うとうと、うとうと。
僕は彼の腕の中だといつもうとうとしてしまって、ついには眠たくなってしまう。
彼の温かさに任せて眠りにつくのが好きで。落ちるか落ちないかの境界で彼の肌の温度だとか彼の息遣いだとか匂いとか、彼の全てを抱いて、視界がおちる悲しみと幸せに浸りながら、眠りにおちたい。
でも時折、自分がいかに彼を愛しているかに驚き、不安になる。僕だけが彼を愛して、彼は僕を愛していないのかもしれないと。
「デート、しませんカ?」
「……うん…いいよ」
ぼんやりとした微睡む思考の中で頷いて返事をした。内容もあまり気にしないで返事をしてしまったのは、彼の腕の中でもっと長く眠りたかったから。だから、後悔するなんて知る由もなかった。
まさかあんな格好してデートしなくちゃいけないなんて!
「ホントに着ちゃいましたネ」
彼は僕の姿を見つけた途端に、吹き出して肩を震わせて笑っている。
首周りに白いファーがついている深い赤色のコート、金色のボタンが付いている。太腿までの丈だから下に着ている白いワンピースのフリルがちらりと見えている。脚は黒いタイツに茶色いブーツを履いて。女の子が着たら絶対可愛いコーディネートだ、…多分。
僕がそれらを来てしまうと、どこからどうみても只の変態にしか見えないと思うんだけど。
いや、僕はそういう性分。でもそれとこれとは種類が違うと思うんだ、ほら僕はサディストで周囲の冷ややかな目を浴びて喜びを得るマゾヒストじゃないから。
これ着てきてくださいネと笑顔で渡されたのは大きな紙袋。デートの日の朝に開けてくださいネ!くれぐれもその日の前までにあけないよーに!と釘を刺されたその真意に気づかないまま当日を迎えることになる。
待ち合わせに行く道、ちらちらと僕を見る視線がちくちくするどころか何だか、熱っぽかったというか…。よく解らなかったけど、恥ずかしい思いをしてまで、履き慣れないブーツに戸惑いながら、待ち合わせの場所まで歩いて君に逢いに来たっていうのに。
「………酷い」
「スミマセン、可愛いですヨ、ヴィンセント」
僕の好きな笑みでそんなことさらりと言われたら、さっきまでの悶々が飛んでいってしまう。飛んでいくどころか嬉しさで思わず足が浮きそうになる。
彼の前では、僕はこんなにも単純。
待ち合わせ場所近くの喫茶店で他愛もない話をしながらこの店自慢というらしいスコーンを食べ、コーヒーに砂糖をいくつも入れる彼を見て笑って、お昼を過ごした。
それから僕らが入ったのは通りの隅にあったアンティークの店で、仲のよい老夫婦が経営をしていて。そこに入った瞬間、目についたのは僕らの紅い瞳と同じ色をあしらっている髪飾りだった。僕らのそれ以上に鮮烈な赤だったから目を奪われてしまった。そんな僕の様子を見ていたのだろうか、彼はそれを手に取ってコロコロと転がして、僕に似合っていると笑って言った。
「そうかな…?」
「ハイ、似合ってますネェ」
特に今のヴィンセントには、と言って髪飾りを髪の毛に乗せられた。
「でもこれ…絶対、…普段使わないよ?」
「では、…ワタシの前だけで」
急に躯をひきよせられ、肩を抱かれ、耳元で囁かれる。急だったから驚き、履き慣れないブーツも要因となり、僕はよろよろと彼に寄りかかった状態になった。
こんなこと、人前でされたことない。いや、できないはずなのに。普段されない行動に僕の鼓動は速くなるばかりだった。
こんなに身長の高い女の子なんて居るわけないじゃないかと最初はすごく恥ずかしくて、嫌だった。だけど驚いたことに、彼と街を並んで歩いていると本当の男女の恋人同士に見えた。なんだか震えるほど嬉しかった。けれど、彼が僕が女の子だったらよかったのだと思っているんだと考えてしまって悲しくなった。
こうやって君のために女の子の格好したり、君のことを考えて悲しくなってしまうのは、僕ばっかりが…君を愛しているから?
アンティーク店を出て、近くにあった喫茶店で一息つけようとしようとした時に彼はさっきの店に忘れ物をしたのだと言って来た道を戻っていった。一人にされた僕は道に点々とある街灯の一つに寄りかかり、彼の忘れ物を考えていた。そういえば、彼が肩に乗せている人形がなかったような気もする。
そんなことを考えていたら、見知らぬ男の人たちが近寄ってきて「君、可愛いね」「誰かと待ち合わせ?」と話し掛けてきた。
これはいわゆるナンパというやつなの?この人たちは僕を完全に女の子だと思っているのだろうか。ああでも、今声を出したら完璧に僕が男だってバレてしまう。そうなったらちょっと困るなあと思っていたら、男の人たちの後ろに忘れ物の人形を肩に乗せている彼だった。
「ちょっとワタシがいない間に、」
「…っ帽子屋さ、」
見たこともない彼の冷たい目に僕は驚き上擦った声を漏らしてしまった。その瞬間、腕を引っ張られ、引き寄せられ、僕に話し掛けた彼らから離れた。
「何絡まれてるんですカ?」
僕は彼を見たのだけど、視線を合わせてもらえず、僕の視線は地面を彷徨った。
「君たち、ワタシのツレに何カ?」
男の人たちを一瞥すると「何だよ男いるのかよ」と吐き捨てるように去っていった。
それを見届けると同時に僕の腕から彼の手のひらの温もりが無くなった。
「帽子屋、さん?」
「……」
彼は僕と目を合わせようとせず、僕の言葉に耳を貸そうとしない。
暫くの沈黙のあと、彼は口を開いた。
「あなたにそんな格好させなければよかった」
一瞬意味が解らなくて、合わせられた彼の瞳を見つめていたけど、その言葉の意味が解った瞬間、胸が躍った。
これって…もしかして…?
「…っ僕は、君が好き、だから」
嫉妬してくれたの?
「?…知ってますヨ」
僕は君だけを愛することしかできないから、他の人になんと言われようがそれだけは変わらないからって伝えたかったんだけど。上手く伝わらない。
僕には言葉が足りない。
伝わらないものはたくさんある。でも、伝わらないからこそ、僕は何度も言葉を紡いで、君が好きだって伝えたいと思うんだ。
だから、ずっと単純でずっとききたかったこと。
「でも、…どうして僕がこんな格好…しなきゃ、ダメなの?」
唇の端が上に上がった彼の顔を見たなあと思ったとき、すでに僕は彼の腕の中。腕の中に入ったときに香る彼の匂いに安堵したという事は紛れもなく本当のことで。ワンテンポ遅れて僕は彼に抱きしめられていると気付いた。
「あなたを」
「…、え…?」
「あなたをこうして、人の前で抱きしめたかったんですヨ」
これは正当な理由になりませんカ、ヴィンセント、と甘く低い声で囁かれ、あの夜の日を思い出して僕は思わず目を瞑ってしまった。
そんなはすがないじゃない、と僕は首を振って答えた。
もしかして、愛されてたのは僕の方?
彼の体温が心地よくてうとうとしそうになりそうな時に、彼によって名残惜しげに引き離される。その瞬間はまるで、別世界から現実に引き戻されたかのようだった。 現実に引き戻された時、気付くのは周りの人たちの痛い視線、ひっそりと笑う声。彼は気にしていないようだったけど。
「僕たち…見られてる」
彼は辺りを一瞥すると僕を見て、意地の悪い笑みを浮かべた。
「逃げますか?」
逃げる?逃げるなんて選択肢、さらさらないくせに、よく言うよ。この場から脱兎のごとく逃げてしまうよりも堂々と男女の恋人でいるほうがいいと思う。
僕は彼を見つめ返す。まるでこの状況を楽しんでいるかのような笑みを浮かべている。なんて憎い人。
普段は当たり前に反するような間柄。こうやって男女の恋人同士のようにああやって抱きしめられても普通のことのように周りの目から受け入れられるのなら。
ここでキスして、って言っても君は許してくれる?
「…手、繋いでも…いい?」
「ええ、どうぞ…いつでも空いてますヨ」
貴方のためなら、と耳元で囁かれ、手の甲に唇を寄せられる。その行為によって僕の体中の熱が一気に頬に集中する。
もしかしたら僕が一番してほしいことを、君は見抜いていたの?
林檎みたいで可愛いですネェとそんな僕の様子を見てからかう彼の手のひらは暖かくて、僕は温かい幸せに浸っていた。
ちょうど日も暮れてきたから、僕らはそのまま手を繋いで帰って、彼は僕をナイトレイの屋敷まで送ってくれた。
その日は夕日が綺麗だった。
その光は彼がこっそり買ってくれていた、今僕の髪の毛に乗る赤色の髪飾りを真っ赤に映えさせているのだろか。
共にいられる限られた時間の中で、こんなことがもう一度あるなら、君に言いたい。
今度こそ、君に。
(ここで、キスして)
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