#4.助けられたのは、本当は私の方
 
まさかまさかの展開で、桂さんを暫くうちで匿うことになってしまった。
悪い人では無いだろうと思っていても、初めて会ったばかりの男性と寝食共にするのはどうなんだろう。
私は背中の傷を治療しながら、桂さんに言った。
「あの、もう少し自己紹介しませんか?」
知らないのならば、知るしかない。
桂さんがどういう人なのかもう少し分かれば不安も減るかもしれない。
「自己紹介?名前ならさっき、」
「あ、言いたくない事は言わなくて大丈夫です。お互いに何も知らないのは不安かなって。私はさっき桂さんの事、少し聞いてしまったから、私の事も少しお話しますね。」
と、言ってみたものの。
…さて、何を話そうかな。
桂さんが何者かを教えてくれたのだから、まずはそれかな?

「改めまして、私は有村真弓です。普段は甘味処で働いています。あ、今日はお休みなのでもう出掛けません。今は一人暮らしなので桂さんが他の人に見つかることも無いので安心してください。」
「いや、無理だろう。」
「へ…?」
突然、桂さんが私の言葉を遮った。
「安心できるわけが無いだろう。知らない男と暫く一緒に過ごすのだぞ?」
「んん??え、だって桂さんが自分から世話になるって…。」
状況が理解できず狼狽えながら桂さんに話しかけると、意外な答えが返ってきた。
「すまない…。失念していた…。真弓殿は妙齢の女性なのだから、見ず知らずの男と一夜過ごすわけにはいくまい。」
「それは、そう…ですけど…。」

桂さんは今初めて気付いたらしく、腕を組んでどうすればいいのかと悩み始めた。
(何だろう…、何か、よくは分からないけれど…。)
何故か私は"桂さんとなら上手くやっていけるんじゃないか"なんて思えてきた。
「やはりここに留まるわけには、」
「桂さん、腹括りましょう。私は桂さんが回復するまで外に出て欲しくないですし、最初に世話になるって言ったの桂さんなんですから。」
「真弓殿…。」
「さっき、従ってくれるって言いましたもんね?だったら私は桂さんを怖がったりしません。"男と女"だって考えるからおかしな事になるんですよ。"家族"って考えませんか?期間限定ではありますけど。」
「家族…か…。随分と懐かしい響きだ。」
眉間にシワを寄せていた表情が、やや柔らかなものに変わって私はホッとする。
「それに、そんな手負いですもん。いきなり襲われても返り討ちです。」
さっき襲われたのは、油断しまくっていたし背後からだからだ。
もうあんな事にはならないだろう。

冗談めかして言ってみたけれど、桂さんから笑いは返ってこなかった。
(…確かに、手負いであることは笑い事じゃないし、ちょっと不謹慎、)
内心反省をしていると、くるりと桂さんが私の真正面に向き直る。
刹那、その目が妖しく光った気がした。

「桂さん?どうし、ッ!?」
「……。」
無言のまま、桂さんは私の肩を掴んでその場に押し倒した。
「っ、…突然、何するんですか!」
掴まれた肩に籠められた力は痛いくらいで、手負いや骨折なんて信じられない程だった。
「手負いでも真弓殿を組み敷くなど雑作も無い、という事だ。…あまり挑発してくれるな。」
茶化す雰囲気は無く、あまりにも真剣な声で言われてしまい、私は言葉を失う。
体を捩ろうとしても、縫い留められている私の肩は少しも動かない。
(どうしよう…。)
まさかこんな展開になるなんて。
叫んで人を呼ぶわけにもいかず、かと言ってこのままで良い訳もなくて。
ぐるぐると思案していても、桂さんは何もしてこなかった。
そこで私は"あぁ、この人はやっぱり悪い人じゃないんだろうな"と思えたのだった。

「…挑発したつもりじゃ無かったです。離してくれますか?」
「勿論。」
動揺を隠しながら桂さんにそう言うと、彼は微笑みながら私を解放した。
「馬鹿にした訳じゃないんです。何というか…、桂さんを信頼したかったというか…。」
「信頼はしてくれて構わないが、期待に応えられるかは別だぞ。この見た目でも一応男なんだ、くれぐれも油断しないでくれ。」
「ふふっ、お母さんみたいですね。」
「お母さんじゃない、桂だ。」
「あははは、そうですね桂さん。」
何だか緊張が解けて笑いが止まらなくなった私の腕を引いて、桂さんが起こしてくれた。
「…まぁ、俺が真弓殿に手を出すことは無いから要らぬ茶番だったが、万が一、家に男を連れ込むような事があれば、」
「やだもう、本当にお母さんみたい…!って、桂さんが私に手を出してくれないのは私がタイプじゃないからですか?」
「それもあるが…。」
「あるんだ!?」
「真弓殿が嫌がる事をするのは俺の本意ではないからな。」
そう言って桂さんは私に背を向けた。
何というか…侍というか武士というか…。
桂さんは義理堅い人のようだ。

私は塗りかけだった軟膏を滑らせながら、治療を続ける。
…うん、上半身はこれで大丈夫かな?
「桂さん、終わりました。足はどんな感じですか?」
「あぁ、捻挫と打撲だけだから湿布でも貼っておけば治る。」
「素人治療って怖いですね…。本当にそれで治れば良いんですけど…。」
「ここを出ても本調子に戻らなければ、闇医者にでも診てもらうさ。」
「闇医者!」
そんなの本や映画でしか聞いたこと無いけど、実在するんだ…。
私は本当に普通で平凡で平均な人生を送ってきたから、桂さんの話は驚くことばかりだ。

「時に真弓殿。自己紹介なら、是非聞きたいことがあるのだが。」
「はい、何でしょう?」
足首に湿布を貼り終えた私に桂さんが話しかける。
桂さんが私に聞きたいことだなんて、何だろう。
「何故、泣いていた?」
「! あ、あれは、桂さんが空き巣かと思って、殺されると思って怖くなったから…っ。」
「その前から泣いていたんだろう?…言いたくないなら、無理には聞かないが。」
「……。」

今の今まで慣れない治療で考えなくて済んでいたのに。
事実が変わらなくても、あの瞬間を見なければ、私はまだ夢が見られたのに。
あまりにも不意打ち。
でも…、心の準備が出来ていれば、私は銀さんに彼女がいても泣かずに済んだ?
…そんなわけ、ないか。
(当然だよね、だって本当に好きだった。)
彼女がいるからって突然嫌いになんてなれないし。

「真弓殿?」
「あっ、ごめんなさい。…あはは、…うん、ちょっと失恋しちゃって。…それだけなんです、それだけ…です…。」
「……。」
桂さん、呆れちゃっただろうな。
顔を見ることが出来ず、視線を桂さんの足元に落とした。
その瞬間、頭の上に大きな手が乗った。
優しく撫でてくれるだけで、慰めの言葉も励ましの言葉も無かった。
それが逆にありがたかった。

「も、大丈夫です。落ち着きました…。今朝、桂さんを連れてきた後、買い出しに出た時、彼女と歩いてるの見ちゃって…。あはは…。失恋なんて大袈裟ですよね、私、ただの片想いだったし…。」
改めて声に出してしまえば、余計虚しくなってくる。
勝手に好きになって、勝手に傷付いて。
「もうやめましょうか。こんな話、面白くも何ともないですし。」
静かに話を聞いてくれていた桂さんは、ようやく口を開いた。
「しかし、真弓殿にそこまで想われていた男がどんな奴なのか興味はあるな。」
「ふふ、私には興味ないくせにですか?」
軽口が言えるのは桂さんの瞳があたたかいから。
だけど、桂さんに銀さんのことを説明したくとも、私自身が銀さんのことをほとんど知らない。
(なのに好きだの失恋しただの…端から見たら変なんだろうなぁ…。)
私は銀さんについて思い付くことだけを並べてみる。
「私、彼のこと名前しか知らないんです。よくお店に来てくれて、お話が上手で、皆からも慕われてて、優しい人なんです。…気付いたら好きでした。」
「ふむ…。」
私の話を聞いて、桂さんが首を傾げる。
「本当に真弓殿が見たのはその男のツレなのか?名前しか知らないのであれば、友人か姉妹の可能性だってあるだろう?」
「ん…でも、…額に、キスしてましたし。」
「女の方が一方的に好意を寄せていてあしらった可能性もあるだろう。もしくはキャバ嬢、」
「!!」
銀さんが、キャバクラ…?
いや、さすがにそれは…。
(そう思うのは私の理想なのかな。銀さんだって男の人なんだし、そういうお店使うことあるのかな。)
考え込む私に、桂さんが言葉を続ける。
「であれば、男側が好意を持っていようが、それは恋人ではあるまい。つまり、真弓殿が泣くには情報が少なすぎる。」
「桂さん…。」
励ましてくれたのだと分かると、じわじわと心に勇気が湧く。
確かにあの人は銀さんの彼女だったかもしれない。
でも、他の可能性が否定できるまでは、本当のことは分からない。
「ありがとうございます、桂さん。」
「真弓殿には返しきれないほどの借りと恩があるからな。俺で力になれる事があれば何でもしよう。」
「それは心強いです。…私が桂さんを助けることが出来たのは、彼のおかげなんです。彼なら困ってる人とか苦しんでいる人を放っておかないと思ったから。」

何故か少し誇らしい気持ちになってきた。
私が好きになった人は、…銀さんは、それだけ素敵な人なんだってことだから。

「それは違う。」
「え?」
「俺を助けたのは真弓殿だ。その男じゃない。…もっと自信を持って構わないぞ、真弓殿はイイ女だ。」
その言葉に私は何も言えなくなって、再び下を向く。
顔が熱い…きっと真っ赤だ。
無我夢中だったから、褒めてもらえるなんて思わなかった。
(助けられたのは、本当は私の方だ…。)
私は顔を上げられないまま、桂さんの残りの手当てをするのだった。

その日は一日中、桂さんと一緒にいた。
テレビ見て、ご飯を食べて、他愛ない話をして。
銀さんを好きになって以来、初めて銀さんのことを考えないようにして過ごした。


「本当に、玄関で良いんですか?」
「玄関が駄目ならベランダに出よう。」
「ふふっ。分かりました、玄関にいてください。」
流石に同じ部屋で眠るわけにはいかないと、間仕切りで分かれることになった。
本来、客人を玄関で寝かせるなんて有り得ないのだけれど、桂さんは本当にベランダに行きかねないと思い、私は玄関近くに布団を敷いた。
「おやすみなさい、桂さん。」
「うむ、おやすみ。真弓殿。」
パタンと間仕切りで空間を割った。
(やっと一日が終わる。)
いろんな事がありすぎて、体感的には三日分くらい過ごした気になってくる。
それもあってか、銀さんに失恋したという悲しみは自分でも驚くほどに落ち着いていた。
…いや、悲しくない訳じゃないけれど。
それもこれも、桂さんのおかげだ。
私は桂さんに感謝しながら眠りについた。


「真弓殿、真弓殿。」
「ん……。」
耳元で優しい声が聞こえる。
(とても温かくて落ち着く男の人の声だ…、……え?男の人の声!?)
弾かれたようにパチリと目が開いた。
何で、私の部屋から男の声がするの!?
「おはよう。」
「っ、…あ、…かつら、さん。」
寝ぼけていた脳が徐々に働き始めて、やっと私は昨日の事を思い出した。
夢みたいな昨日は、夢じゃなかったわけで。
(桂さんが現実ってことは、銀さんの彼女を見たのも現実か…。)
はぁ、と溜め息をひとつ溢してから、改めて桂さんが真横にいるのに気付いた。
「えっ!?桂さん、な…何でこっちにッ!?」
「落ち着け。別に襲いに来た訳じゃない。……目覚ましずっと鳴りっぱなしだぞ。」
「!」
言われて時計を見る。
仕事に遅刻したりはしないが、いつもならとっくに起きている時間だ。
「きゃー!!!!」
「ぬ、朝からそんな声出すな。事件だと思われるだろう。」
「ごご、ごめんなさい!お留守番よろしくお願いします!行ってきます、…あ!晩御飯何が食べたいですか!?」
「好き嫌いは無い。気を遣わなくても大丈夫だ。」
「分かりました!ゆっくり休んでてくださいね!勝手に出掛けないでくださいね!」
「ふっ、…はいはい。」
笑いながら手を振ってくれる桂さんに手を振り返して、私は家を出た。

いつもは、今日は銀さん来てくれるかな?という気持ちで出掛けるのだけど、今日ばかりは晩御飯の買い出しの事だけ考えるようにした。


next

 
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -