きっとあなたしか見えない




教室の後ろの方の席から私を呼ぶ声。

はあい、と返事をして振り返ると高尾くんが寝起きの顔で私を呼んでいた。私は先程まで話していた前の席の田中くんとの他愛も無い会話を切り上げ、ちょっとごめん、と謝ってからぐねぐねと乱雑に列をなす机の間を縫って高尾くんの席まで辿り着く。

「何?」
「呼んだだけ」
「えええ……」

高尾くんはまだ寝ぼけているのか悪びれる様子も見せずにふにゃっと笑う。こうして笑われてしまうとどうしても怒れなくなってしまうのは惚れた弱みというやつなのだろうか。次なんだっけ、と机の中を漁りながら聞く高尾くんに現国だよ、と教えてあげるとげっ、みたいな顔をしてまた眠いじゃねーか、と愚痴り、ごそごそとノートを机から取り出して首を傾げる。

「……あれ、教科書ねーや」
「忘れたの?」
「部室かなー」
「なんで部室……」

高尾くん曰く、教室のロッカーから溢れた荷物は部室のロッカー行きになるらしい。私は教室のロッカーだけで事足りているのだが……高尾くんのロッカーには何が入っているのだろう。聞いてみるとんー?なんて微妙な返事ではぐらかされてしまったので言えないようなものでも入っているのかも知れない。知らぬが仏、という言葉が頭の隅を高速でよぎっていったのでこれ以上は聞かないでおこうと思う。

「一緒に取りに行かね?」
「なんで私まで」
「いいじゃん、な」

行こうぜー、と引かれる腕を振り払えない私。惚れた弱みその二である。教室を出る間際ちらりと時計を見れば休み時間が終わるまであと七分。体育館まで往復…間に合うのか、と危惧する私をよそに高尾くんはのんびりのんびり私の前を歩いている。大丈夫なのかなあ。

「お。良かったー鍵開いてた」

お邪魔します、と呟いてバスケ部の部室へと足を踏み入れる。バスケ部の練習風景は何度か見に来たことがあったが部室に入ったのは初めてのことだった。運動部の部室とあらばもしかして臭いんじゃ、などと想像していた私の予想は裏切られ、窓のある部室はきちんと換気されているらしく変な臭いはしなかった。強いて言えばほんの少しだけ埃っぽいようなにおいがするような気がする。高尾くんはよっこらせ、などという爺臭い掛け声と共に部屋の中央のベンチにどさりと腰を下ろして一息ついているようだった。

「ふー、疲れた」
「教科書は?」
「んー?うん」

うん、とは言うものの一向に動く気配のない高尾くんは無言のまま自分の隣をぽんぽん。こっち来て座れ、ということらしい。怪訝に思いながらも大人しく高尾くんの隣に腰を下ろせばするりと肩を抱かれて、そのまま抱き締められてしまう。突然胸いっぱいに溢れた高尾くんの匂いに戸惑いやら喜びやら色んな感情がいっぺんに湧き上がるのを感じた。そうして結局のところは嬉しさが勝つのだけれども脈絡のない高尾くんの行動の真意を汲みかねて腕の中で弱々しくもがいてみる。

「た、かおく」
「あのさ」

高尾くんがぎゅうっと自分の胸板に私の顔を押し付けるみたいにするからただでさえ低い鼻が潰れてしまいそうで、何とか顔を横に向けてそれを凌いでいた私は不意に降ってきた真剣な声に居ずまいを正す。高尾くんの胸に密着している耳と反対側の耳とで二種類の声が聞こえる。空気を伝う高尾くんの声と、高尾くんの体の中を伝う高尾くんの声。その合間に少し速くなった高尾くんの鼓動が聞こえていた。…高尾くんがゆっくりと息を吸う音。

「……お前が男と話してるとイラつくんだけど」
「……そ、れは、」

それは。やきもちというやつですか。聞けば高尾くんは投げやりな声で悪いかと呟いて抱き締めた私の頭をぐしゃぐしゃに掻き回した。そのまま指で私の髪の毛をいじくりまわしながらうーん、と唸る高尾くん。

「お前がそんなつもりじゃないのは分かってるし信用してない訳じゃねーよ?でも、」

そこで尻切れに終わってしまう高尾くんの言葉。私が何も言おうとしなかったのは決して呆れてしまったからなどではない。そんなことを言う目の前の恋人がどうしようもなく愛おしくなってしまってどうしたものだろうかと途方に暮れていたのだ。いつの間にか腕の力が弱まっていたので胸に引っ付けていた顔を剥がして高尾くんを見上げる。

「俺だけ見てろっつーか。なあ、分かるだろ?」

信頼だとか愛情だとか、私の欲しがるものをいっぺんに与えておいてそんなことを聞くのは卑怯だと思う。どうあってもやっぱり私は彼に心底惚れてしまっているのだなあという実感と共に小さく頷けば満足そうなキスが降ってきて、遠くに授業の始まるチャイムを聞きながら囁かれる睦言に耳まで赤くするのだった。


(高尾くん、授業、)
(いいじゃんサボっちまおーぜ)
(緑間くんに怒られるよ)
(……う、)


(120823)



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ホークアイなだけに意識せずとも教室内のどこに彼女がいるのか把握出来てしまって余計に嫉妬してしまえばいいと思うんです。
りんかさん、リクエストありがとうございました!


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