どうぞ骨抜きに




待ち合わせ時間の5分前。彼女は俺の姿を見つけるとぱあっとその表情を明るくして微笑んだ。制服を着ている時とは雰囲気の異なる彼女は普段より格段に大人っぽく見える。降ろされた髪の毛や控えめな化粧にどきりとして、思わず率直な感想が漏れた。

「可愛い」
「あ、ありがとう」

ストレートな言葉に彼女はぎょっとしたような顔で俺を見上げて、その後照れたように笑った。こんな彼女が時々少し不安げにあたりを見渡したり携帯をちらちら気にしたりして、他でもない俺を待っていたのだろうか、と思うとそれだけでじんわりと鳩尾のあたりがくすぐったくなって嬉しくなってしまう。

「行こうか」
「あっ……」

小さく華奢な手を出来るだけ優しく包む。その拍子に彼女の爪が控えめながら綺麗な色に彩られていることに気付いて彼女の顔を見たら、そこには戸惑うように視線を泳がせている彼女が居た。薄く色づいた頬の朱がいじらしくて顔が緩む。…可愛いな。抱き締めてしまいたいのを堪えながらその手を引いて、向かうは映画館。

「おいで、はぐれるよ」

…映画館の中はよく言えば空いていて、悪く言えば閑散としていた。彼女はその様子に目を丸くしながら平日だとこんなに人が少ないのかと驚いている。休日は結構混んでいるらしい。…わざわざ試験明けの代休を選んで良かった。難なくカウンターでチケットを買って、上映時間までどうしようか、と彼女に持ち掛けてみる。

「買い物とか付き合うけど」
「あ、えーっと……その、」
「……?何でもいいよ」
「あの、…お腹、空かない?」

恥ずかしそうにはにかんだ彼女にふっと笑いが漏れる。その時初めて自分の思っていた以上に自分が緊張していたことを知った。余裕を気取っておきながらみっともないな、と苦笑するとそれを間違った意味に受け取ってしまったらしい彼女は焦ったように両手を振って先程の言葉を否定しようとする。

「あ、あの、氷室くんがお腹空いてなかったら全然、」
「ああごめん、そういう意味で笑ったわけじゃないよ。俺もお腹空いてるし」

マジバがいいな、という彼女のリクエストに応えて近くのマジバに向かうことになった。…もっと良いもの食べたいって言ってくれていいのに。道すがら、彼女は俺の隣を歩きながら恥ずかしそうにぽつぽつと話し始める。

「今朝は朝ご飯食べる時間無かったから…」
「へえ、寝坊?」
「ちゃんと起きたんだけど着てく服悩んでたら時間無くなっちゃって」
「それは俺のためにお洒落してきてくれたってことかな」

分かりやすく照れながらちが、と言いかけ、はっとしたようにああでも違うって言うのも失礼だよね、と悩み始めてしまった彼女の変な律儀さに笑ってしまう。そこは俺のためって言ってよ、という俺の頼みに彼女は渋々といった感じで頷いてくれた。

「…マジバってアメリカにもあるんだっけ?」
「あるよ。メニューと味は微妙に違うけど」
「日本人向けにされてるんだ」
「そうそう」

テリヤキバーガーなんてのは日本にしか無いしね。と教えてあげると彼女は大袈裟なくらい驚いて、こんなに美味しいものをアメリカの人は知らないのか…とショックを隠せない様子だった。バニラシェイクの味は同じなのかな、と楽しそうに聞く彼女もいくらか緊張が解れてきているようで、自然とこちらの顔もほころんでくる。

「何食べる?」
「エビカツかなー」
「飲み物は?」
「お茶…って氷室くん、私自分の分は出すから」
「いいよ、俺が誘ったんだし」

自分の分と彼女の分を頼んで会計を済ませる。それでも払うと聞かない彼女をやんわり曖昧な笑顔でかわして、トレーに乗った二人分の食事を座席に運んだ。すっかり財布を開いて払う気満々の彼女に苦笑する。……強情だな。そういうところが好きなんだけど。でもこればっかりはね。

「氷室くん、ほんとに払うよ」
「うーん…じゃあ、ここは俺が持つ代わりに、また俺と出かけてよ」
「……そんなのでいいの?」

まだ少し納得出来てはいないようだったがとりあえず溜飲を落としたらしい彼女は俺の向かいの座席に腰を下ろして財布をしまってくれた。ほっとしながらハンバーガーの包みを開く。彼女も美味しそうにエビカツバーガーを食べていたので安心した……のだが。半分ほど食べたところで彼女はあからさまに挙動不審になってそわそわと何度も飲み物を飲んだり口元を紙ナプキンで拭ったりし始めたので流石に心配になって声を掛ける。

「大丈夫?お腹一杯なら残しなよ」
「あ、ちが、そういうんじゃなくて」
「うん?」
「あの、あのね氷室くん」

笑わないで聞いてね、と彼女は前置きして、手に持っていた食べかけのエビカツバーガーを紙に包んでトレーの上に置く。妙に改まって緊張した面持ちの彼女はそのまま膝の上に手をやって数回深呼吸したのち、今度はなんだか泣きそうな顔になりながらぽつりと一言。

「氷室くんのことがすきです」

……よく分からないがそれを聞いた瞬間しまった、と思った。先を越されたというか先手を打たれたというか、勿論すこぶる嬉しいのにどこか悔しいという不思議な感覚。ぐっと口を引き結んで俺を見ている彼女に自分が少し恥ずかしくなってしまった。映画を観たそのあと別れ際に良かったら付き合ってくれないかな、考えといてよ、とでも言おうと思っていた俺と違って彼女はどうだ。こんなに真摯に俺を見ていてくれている。……断られてしまったらこの後どうするつもりなのだろう。振られた相手と映画。俺には耐えられそうにない。

「……参ったな」

正直に漏れた感想がそれだった。恋愛においては恐らく俺が何枚も上手だろうに、彼女の方がずっと大胆だったなんて。俺の返事を待っている彼女はもうどんな返事でも受け止めてやるといった感じのいっそ清々しい色を滲ませた表情で、素直に綺麗だなと思った。その覚悟も、彼女自身も。

「俺から言わせて欲しかったなあ」
「…あ…え、ごめ…ん、?」

条件反射のように俺に謝った彼女は数秒してから告白が受け入れられたことに気付いたのか、その瞳にじわっと涙を浮かべていた。一方俺もまた、せっかく化粧してるのにと目の前で懸命に涙を堪えようとする愛らしい彼女がまさに今言った俺のことが好きだ、という言葉を今一つ現実として受け止め切れずに居た。

「……好きってもう一回言ってもらっていいかな」
「す、すきです」
「俺も、好きだよ」

……映画館の中で手を出せずに居られる自信が無い。そう正直に漏らせば慌てふためいて耳の先まで朱に染めながらも氷室くんなら、と答えた彼女にくらりとしたものを感じずにはいられなかった。


(120823)



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映画館に辿り着かないまま終わってしまいました…!アメリカンが抜けない氷室さんにいちいち振り回されるヒロイン。
瑠璃さん、リクエストありがとうございました!


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