#5.人魚姫は、どうしたら幸せになれた
 
「おはようございますー。」
従業員用の裏口から店内へ入り、先に仕事を始めている皆に挨拶をした。
おはよう、とは言いつつ、時刻はお昼だったりするのだけれど。
「有村さん、おはよー。超良いタイミングじゃん!」
「? あれ、今忙しかったりするの?ごめんね、急いで準備を、」
「違うわよ!さっき来たばっかりなのよ。早く着替えて持って行って!」
私はよく分からなかったけれど、言われた通り、すぐに制服に着替えて戻ってきた。
すると、そのまま甘味の乗ったお盆を手渡される。
「奥の席だから!…これ、貸しね♪」
「? と、取り敢えず運ぶね?」
訳も分からずお客様が待つ席へと向かう。

あんみつ。
寒天がキラキラしてて、あんこたっぷり。
(朝、食べ損ねたから余計美味しそうに見える…。)
うっとりとあんみつを見つめながら客席へと運ぶと、眠そうな声で話し掛けられた。
「あのォ、それ俺のあんみつなんですけどォ?」
「え、あ、ごめんなさ…っ、銀さん!?」
奥の席、そこには銀さんがいつも通り一人で座っていた。
私が気付いたのを確認すると、よっ、と笑いかけてくれる。
私はなるべく動揺を悟られないようにあんみつを机に置いた。
(タイミング良いって、こういう事!?)
銀さんは幸せそうにあんみつを頬張っている。
…本当に甘いものが好きなんだなぁ。
見てるこっちまで幸せな気持ちになるくらい、美味しそうに食べてくれる。
(ダメだなぁ…。私やっぱりまだまだ銀さんの事、好きだ…。)
胸はドキドキと高鳴るし、幸せな気持ちになって自然と口角が上がる。
どうしたって、これは恋だ。
…例え、銀さんに大切な人が居たとしても。

「なァ、このメニューなんだけど、ここ字ィ間違ってねェ?」
ふいに銀さんはあんみつを食べる手を止め、お品書きを取り出して開いた。
「えっ、どこですか?」
「ここ。」
「あの…。」
私が困ってしまったのは、銀さんがまるで早弁をするみたいに、教科書のごとく自分の前にだけお品書きを立てて広げたからだ。
座っている銀さんの目線と、立っている私の目線は当然違う。
私からは内容なんて見えはしない。
でも、銀さんがお品書きをこちらに向けてくれる雰囲気は無くて、いつもの優しさや気の付きようが嘘みたいだ。
仕方無く私は銀さんの目線までしゃがみ、お品書きの中身を覗くように見る。
すると、銀さんは私の目の前までお品書きを移動させてから言った。
「…そのままこっち向いて口開けて。」
驚いて銀さんの方を向くと、目の前にスプーンが差し出されていた。
そこにはあんこと白玉がちょこんと乗せられている。
言われた通り口を開けると、それが私の口の中に入って来た。
程よい甘さと白玉のもちもち感。
(あー…やっぱり店長の甘味って最高…。)
するとすぐ横で、くはっ、と優しい笑い声が聞こえた。
「どう?美味いだろ?」
「っ、…はい。美味しいですッ。」
もちろん、お品書きに間違えた字など無い。
これは、客席から私を死角に導く為だけの言葉だと気付いた。
他のお客様にバレない配慮なのか囁き声で話しかけてくれた銀さんの顔が思いの外近くて、声が裏返ってしまった。
「そーそー。ここの甘味すげェ良ンだよ。だから今の一口は貸しな。」
にた、と銀さんは笑いながら、何事も無かったようにまたあんみつを食べ始めた。
(あ…、これ間接…!)
今更その事実に気付いて急に顔が熱くなった。
(恥ずかしい…!でも、銀さんは気にしてないみたいだし、私だけ意識するの変だよね…。)

私はゆっくりと立ち上がって、銀さんにお辞儀をする。
「銀さんの大事な甘味分けてくださって、ありがとうございました!えへへ…、実は今日初のご飯でした。また今度サービスしますね!」
「…大丈夫か?」
「はい、休憩の時にご飯いっぱい食べるから大丈夫です。」
「あー…いや、そうじゃなくて。」
銀さんは言葉を探すように呻きながら、ガシガシと頭を掻く。
そして、少しだけ言いにくそうにしながら、私に言う。
「昨日、何かあった?」
「っ!?…な、なんでですか?」
「目が赤いから。」
本当に、銀さんは人の事をよく見ている。
昨日、きちんと泣き腫らした目を冷やしたから大分マシになったはずなのに。
…それでも、まさか銀さんのことで泣いた、なんて言えるわけもなく。
「き、昨日は、ちょっと悲しい映画見ちゃって…。それで、泣いてしまったので、…多分、それです。」
吃りながら何とかそれだけの言い訳をするのが精一杯だった。
「…そ。ならいいや。俺あんま映画で泣いた事ねェけど、どんなやつ?」
「恋愛もの、ですかね。…ヒロインには好きな人がいて、でもその好きな人はヒロインの気持ちに気付くこと無く別の女性と幸せになる、…みたいな。」
言いながら昨日の光景を鮮明に思い出してしまった。
もし今の説明に不足があるとしたら、その好きな人がヒロインの気持ちに気付いたとしても…やっぱり別の女性と結ばれるかもしれないこと。

「なんか人魚姫みてーな話だな。」
「人魚姫…。」
言われると、まさにその通りだと思った。
王子様を好きになってしまった人魚姫。
そんな人魚姫に、王子様は優しくしてくれる。
ううん、王子様は皆に優しい。
でも、結ばれるのは人魚姫とではない。
もっと別の、王子様に相応しい別の女性と結ばれる。
そして、人魚姫は悲しい結末を迎えてしまう。
「あ…、ごめんなさい。思い出したら泣けてきちゃって…。私、仕事に戻りますね!」
私は銀さんの顔を見ないように背を向け、厨房へと戻る。
同僚には、泣くほど嬉しかったのか、とからかわれたのだけど、曖昧に笑うことしか出来なかった。


「真弓ちゃん、元気無いわねー。そうだ、仕事終わったら一緒に新作作らない?」
休憩が終わった頃、今日出勤してからの私の様子を見ていた店長が気遣ってそう話し掛けてくれた。
時間が空いている時、店長は私に色んな技術を教えてくれる。
「えっ、店長とですか!?是非!!…あ、ごめんなさい。今日は早く帰らないといけなくて。あの、また明日でも良いですか…?」
「それで元気が出るなら。うちの看板娘が元気無いと常連さんたちも心配しちゃうからね。」
そう言って店長は優しく笑う。
決して看板娘って訳でもないけど、プライベートと仕事はきちんと分けなくちゃと、反省する。
「今日はすみませんでした…。」
「…ねぇ、銀さんと何か話した?彼も心配してたわよ。」
「! 人魚姫は、どうしたら幸せになれたんでしょうね…。」
「人魚姫がどうかしたの?」
「あっ…。こ、今度の新作のイメージにどうかなって。透き通る水とか、泡とか…。」
とっさに口から出たデタラメだったけど、店長は有りかもと笑った。
…きっとそれは素敵な和菓子に姿を変えるのだろう。
それで、少しは救われた気になれるだろうか。
王子様は、人魚姫が突然消えて、どう思ったんだろうなんて悶々と考えながら、私は閉店時間まで働いた。


「お疲れ様でしたー!」
閉店作業を終え、従業員用の裏口から出る。
今夜は曇り空で月は見えない。
まるで深海に沈んだような気持ちになる。
「お疲れ。」
「! ぎ、んさん…。」
前、私を待っていてくれた所に銀さんが立っていた。
月明かりに照らされない銀髪はいつもより輝かないものの、深海でも充分に存在感があった。
「どうしたんですか?こんな遅くに…。」
「んー?送っていこうと思って待ってた。」
「そんな…!悪いです…!」
私は素直じゃない。
本当はまたそんなこと言ってもらえるなんて思ってなかったから、嬉しくて嬉しくて仕方ないのに。
でも、あの時とは状況が違う。
銀さんをこれ以上好きになって苦しむのは自分なのに。
桂さんのおかげで少し前向きになれたとはいえ、目の前で見た事実は変わらない。
一度折れかけた気持ちを立て直す時間が、私には必要だった。
「どうしても送られたくないなら帰るけど。」
「……。」
王子様は本当は優しい人じゃなくて、残酷な人なのかもしれない。
届かないと思っていても、手を伸ばしたいと思わされる。
「いえ…。まさかそんなに気に掛けてもらえるなんて思ってなかったからビックリしただけです。」
「…やっぱ今日元気ねェな。最近、この辺りは物騒みてーだし、そんな顔してっと悪い奴に連れてかれちまうぞォ?」
そう言って銀さんは笑う、とてもとても優しい顔で。
愛しさと切なさで心臓が潰れてしまいそうだ。
「はは…。銀さんはどっちですか?」
私の質問に、さァな、とだけ答えて銀さんは私の荷物を持ってくれた。
(聞かなくても答えてくれなくても分かってる。銀さんが悪い奴なんてあり得ない。)
自分より高い位置にある肩を見上げながら、そう思った。

他愛のない会話をぽつりぽつりしているうちに、少しずつ銀さんとはいつも通り話せるようになってきた。
それは私にとって、本当に幸せなことだった。

道中、遅めの夕飯の食材を買う為にコンビニに立ち寄った。
銀さんが漫画を物色しているうちに、私は手早く買い物を済ませる。
桂さんの食欲の具合が分からないから、お弁当と麺類の他に、お粥と卵と野菜、あとはスポーツドリンクを買った。
買い物袋の大きさを見た銀さんが一瞬目を丸くしたけど、特に何も言ってこなかった。
(大食い女って思われたかな…。それはちょっと恥ずかしいかも…。)
かと言って、二人分だなんて言うわけにもいかず。
(本当は替えの下着とかも買ってあげられたら良いんだけど、さすがに銀さんにそんなとこ見られたくないし…。桂さんには少し我慢してもらおう。)

そんな事を考えたり、銀さんとお話しをしていたら、あっという間に家の前まで来た。
「すみません。今日もたくさん歩かせてしまって。それに、今日は特に色々とご迷惑お掛けしてるのに…。」
「あのさ。」
銀さんは、ゆっくりと私に向き直る。
「気休めにもならねェかもしンねーけど、続編でも考えてみたら?超ご都合主義ハッピーエンドの。」
「…え?」
「映画なんてのは、部分を切り取って見せてるみたいなモンだろ?…真弓ちゃんの中でくらい幸せになるラストがあっても良いンじゃねェの?」
「!」

もしかして。
もしかして、たったそれだけを伝えてくれる為に、私を待っていてくれたの?

「銀さんって、…本当に優しいですよね。…。あの!全然別件なんですけど、銀さんのおかげで、私も人に優しく出来たんです。だから、ありがとうございます。」
「どーいたしまして。つーか、それ俺の手柄じゃねェよ。そンでも感謝したいっつーなら、また今度サービスしてくれや。」
よく出来ました、と先生風な口調で言いながら、銀さんは私の頭を撫でた。
体の奥が熱い。
この泣きたくなるような幸せな気持ちを、的確に表す言葉を私は知らない。

「はい、必ず!」
そう言って精一杯の笑顔を返す、それだけが今の私に出来るただ一つの事だった。


next

 
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -