三十六度二分




「ひ」
「手、冷たいですね」

く、黒子くんの手はあったかいね、とどぎまぎしながら返して緩くその手を握り返すと、形のいい唇が微かに孤を描くのが見えた。最近如実に距離を詰めてくるようになった黒子くんはこうしてすぐに私の手を取ったり隣に寄り添ったりするものだからこちらの心臓がもたない。(こちとらその綺麗な瞳を直視することすら憚られるというのに!)

「なまえさん」
「う、え、なに」
「寒いのでもう少しこちらに来てもらってもいいですか」

真顔でこちらをじっと見つめる黒子くんから揶揄の気持ちは読み取れない。純粋に寒いからくっついていた方があたたかいのではないかと提案しているのだ。時々大真面目な顔をして私をからかう食えない彼だが今回に関してはそうに違いないそうでなければ私が平常心を保てない。

どうして私の部屋はこう冷えるのだろうと陽の当たらない北向きの部屋を憎く思いながらお尻を浮かせて黒子くんに体を寄せる。ぴたり、と肩が密着してごくりと唾を飲んだ。握られた手が汗ばんでいやしないか、とても気になる。

「……暖房強くする?」
「いえ、僕は大丈夫ですが……」
「わ、わたし寒いから温度上げようかな」

本当は寒いから、ではなく隙間無くくっついた肩同士が擦れることに耐えられないから、なのだが。寄り添ったり手を握ったり、私が驚いてうっかり拒絶(とは言っても決して嫌なわけではなくて心の準備ができていないだけなのです)を示せば何も言わずにすっと引いてくれる黒子くんはこっちが恥ずかしくなるくらい優しい。そしてその後「驚かせてしまいましたね、ごめんなさい」と毎度丁寧に謝るのだ。その時の私の言い様のない申し訳無さや罪悪感と言ったら推して測っていただいたさらに五倍といった所。とはいえそれでも諦めないでいてくれた黒子くんのおかげで、何とかこうして手をつないでいることくらいは出来るようになった。

大義名分は既にある。私と黒子くんはいわゆる男女交際の仲にあるわけで、多少のスキンシップという関門などとっくに飛び越えていなければならないはずであるし私もそれを望んでいる。しかし一体どのような顔や心境でそれを迎えていいものやら分からないのだ。そして人一倍誰かの心の機微に敏感な黒子くんはその戸惑いを目聡く見抜く。見抜いてしまう、と言うべきか。

「にじゅう……ご?ぐらいかな」
「なまえさん」

テーブルの上のリモコンに手を伸ばして設定温度を何度上げようか思案していたら名前を呼ばれ、リモコンから顔を上げないまま返事をしたら視界に突然水色がフレームインした。くちびるに触れたやわらかい感触と眉間に触れたさらさらとした髪の毛の感触が何なのか分かったのは黒子くんの顔が離れてから。おおよそ二秒の短いキスに状況を理解できない私は黒子くんの顔を見つめたまま動けなくなる。

「……驚かせましたか、ごめんなさ、」

今生最大の勇気を振り絞り邪魔な羞恥をかなぐり捨て、私は先程触れたばかりの黒子くんのくちびるにもう一度自分のくちびるを押し当てる。背骨に電気でも走ったようにばちんと弾かれて勝手に動いた体は頭とすっかり切り離されていた。なにをやっているんだわたしは。あまりの恥ずかしさに一秒にも満たないうちにくちびるを離すと黒子くんのみずいろの瞳が真ん丸に見開かれていた。……こんな顔初めて見た。少しうれしい。

「あやまらなくていいし、あの」

うれしかったから、と最後は蚊の鳴くような声になってしまったのが情けないがそれでも黒子くんには聞こえていたようだ。ふんわりやさしく微笑んだ黒子くんが握った手をぎゅうっと強めて僕もですよなんて言うから私は、嗚呼、

(しあわせ!)


(130104)



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押せ押せな黒子くん…ということですが今一つ押しが足りない気がしますねごめんなさい…!
こんなものでも受け取って頂けると有り難いです。つかささん、リクエストありがとうございました!


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