さよならハイティーン

 
 
「こら」
 
 ひょいと上から伸びてきた腕に花宮は握っていた缶を取り上げられ、見上げればほんのりと頬を赤くしたなまえ。辟易と嫌悪をこれでもかと込めた視線を投げつけてもなまえはけろりとした顔で花宮の隣に腰を下ろすのだから性質が悪いと花宮は思う。
 よっこらせ、などと淑やかさ皆無な掛け声と共に花宮の隣に腰掛けたなまえは取り上げた缶チューハイを煽り、アルコール臭い吐息を花宮に吹き掛けた。
 
「お酒は二十歳になってから」
「お前もまだ十九だろ」
「成人式は終わったからいいんですう」
 
 そう言って何がおかしいのかきゃらきゃら笑う声が耳障りで花宮は眉を寄せる。河川敷の土と草の匂いと一緒になまえの吐息に運ばれたカシスの甘酸っぱい香りが鼻腔をくすぐり、何とも言えない気持ちになった。
 そうした一連の花宮の心の機微に気付いていないのか、或いは気付いていながら知らない振りをしているのか、なまえは花宮の顰め面に特にコメントすることなく締まりのない顔で花宮の顔を覗き込む。
 
「優等生の花宮クンがどうしてこんな所で飲酒してるのかな?」
「……るせえな」
 
 お前の方こそなんでこんな所に、と花宮が忌々しげに吐き捨てればなまえは「飲み会の帰りだよお」と手にした缶チューハイをちゃぷちゃぷ揺らしながら笑った。
 花宮はなまえから顔を逸らして嘆息する。ツイてない日というのはとことんツイていないものなのだろうか。わざわざこんな所を、あえてこいつに見つかるなんて。
 
「ごきげんななめだねえ」
 
 そう言って言葉通り体を斜めにしてこちらへしなだれかかってきたなまえの体からは微かに香水と煙草の匂いがした。薄暗くてよく見えないが化粧もしているようだ。ゆるくカールされた髪の毛は茶色く染まり、シャンプーと整髪料の匂いが立ちのぼってくる。
 そこにはもう去年度まで霧崎第一のバスケ部で両手両足のジャージをまくって走り回っていたもさいマネージャーの姿は無かった。
 ……舌打ちしたくなるのは、何故だろう。それが分からないことすら腹立たしくて花宮はぎり、と音がしそうな程に奥歯を噛み締める。
 
「何があったかは聞かないであげよう」
「何もねえよ別に」
「うんほんとは別に興味無かっただけなんだ、すまない」
 
 殴りたくなる笑顔でそうのたまうなまえに対して、花宮は殺意に程近い感情を抱きそうになる。そしてこれ以上気分を害したくないとばかりに早々にこの場から離れようと立ち上がったが、アッちょっとお、と遅れて立ち上がったなまえに腕を掴まれて引き留められる。
 花宮はささくれ立った感情のままその腕を振り払ってやろうかとも思ったが、泥酔したなまえを見るにこのまま乱暴に腕を振り払おうものならその衝撃ですっ転んでこの河川敷を転げ落ちていってもおかしくない様子だ。
 いくら気が立っているとはいえ苛立ちに任せて女に怪我をさせるという行為を許すほど花宮のプライドは地に落ちてはいなかった。
 
「離せよ」
「お酒もうやめときなよ」
 
 気付けばぱったりと先程までのへらへらした顔が鳴りを潜めていて、なまえは心配そうな顔つきで花宮を見上げていた。真摯な瞳に射抜かれて花宮は目を見開く。そして腹にふつふつとどす黒いものが湧き上がるのを感じて盛大に眉を顰めた。
 ハイヒールに底上げされて幾分近くなった目線に苛立ちを感じながら花宮は低く吐き捨てる。
 
「……何様だよ」
「花宮が成人したらいくらでも飲みに連れてったげるから、」
「そういうのがムカつくって言ってんだけど」
 
 大学生だか何だか知んねえけどせいぜい歳にすりゃ二つしか違わねえのになんでお前にここまで保護者面されなきゃなんねえんだよ意味わかんねえ、と。
 珍しく声を荒げた花宮の声が誰も居ない河川敷に響いた。なまえは呆気に取られたようにマスカラで長くなった睫毛を数回ぱたぱたとまたたかせながらじっと花宮の顔を見つめている。赤く塗られた唇がぽかんと所在無げに開いていた。
 
「は、なみや、……あの、ごめん」
「帰る」
 
 冷ややかな花宮の言葉になまえははっとしたように掴んでいた腕を離した。何か言いたげに口ごもるなまえを無視して踵を返した花宮は足早にその場を立ち去る。
 取り残されたなまえはその背中を見つめることしか出来ずに立ち尽くしていた。
 
 花宮となまえが霧崎第一高校において“一年”と“三年”であるうちは、ここまでの差異は無かったはずだった。同じ高校生として対等に会話が出来たし、なまえが泣きそうな顔で数学のテキストを持って花宮に泣きつくことすらあった。それが。
 ……それが、18と19をまたいだ途端にここまでの差を生むのか。
 髪の毛が染まり、瞼に線を引き、唇を赤く塗り、大人びた服装になり、……酒を、飲むようになり。会うごとに変わっていくなまえはいつの間にか“女子”から花宮の知らない“一人の女”になっていた。
 
「ックソ、」
 
 こうした時、花宮が怒りに任せてゴミ箱でも蹴飛ばし腹を立てたまま帰路につくことが出来る人間であったなら。そこまで幼稚になり切れたならまだ救われていたのかも知れない。
 けれど、そんな自分がどうしようもなく“子供”であること。
 追って来ないなまえが良くも悪くも“大人”であること。
 それに気付いてしまう自分が中途半端に“大人”であること。
 頭の良い花宮にはその全てが如実に分かってしまうし、一歩足を踏み出すごとにそれが怒りに水を差してやり場のない虚しさと遣る瀬無さばかりを生んでいく。
 マフラーに顔を埋めて早足で家への道を歩く花宮から出てきたのは結局怒りに満ちた拳でも怒号でも無く、情けないほど弱々しい溜息だけだった。
 
「……置いてってんじゃねえよ」
 
 湿った風が零れ落ちた言葉を攫いながら花宮の頬を撫でていった。
 
 
(130124)

もどる
 
 
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -