「じゃあセックスしてあげようか」

 最低、って言われるのを覚悟してたのにまさか頷いてもらえるなんて思わなかったから本当は僕の方が面食らっていた。平静を装いながら彼女と連絡先を交換して、互いの予定を確認し合う。まるで遊ぶ日取りを決めるみたいに(あるいはそれ以上に事務的な雰囲気で)セックスする日付を決めるというのは何とも不思議な心地がした。

 初めて話したのは、彼女が僕をおそ松兄さんと間違えて声を掛けてきた時だった。あんなちゃらんぽらんの兄さんと間違えられるなんていささか心外だったけれど、僕たちはどうやら他人から見れば判別がつかないらしい。そのことは幼少期からの経験で身をもって知っていたから、今さら驚きもしなかった。

「あ……あれ?私もしかして間違えましたか?」
「いや、合ってるよ」

 僕が何も言わなかったからだろう、彼女は不安げな色をその顔に浮かべて眉尻を下げた。僕たちが六つ子なのは学内でも有名だったし、別の兄弟に声を掛けてしまったことに気付いたらしい。でも不安げなその表情を見て可愛いな、と思ったので敢えて本当のことを言わずにおそ松兄さんのふりをすることにした。(だってずるいでしょ?おそ松兄さんだけ女の子と仲良くしてるなんてさ。)
 意地悪しないでくださいよ、と安心したように笑う彼女はずば抜けて美人なわけじゃないけどやっぱり可愛かった。

「俺に何か用事?」
「あ、いや、特に用事は無いんですけど」

 照れたように笑う彼女がおそ松兄さんに恋をしていることなんてすぐに分かった。僕を見上げる目に満ちた憧憬、赤らんだ頬やそわそわと落ち着きの無い手元。こちらを見上げる彼女の恋する瞳は決して僕に向けられたものじゃないのに、その視線に晒されていると心臓の底がさわさわとくすぐられるような気持ちがして落ち着かなかった。
 他愛無い会話を5分くらい交わしたあと、彼女は時計を見て慌てたように廊下をぱたぱた駆けて行った(音楽の教科書を抱えてたからたぶん次の授業は音楽室なんだろう)。
 さて、それからというもの。時々校内で彼女を見かける度に僕は無意識にその姿を目で追うようになってしまった。たぶん恋だったんだと思う。

「おそ松兄さん、スニーカー貸してくれない?」
「下駄箱に入ってるから持ってって」
「ありがと」

 体育の授業でバスケをやるのに運動靴を忘れてしまった僕は隣のクラスのおそ松兄さんを訪ねていた。こういう時に六つ子だと助かるよね。足のサイズもみんな同じだから。今度何か奢れよー、というおそ松兄さんの声を背にジャージ姿で下足室へ向かう。おそ松兄さんの下駄箱はどこだったっけ、えーっと確か……ああ、ここだ、

「……?」

 かさり、音を立てて落ちてきたのは飾り気の無いシンプルな白い封筒。口は糊付けされておらず、簡単に中を見ることができた。小綺麗な字。女の子の字だ。おそ松兄さんを呼び出す文面。僕の心臓はどくりと大きく脈打った。右下には手紙の送り主であろう女子の名前が書いてある。僕は彼女の名前なんて知らなかったけれど、その名前を見た瞬間に不思議と彼女の顔が脳裏をよぎった。そして、

 僕はその封筒を持ち去った。





「どうも」
「お、お願いします……」
「ほんとにいいの?処女なんでしょ?」
「……いいんです」

 あの日、失恋した彼女がぽろぽろと涙をこぼす姿には胸が痛んだ。きみが恋したおそ松兄さんはまだきみの好意すら知らないのに。同じ顔をした僕の最低な提案に頷いた彼女の姿を見て、彼女の気持ちの大きさを思い知ったような気がしていた。
 あまりにも卑怯な方法で彼女の想いを絶った僕は体育倉庫で彼女を迎え、ポケットから避妊具の箱を取り出す。使ったことなんて無いのに箱が開いているのは、童貞だと悟られたくないばかりに中のゴムを1つ犠牲にして性器に着ける練習をしたからだ。

「じゃ、しよっか」
「あ、……はい」

 莫大な質量の罪悪感に苛まれているのに、肉体はどこまでも浅ましかった。跳び箱の上で小さく身体を震わせながらうつむく彼女を見ていたら股間にずくりと熱が集まる。獣じみた自分の本能を否が応でも認識させられるようだった。(本当に、嫌になる、)
 身じろぎひとつ出来なくなっている彼女に気付き、その頭に触れる。まるで壊れ物に触るみたいにやわらかい髪の毛を出来るだけ優しく撫でた。……いまさら罪滅ぼしなんて出来ないのは分かっていたけれどそれでも僕は目一杯の、持ち得る限りの優しさで彼女の傷を舐めずにはいられない。でないと僕の方が押し潰されてしまいそうだったから。

「緊張しすぎ」

 僕の顔を見つめる彼女の瞳が揺れている。澄んだ瞳に見透かされているみたいで、居た堪れなくなった僕は彼女のくちびるをそっと奪った。驚くほどやわらかいくちびる。僕を、……いや、おそ松兄さんを見上げて愛らしく笑っていた彼女のくちびるが、こんなにも簡単に僕のそれと触れ合っている。
 やめて、とたった一言、言ってくれたら。そして最低だと詰りながら殴ってでもくれたらまだ救われるのに。絶対に拒絶を示さないことで彼女は僕に復讐していたのかも知れない。
 上半身だけ下着姿になった彼女は泣き出しそうな顔で僕を見上げる。おそ松兄さんはいつもどんな風に笑っていただろう。僕は上手に兄さんの顔を出来ているだろうか。せめてきみをうまく騙せているだろうか。……酷いことしてごめんね、だから、

「おそ松先輩って呼んでいいよ」

 例えそれがおそ松兄さんの姿をしていたとしても、思い出としてきみに刻まれていく物事の一部になれると思うだけでどうしようもない幸せを感じてしまう僕を、どうかゆるさないでいて。


ヒロイックエレジー

(160111)



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