#29.きっと、兄貴が見守っていてくれる
 
真弓が真実に辿り着いた頃、有村邸の前に一人の男が立っていた。
真選組からつい先程解放された真弓の叔父である。

「兄貴…、どうやら俺達がした事で真弓ちゃんを派手に巻き込んじまったみてぇだな…。」
溜め息混じりに封鎖された扉を見つめながら呟いた。
事件が起きた後、真弓の為に良かれ良かれと思ってしてきた行動が全て裏目に出てしまった事を、真選組屯所で知った。

まず、自分は攘夷志士か?と問われると、言葉を見つけるのが難しい。
確かに兄が攘夷活動を始めた最初は、自分も頭数に入っていた。
だが、すぐに不向きと悟り、兄の相談役や支援に切り替えたのだ。
それでも、真選組から見れば、自分も立派な攘夷浪士であったのだろう。
想定していたタイミングより早く、屯所に任意同行を求められた。

…最初は拷問をされるのだと思っていた。
兄が攘夷志士なのに、弟が無関与だとは思われないだろう。
しかし、屯所に入って真っ先に俺を出迎えたのは下っ端の隊士ではなく、あの"土方十四郎"だった。
そうして彼は慎重に人払いをして言った。
「真弓はどこだ。」
その眼光はあまりにも鋭い。
やはり真選組は、娘である真弓ちゃんも狙っているようだった。
「…大事な娘を、お前たちに渡すわけにはいかない。」
空気がチリチリと焦げるような音を聞いた気がする。
これが、土方という男の圧なのだと思った。

真選組の自白強要の拷問の残忍さは噂でよく聞いている。
(耐えられるだろうか…。)
いざとなったら、自決する必要もあるのかもしれない。
攘夷志士として半端だった自分だが、叔父としてまで半端でいる訳にはいかなかった。

その考えの最中、先に動いたのは土方だった。
無言で隊服の内側に手を入れるその仕草に、ある想像をして身を固くする。
「…頼む。手遅れになる前に。」
そう小さく呟いた土方の手には煙草の箱が握られていて、友にでも差し出すように、俺に一本取らせた。
「手遅れ、って…。一体何が、」
「有村さんは間に合わなかった。だが、娘はまだ助けられる。…親族は病院の婆さんと、アンタだけだ。力を、貸して欲しい。」
恐怖で自分の耳が狂ったのかと思った。
真選組副長、あの土方が、攘夷志士の娘を助けると言っている。
煙草を摘まんだまま固まっていると、土方はそれに火を点けた。
とりあえず自分を落ち着かせる為にと、そのまま煙草を吸った。
罠だとは思わなかった。
…その理由は、上手く説明出来ないが、罠ではないと何故か確信していた。

土方の話を聞く度に血の気が引いていくのが分かった。
兄が最後の会合を開くことは、自分にも聞かされていた。
けれど、いつもと変わらない様子の兄に、不安も心配も抱いていなかった。
何故なら、有村一派が内部から崩壊するであろう可能性なんか考えたことも無かったからだ。
それほどに、自分は攘夷活動から退いていた。

"この会合が終わったら、お前に紹介したい友達がいるんだ。きっと驚くぞー。"

楽しそうに笑ういつもの兄の姿が最期になるとは思わなかった。
例の友達とやらを紹介される事はもう無いのだが、…それは目の前の男で間違いなさそうだ。
(攘夷志士のくせに、真選組副長と友達になるなんて、さすが兄貴だよ。)
兄を思い出して笑うなんて久々だった。

「…兄が、世話になったな。身内が言うのもおかしな話だが、変わった人だろ?」
「本当に。」
そう答えて土方は懐かしむように笑った。
そして、灰皿に煙草を押し付け、改めて俺と目を合わせる。
「早急に有村真弓の居場所が知りたい。」
聞かされた真実を信じるなら、真弓ちゃんを一人にしておくのはあまりにも危険だ。
俺はその言葉に頷き、例のアパートの場所を教えた。

しかし、既にアパートに真弓ちゃんの形跡は残っていなかったらしい。
あり得ない。
少なくとも自分には何らかの連絡があるはずだった。
すぐにでも探しに行きたいと訴えたが、土方から「残党がどうしているか分からない以上、アンタも保護対象だ」とキツく告げられ、屯所で大人しくしているしかなかった。
そもそも、真選組が兄貴を殺したのだと言ったのは自分だ。
真弓ちゃんは、その言葉を信じているだろうから、自ら真選組に近付いたりはしないだろう。
(だけど、真弓ちゃんの気持ちを思えば復讐を考える可能性は0じゃない。)
もし、真選組を憎んで、力を借りるべく攘夷浪士のところにでも向かってしまったら…。
もし、それが有村一派の残党の誰かだったりしたら…。
「アンタ達の大事な娘は、必ず探し出す。」
そう何度も励ましてくれたのは、土方だった。


そして、ある朝、土方が頭を抱えながら真弓ちゃんが見つかった事を報告しに来てくれた。
経緯は教えてくれなかったが、何故か屯所に現れたらしい。
「…随分困った様子だが、見付かったならそのまま連れてきて全部説明すれば問題ないだろう?」
「いや…。真弓が真選組に抱いている不信感が大きすぎて話が通るとは思えねェ。それに、」
「それに?」
「…ある意味、江戸で一番厄介な奴が真弓の身柄を保護している。こちらとしても、下手は打てねェんだ。」
江戸で一番厄介な奴がどうして真弓ちゃんと関わりを持っているのか、俺にはさっぱり理解できなかった。
「とりあえず、真弓ちゃんは無事なんだな!?…今はそれだけでも有難い。で、これからどうするんだ?」
「…真弓が真選組に執着しているのを利用する。変に攘夷浪士を刺激させない為に、真選組の事をこのまま敵視させておく。」
まさかとは思っていたが、どうやら真弓ちゃんは真選組に復讐を考えてしまっているらしい。
父親の事もあるが、叔父まで連れて行かれたと知っているならば、優しい真弓ちゃんはやはり真選組を許せないのだろう。
「おいおい…。放置して、うっかり敵討ちみたいな空気になったらマズイだろう?」
「…その時は、俺を刺すように仕向けるだけだ。」
土方は真顔でそう言った。
そんな必要は無いのに責任を感じているようだった。
兄を、…友を助けられなかった事に。


それから少しして、土方から「真弓の身柄を引き渡してもらった」と報告があった。
本来なら自分が真弓ちゃんに会えれば、すぐにでも解決すると思っていたのだが、なかなかそのようにはならなかった。
ならば、と一つの提案を土方に告げた。
"自分を釈放して欲しい。有村邸は自分の方が詳しい。残党に関する資料をきっと探し出してみせる"と。
土方は渋々、その提案を飲んだ。
この頃には流石に俺も、土方が真弓ちゃんと自分、そして真選組の、全て守ろうとしている事を理解していた。
「無茶はしないでくれ…。真弓の為に。」
そう言って、土方は俺を釈放した。


そして今、ここに立っている。
いくら土方が真弓ちゃんを保護しているといっても、彼女が日常に戻る為に残党は避けては通れない問題だった。
(どこかから情報が漏れたとしか思えない。…囲まれている。)
こっそり屯所から出てきたはずだった。
自分が釈放されるのを、彼らが知っているはずはなかった。
逆に言えば、調べる手間が省けた。
何故なら、今、俺を囲んでいるのは、まさに残党だからだ。
「有村一派は、"来るもの拒まず去るもの追わず"だったはずだ。平和ボケした党首に嫌気が差した者がいても不思議ではない。抜けるのは楽だっただろう。…なァ、わざわざ兄を手にかける必要は無かったんじゃねェかい?」
闇に溶けたいくつかの気配に声をかける。
返事は無い。
ただ、痛いくらいに殺気を放ち続けている。
「有村の首を持ち帰れば幹部になれるとでも唆されたか!この糞ガキ共め!!」
俺の怒号と同時に闇から、かつての兄の仲間達が俺に斬りかかって来た。

土方には言っていない。
この事は、兄でさえ知らない事だ。
向いてないから、兄と共に攘夷活動しなかったのは事実だ。だが。
「死にたい奴から掛かってこい!」
「なっ、…弟は戦えないんじゃなかったのか…ッ!?」
残党の何人かが焦り始める。
そう、有村一派にいたコイツ等も当然知らない。
「今度は俺を殺して、真弓ちゃんに"真選組が叔父も殺した"と言って駒にする算段だったかもしれねェが、宛が外れたな!」
刀を振れなかったから戦線から引いた訳じゃない。
俺は、兄の持つ"この国の為に戦う"という尊皇攘夷の気持ちが足りなかった。
兄の理想と共に戦う資格が無いと悟り、自ら戦線から降りたが戦えない訳じゃない。
(これは、兄貴にも真弓ちゃんにも知られる訳にいかない。)
当時俺は、斬ること、殺すことが、楽しくなってしまった。
つまり俺は、攘夷志士じゃなくて殺人鬼の方が向いていたって事だ。
そんな俺が今、命の尊さを知り、真っ当に生きられるようになったのは、攘夷戦争を終えても変わらなかった兄貴、そして真弓ちゃんの存在のおかげだった。
(この命を掛けてでも、守り抜く…!)
そう胸に誓い、土方に気付かれないように忍ばせて持ってきた短刀で何人目かを倒した時だった。
「ッ、」
乾いた発砲音が自分の腹部で鳴る。
しまった、と思った時には地面に膝をついていた。
「仕留めた!」
残党の歓声は、俺にとっての絶望だった。
(ここまでか…。)
腹から溢れる血を押さえながら目を瞑った。


しかし、俺は死ななかった。
次に目を開くと、五人の男が俺を庇うように立っていた。
「オイオイ、とんでもねェメンツが揃っちまったみてェだな。何これ?真弓チャンのファン濃過ぎねェ?」
そう言ったのは銀髪の男だった。
真弓ちゃんの知り合いだろうか。
「仕方あるまい。それだけ魅力的な女性というわけだ。」
『意義なし!』
答えたのは長髪の男と、白い生き物。
…彼らは確か、攘夷志士の桂とエリザベスではなかったか。
何故、そんな大物がこんなところに。
「なるほど、確かにとんでもねェメンツでさァ。叔父を助けて真弓に恩を売って、しかも桂も捕まえられるとか一石二鳥でィ。」
そう満足げに笑うのは、目を疑いたくなったが間違いなく真選組一番隊隊長の沖田総悟だった。
「いやぁ、皆さんなかなかどうして情報が早い!自信無くしちゃいますねぇ…。それにしても桂さんと沖田隊長が一人の女性の為に共闘とは、非常に興味深い!」
唯一丸腰に見える胡散臭い空気を纏う男は、場に似合わないほどカラカラと明るく笑った。
(どういう状況なんだ…。)
俺は目の前で繰り広げられるやり取りを呆然と見ていた。

「やっぱり有村邸事件を探ってたのは貴方でしたか、万事屋さん。ご活躍はよく伺ってますよ。一度お会いしてみたかったんです。」
「そいつはどうも。つーか、随分とアイツを激しい仕事に就かせてくれたらしいじゃねェか。情報屋っつったか?礼をしなきゃなァと思ってたから後で殴らせてくれや。」
「旦那もキャバクラ紹介した時点で同罪でさァ。可哀想に、紆余曲折あって真弓は今、真選組副長秘書なんて最っ高に如何わしい職に就きやしたぜィ。」
「何!?真弓殿は、既に敵の懐に潜り込んで、諜報活動をしているのか…!これは素晴らしい逸材だな、エリザベス!」
『即戦力!』

目の前の残党なんていないかのように会話を続ける男達。
(全員只者ではない…。)
真弓ちゃんにこんな知り合いはいなかったはずだ。
俺が屯所にいる間に何があったのだろう。
「あの…、あなた方は、真弓の知り合いですか?」
その問いに全員目を丸くしたが、彼らは不敵に笑い、声を揃えて答えた。
「「"知り合い"じゃねェ。真弓の"味方"だ!」」
「くそっ、怯むな!相手はたかが五人だ!殺せ!!」
彼らはまるっきりバラバラの動きで、一つの目的の為に残党に突っ込んで行った。
「は、ははは…。さすが、兄貴の娘だよ…。敵わねェや。」
彼らは全員、真弓ちゃんの為に戦っている。
それも、真弓ちゃんが日常を取り戻せるように。
だから、どうやって情報を得たのか分からないが、俺を守りに来たんだろう。
万事屋の銀髪の男は、よくよく顔を思い出せば、戦場で名を上げたあの白夜叉に違いない。
兄の隊とは、間接的に共闘したことも数度あった。
桂とエリザベスと言えば、江戸でその名を知らぬ者はいない攘夷志士だ。
兄とは、もしかしたら穏健派同士、どこかで繋がっていたのかもしれないが、他勢力に首を突っ込むような男ではないだろうから驚きだった。
沖田はあの真選組の最強と謳われる一番隊の隊長で、本来なら真弓ちゃんの味方にはなり得ない。
もう一人の男はよく知らないが、不敵に笑みを向けると相手が怯んでいる。
裏では有名な男なのかもしれなかった。


…あっという間だった。
向かってきた者は容赦なく斬り捨てられたし、降伏した者は沖田総悟に縄で縛られている。
残党は、もういない。
これで、真弓ちゃんは日常に戻れるはずだ。
あとは自分が真弓ちゃんに植え付けてしまった「真選組は敵」という誤解をどう解けるかにかかっている。
どうやら土方とは既に接触してしまっているらしいから、早く真弓ちゃんに会って話をしなくてはならない。
土方十四郎を殺しても、敵討ちにはなり得ないことを伝えないと。
「皆さん…。姪の為に、ありがとうございました。これであの子はこちら側に戻ってこられる。」
なにもかもがハッピーエンド、そんな空気の中、沖田が言った。

「あー…すいやせん。そっちは保証出来ねェんでさァ。今日、真弓に全部話して、復讐したいっつーから刀握らせやした。今頃どうなっているやら…。」

「…え?…はァァァ!!?何してくれてンの沖田くんんん!?」
白夜叉が沖田に詰め寄ったが、彼がそうしなければ俺がそうしていただろう。
「ちょ、旦那やめてくだせェ。ここにいる奴がどこまで何を知ってんのか知りやせんが、この件は全部土方の手に真実がありやす。…真弓の親父の首を斬った事実は、変わりやせん。」
その沖田の言葉に驚いた顔をした者、既に知っている者も黙り混む。
実力差を考えれば、真弓ちゃんに土方を殺すことは出来ない。
だが、土方が本当に真弓ちゃんに斬られても良いというなら話は別だ。
いや…、それでも副長職に就いている立場の人間が、自身の責任を放り出して命を絶つだろうか。
逆に正当防衛として、真弓ちゃんが殺されてしまうのではないか。
そんな不安が頭を満たし、先程の安堵を容易くなぎ倒す。

「ぷ、あははは!」
突然笑い出したのは胡散臭い…、情報屋と呼ばれた男だ。
「何笑ってんでィ。」
「いやいや。沖田隊長は優しいなーと思いましてねぇ。」
笑いながらそう答えた男を見て、桂もつられたように笑う。
「なるほど。もう最初から答えは出ているわけか。」
『(笑)』
予想と違う反応に目を丸くしたのは沖田と俺だけだった。
その頃には白夜叉もニヤニヤと笑みを浮かべていた。
「ああね。万が一、何か起きても総一郎君の刀だったら、責任取るのは総一郎君なんだろうし。そりゃ、誰も思わねェよな。一番隊隊長が自分の刀を他人に貸し出すなんて。」
誉めるようにわしゃわしゃと頭を撫で回されてしまった沖田は居心地が悪そうに唇を尖らせた。
「旦那、総悟でさァ。…俺はそんな殊勝な事を考えちゃいねェですし、土方がくたばるのを自分の手柄に出来るなら女子供でも利用するってだけの話でィ。美談にすんのはよして下せェ。」
驚いたとしか言葉が浮かばない。
この件を一番近い場所で知っていた沖田が、まさか侍の魂とも言える刀を他人に貸すなど。
それも攘夷志士の娘と知った上で。
「ま、残念ながら土方副長はくたばらないでしょうねぇ。この中の誰よりも一番真弓ちゃんの味方な彼が、真弓ちゃんを人殺しにさせる訳にはいきませんから。」
情報屋が俺に向けて言ったそれはきっと事実で、皆から遅れて漸く安堵することが出来た。


大変だっただろう、頑張ったな。
もう本当にこれで全て片付いた。
君が出した答えを俺は知らないけれど、きっと、兄貴が見守っていてくれる。

俺は"味方達"に礼を言って、屯所へと引き返した。


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