背丈は伸びても




……同じ遺伝子から出来ているはずなのにどうしてこうにも格差があるのだろう。リビングのソファーですうすう寝息を立てて眠ってしまっている自分の弟の姿を半ば睨むように眺め、溜息を吐きながら手元のマグカップに視線を落とした。ふう、と息を吐けばふわりと立ち上った湯気が鼻先にぶつかって紅茶のいい香りが鼻腔を満たす。

通った鼻筋、長い睫毛、綺麗な肌、高身長に今流行りの細マッチョ、サラサラの髪の毛にすらりと長い手足……そんな弟は高校生のくせに毎月のようにどこかしらの雑誌に載る人気モデルな上にバスケじゃキセキの世代なんて呼ばれて天才扱い。お父さんとお母さんとお祖母ちゃんとお祖父ちゃん、ご先祖様達のいい所を余す所なくまるっと漏れなくみんな受け継いで生まれてきたのが私の弟だった。

それに対して姉の私はといえば容姿にせよ頭脳にせよ運動神経にせよ全てにおいて平凡の域を出ない大学生。むしろ平均以下かも知れない。きっと全部弟に持っていかれてしまったのだ。かろうじて過去の勉学の成績を見れば私の方がわずかに上回るけれどそれもせめてそこぐらいは負けたくないと勉強に励んだ私と、部活と仕事の片手間に勉強をしていた弟との勝負だと思えば…実質敗北のようなものである。

「神様は不平等だ……熱、」

勢い良く机に置いたマグカップから紅茶がこぼれて手へとかかってしまった。うるさい黙れという神のお告げだろうか。慌ててティッシュに手を伸ばしてそれを拭い、別たれた自分と弟の運命を心中で嘆く。そのうちにふつふつと理不尽な怒りが沸いてきた私は体の後ろに手をつきながら弟と違って短い足を精一杯伸ばし、長細い体を窮屈そうにソファーに収めて眠る弟の体をぐいぐいと爪先で押しはじめた。この、この。

「えい、重い……」

身長がこれなら体重もそれなり。昔はよくおんぶしてやったけれど今はもう出来ないなあ。結構な力を要したあとぐらあ、っとゆっくり傾いた弟の体はスローモーションみたくソファーからずり落ちて消えた。どさりという音を聞いて達成感に包まれる私。が、同時にふくらはぎに形容し難い痛みを感じて息を飲む。

「足…つった、!」

無理に伸ばした足が見事につってしまった私は親指を曲げて筋を伸ばしてやりながら悶絶する。い、痛い…!こういうことするとやっぱり罰が当たるものなんだな、と痛感しながらふくらはぎを揉んで一人呻いて反省した。神様は依怙贔屓が好きらしい。……あれ、弟は?文句の一つでも言われるだろうと予想していたのに。

「……うそお」

回復した足をひんやりとしたフローリングに伸ばし、まるで凍った川へ踏み出すみたいに恐る恐る立ち上がった私がソファーの向こうを覗き込むと、弟はソファーから落ちてなお床ですやすやと気持ち良さそうに眠っていた。うーんむにゃむにゃ、という吹き出しでもつけてやりたいくらいの熟睡っぷりに呆れや感嘆が入り混じった吐息が漏れる。

「凄いな……」

思わず零した独り言。そういえば弟は最近また部活を頑張っているらしい。練習で疲れているだなんて、そんな弟は久々に見た気がする。最近は家でもバスケの話ばかりする弟はなんだかとても楽しそうだったけれど、私のよく知らないものに弟が盗られたような気がしてほんの少し寂しかった。何でも出来る私の弟は私に酷く劣等感を抱かせると同時に自慢の弟でもあったのだ。ずり上がったTシャツから引き締まったお腹を丸出しにして寝ている弟は憎たらしいけど私の大切な兄弟。血は争えない。

「涼太、涼太」
「んん、」
「風邪引くよ、部屋で寝なよ」
「んー……」

ごろりと寝返りを打って反応しなくなった弟。仕方が無いので弟の部屋まで行ってベッドから毛布を取ってきてやった。被せてやるとぎゅっと手で毛布を掴んだまま眠るところが小さな頃と変わらない。あんなに可愛かったのにと昔の天使みたいな弟を思い返しながら発育の良すぎる体を眺めた。私より小さかった手はいつの間にか私の手をすっぽり包めそうなほど大きくなって、身長だってすぐに私を抜いて育ちすぎの域…肩幅も、…ああ、すっかり弟は男に成ってしまったらしい。成長とは恐ろしい。

「……ねえさ、ん…」
「うん?…あ、寝言?」

もごもごとはっきりしない口調で呼ばれて思わず返事をしたあと寝言って返事しちゃ駄目だったような、とどこで仕入れたのか分からない知識をよぎらせながらその寝顔を覗き込む。と、弟はけだるそうに毛布の端を持ち上げて自分の横に空間を作っていた。ふぁさふぁさと弱々しく毛布を上下させる弟の意図するところをようやく汲んで、その空間に足からのそのそとお邪魔した。別に寝たくて毛布を持ってきた訳では無いのだけれど。

「……」

そういえば昔はこうやって姉弟並んで眠っていたなあなどと懐かしい気持ちに浸りながら弟を見る。一人で部屋を暗くして眠れなかった弟はいつから自分の部屋で眠れるようになったのだろう。いつから夜中にトイレに行きたいと私を起こさなくなったのだろう。いつから私の後ろをくっついて歩くことをやめたのだろう。背の高さで抜かれたその瞬間から弟は人知れず姉離れを加速させていたのかもしれない。判然としない記憶は全てどこかしらに愁いを帯びている気がした。仕方の無いことだとは言え、寂しいものだ。

私が毛布の中に潜り込んだのを感じ取ったのか、弟は持ち上げていた毛布を下ろして私にかけた後ごそごそと寝返りを打ち、こちらに背を向けて寝入ってしまった。不器用な優しさに笑みが漏れる。……神様はこんな弟を持つ幸せの代わりに私から素養という素養を奪ってしまったのかも知れないと、比較的真面目に思ったりする。私も存外神様に贔屓されているのかも知れない。

目が覚めたらまた減らず口ばかり叩くであろう弟も眠ってしまえば可愛いもので。すっかり成長して広くなった背中を眺めながら緩やかに微睡みの霧に巻かれていく、懐かしくて心地良い午後。


(120830)



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涼太くんとお姉ちゃん。リクエストに沿えていますでしょうか不安です…!
榎本さん、リクエストありがとうございました!


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