやりとした私の手に重ねられたあたたかい指が軽く私の手首を撫で、手のひらを上に向けさせるとそのまま手を繋いで、軽く握る。口角をきゅっと持ち上げたその笑顔は砂糖をしこたま入れたホットミルクのようで。おさとうに歯が侵されるみたいに私もこのまま蝕まれていくんだろう。あるいはもう手遅れなのかも知れない。

「ね、どうする?」

 口の中でほどけるミルクレープも、甘い言葉に浸された心臓も、愛らしい彼の笑顔も、甘ったるすぎて目眩がした。


ミルクホワイト
の微笑

(160208)



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