燃えあがる両耳




来週のはなしをしよう
あまい代価 の続き




 あの日からも私と紫原くんの日々は今までと同じように滞り無く紡がれ続けていた。そう、"今までと同じように"。

「……」
「……」

 もぐもぐ。もぐもぐ。もぐもぐもぐもぐもぐ。ごくごく。お弁当を黙々と食べ進めている私の隣には紫原くんが居て、ぱりぱり乾いた音を立てながらカレーせんべいを頬張っていた。ここは屋上。約ひと月前に彼が私を駄菓子で「買収」して、ほとんど強制的に交際を余儀なくされた場所だ。風下に座ってしまった私はカレー粉の匂いを嗅ぎながら自分のお弁当を食べる羽目になっていた(味覚と嗅覚がちぐはぐで混乱してきた)。

「ハイチュウいる?」
「いちごある?」
「あるよー」

 ばっと広げた手のひらには、銀紙に包まれた直方体がちょこんと乗っていた。彼の大きな手のひらに乗っているとハイチュウの一粒もひどく小さなものに見える。お礼を言って受け取った私は、遠くに浮かぶ雲を見ながら今までのことを思い起こしてみる。
 私が紫原くんに"買収"されてもうすぐひと月。しかし私たちの生活にさして大きな変化は無い。強いて言えば屋上でこうして一緒に昼食をとることが日課になったくらいだろうか。もしかしたら付き合い始めたというのは私の血迷った妄想か何かだったのではないか?ここ数日の間にそんなことを考え始めてしまった私を一体誰が責められよう。ああ、今日も天気が良くて、空が綺麗な紫色……紫?

「むむむらさきばらくんなにしてるの」
「えー、なまえちんを押し倒してる」

 紫原くんの藤色の髪の毛の先が垂れて、私の目の前を覆っていた。必要以上に大きな体がすっぽりと私をお天道様から覆い隠してしまっている。待って、わたしまだファーストキスだって済んでないのにいきなりこんな展開ついていけない、長めの紫原くんの髪の毛からシャンプーの匂いと、お菓子の甘い匂い、柔軟剤みたいないい匂いはシャツからするのかな、ああ、頭がくらくらしてきた。

「コイビトができたって言ったら、押し倒せって」

 誰だそんな不純なことを彼に吹き込んだのは!私は紫原くんの胸に手を当ててぎゅうぎゅう押し返そうとするが、この体格差である、彼の巨体は動かない。なんだこれは岩か何かか。私は岩の下敷きになっているのだろうか(むしろその方が良かったかもしれない!)。
 制服越しにも筋肉質だと分かるその胸板に、当たり前だが彼がきちんと男性であることを感じて妙にどきりとした。言葉や振る舞いがまるで子供のようだから、今まであまり意識したことがなかったけれど。顔の横につかれた手、腕、肩の隆起、首筋の筋肉。開いた襟元から見える鎖骨の凹凸、どれを取っても紫原くんはきちんと男性だった。そりゃそうだ、私だって自信は無いけどちゃんと女の体をしているのだから。

「紫原くん、落ち着いて」
「おちついてるし」
「そ、それは何より」
「で、この後どーしたらいい?」

 真顔で投げ掛けられた質問にへ?と間抜けな声が漏れた。押し倒したけど、これで終わり?どーしたらいいの?と紫原くんは大真面目な顔で問うてくる。何かの冗談か、またからかわれているのかと思ったがどうやら本気らしい。押し倒せ、と言われて押し倒しただけとは……だ、誰だ、中途半端に彼をそそのかしたのは!いや、これ以上は私の心臓はもたないし心底安堵しているのだけれど、

「なまえちん顔赤いね」

 右頬にぺたり、と大きなてのひらが貼りついた。思わず目を見開いたまま固まってしまった私を、紫原くんは不思議そうな顔で見下ろしている。両肘を私の顔の脇へ着くようにした紫原くんの顔がよりいっそう近くなり、私の心臓がもう限界だと叫んでいた。

「ほっぺたやわらかーい」

 両頬にてのひらを添えてむにょーんと挟まれた。たぶんいまの私はものすごくぶさいくな顔で、目だけを驚きに見開いてぱちぱちしきりにまばたきさせるという滑稽な様子を彼に見せているだろう。大きなてのひらがおもちでもこねるみたいに私の頬をむにむにむにむに、すると彼の顔がすぐ目の前まで迫ってちゅうと私のくちびるに吸いつい、

 え?吸いついた?

「やらかいね」

 さっき奪ったばかりのばかりの私のくちびるをつついた彼は眠そうな目でそう言って微笑むのだった。

(もう私はだめです、)

(150619)

紫原くんの夢の続きでした。「続きを読みたい」と言っていただけて、このお話を含め2つも彼らのお話が増えた経緯があり、とても嬉しく思っています…!素敵なリクエストありがとうございました!

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