しらないおとこのこ

 
 
 ひ、と微かに漏れた声に目の前の大きな身体が揺れる。うお、と低い声が遥か頭上から聞こえて、見上げれば浅黒い顎が見えた。それと同じ色をした彼の逞しい腕は今、私の顔の横へ伸びている。近所の他校の制服を着た、知らない高校生。やけに大きい。そして黒い。
 
「っと……悪ィ」
「あ、や、わたしも、」
 
 彼が何かの拍子でバランスを崩した方向へ運悪く私が立っていたものだから。彼は自身の身体を支える為に壁へ手をつこうとしたのだが、そこにはちょうど私の頭があった。倒れてくる巨体と迫る掌にこれは事故になる、と覚悟を決めたものの、鼻先まで迫った彼の大きな掌はすれすれのところで横へずれて私の顔のすぐ隣へと着地。彼は咄嗟に身体を捻り、辛うじて私の顔を壁に叩き付けることなく壁に手をついて見せたのだった。彼の掌と壁の間に挟まれた髪の毛が引っ張られて頭皮がぴりぴりと痛んだが、真正面から顔を叩き潰されるのに比べれば安いものだろう。
 
「怪我してねーか」
「だ…大丈夫です、すみません」
 
 妙な間。いつまでも離れてくれない彼にどぎまぎする私を鋭い吊り目が射抜く。彼はどうにも目つきがよろしくないものだから見られるとどうにも怖い。ガングロだし。向こうにそんなつもりは無いのかも知れないがこちらは睨まれているような心地になる。殺されるのではないだろうかと恐怖に慄く私の顔を彼はまじまじと見つめた。な、なんでしょうか…!お金なら持ってないですすみませんすみません
 
「あー……お前、手、」
「へ?」
 
 僅かに当惑したような色を含んだ声に視線を落とす。そこには皺になりそうなほど強く彼の制服の上着を握り締めている両手があった。何この手?誰の?としばらく他人事のようにその両手を見つめて、ようやくそれが自分の手だと気付いた私は素っ頓狂な声を上げてしまう。
 
「あああすみませっ、あのっ」
「支えようとしただけなのは分かってっから」
「いやでもあの、皺に、」
「……とりあえず離してくんねーか」
「あ」
 
 未だ握りっぱなしだった両手をぱっと離すと、彼はようやく私から身体を離した。離れてくれなかったのではなく私が離さなかったのだ。それに気付いて平謝りする私。彼は少し焦ったような様子で下がりっぱなしの私の頭を無理矢理上げさせ、もうやめろと私を諫めた。
 
「街中で女謝らせて心狭いみてーだからやめろ…!」
「え、ああ…すいませ、」
「おい」
「あ、すいま……だ、黙ります」
 
 無意識のうちに口をついて出る謝罪に自分が日本人であることを思い知りながらぐっと唇を引き結ぶ。に、睨まないでください怖い、!彼は溜息を吐きながら少しばかり無遠慮に私を上から下まで見た。
 
「マジでどこも怪我してねーのか?」
「た、たぶん…?」
 
 はっきりしない私の返事に彼は呆れたような困ったような、あるいはちょっと面倒臭そうな気持ちなのを全く隠していない表情を見せた。だ、だって今は痛まなくても後々実は痣になってることとかあるし…!彼はごそごそと制服のポケットから携帯電話を取り出して何か操作し、ほら、と液晶をこちらに向ける。そこには電話番号が表示されていた。
 
「どっか怪我してたらここに電話しろ」
「え…あ、ちょっと待って、赤外線…」
 
 慌てて鞄の中から携帯電話を取り出して赤外線で番号とアドレスを受信した。受信できたことを私に確認した彼はエナメルバッグを担ぎ直して携帯をしまう。
 
「じゃあな」
「あ…はい、すみませんでした」
 
 だから謝んなっつってんだろ、と睨まれてひい、と息を飲む。よく分からないまま彼の背中を見送って、ぽかんとしばらくそこへ立ち尽くした。そしてはたと我に返って携帯を開き、青峰大輝、と表示されている赤外線の受信画面を見つめる。
 
「……新手のナンパ…だったのかな…」
 
 
(電話して聞いてみたらんな訳ねーだろ馬鹿、とキレられました。違ったみたいです)
 
 
(120813)

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