#26.約束したんだ。俺が勝手に。
 
どこか一つくらい救いがあったって良かったと思う。
父は意識不明重体でも生きてる、とか。
叔父さんは平穏に生活してる、とか。
土方さんは有村邸事件の内容を知らない、とか。
私が復讐を果たすのがどれだけ難しくて光が無いことか分かっていたから。
だから、私がここで死んでも、救いは皆無じゃなかったって思えたなら。
私は現実を、自分の死を受け入れられたのかもしれない。

土方さんが刀を拾い上げたのを見届けて目を瞑ってから、走馬灯のようなものが見えた。
祖母と父、叔父さん、友達や仕事仲間、それから坂田さん達、お世話になったオーナー、攘夷志士の人達、総悟さんや真選組の人。
(なんで、かな…。)
最後にとても大切なもののように思い出すのが、あなただなんて。
「真弓。」
私を呼ぶ声は落ち着いた低い音で、名前を呼ばれる度に心臓が跳ねた。
いつの間にか好きになって、もう嫌いになんかなれなかった。
「真弓。」
最後にこんな酷い事をしてしまったけれど、土方さんは私の死に一度くらい手を合わせてくれるだろうか。
(さすがに無理かな…。土方さんだって、いちいち斬った攘夷浪士に手を合わせたりしないよね。)
…お父さん、私は仇を討てなかったけど、会えたらまた一緒にそっちで暮らそうね。

「真弓。…オイコラ、無視か。とっとと起きろ。」

「!?」
名前以外の言葉が降ってきて、私は思わず目を開けた。
(あれ…?私、まだ生きて…?)
怒気を含んだその声音に慌てて飛び起きて、私は土方さんを見上げる。
拾い上げられた総悟さんの刀は鞘に収まり、部屋の隅に置かれていた。
「……あの、」
「深呼吸。」
「えっ、あ、はいっ!!」
放心している私に深呼吸を促し、私はそれに従う。
全然状況が分からない。
ただ、深く息を吸うと土方さんの部屋の匂いが肺を満たす。
紙と墨と畳と、煙草の匂い。
それで私は改めて自分が生きている実感を得るのだった。

私が十何回目かの深呼吸を終えた頃、土方さんが私の真正面に腰を下ろし、そのまま流れるように煙草を口に咥えて火を点けた。
ゆらりと昇る紫煙を見送って視線を土方さんに戻すと、パチリと目が合った。
…私は、この時、一体どんな顔をしていたんだろうか。
土方さんは少し悲しそうに瞳を揺らした後、静かに私に告げた。
「すまなかった。」
「!」
何に対しての謝罪かは、分からなかった。
謝って済めば警察はいらないなんて言われるけれど、何を指してなのかすら分からないその言葉は、不思議と今の私にとってじわりと胸に溶けた。
土方さんは煙草を灰皿に押し当てて火を消して、改まって私に向き直る。
「さっきまでのが、真選組副長としての答えだ。偽りは無い。」
「…はい。」
それは土方さんが父を殺した事への完全なる肯定だった。
「ただ…。お前に話しておきたい真実は、まだある。」
「えっ?」
「ここからは真選組抜き、土方十四郎としての言葉だ。…だから信じるか信じないかはお前が決めろ。その上でまだ俺を殺したいと思うなら、」
「…っ、何ですか。」
「俺はこの首をお前にくれてやってもいい。…最初から、そのつもりだった。」
「!」
土方さんの目は真剣で、冗談じゃないことが伝わってくる。
「どうして…そんな…。」
声が震える。
理由は理解している。
私は土方さんの死を拒否しているから。
本人以上に土方さんの死を恐れる私を見て、土方さんが笑う。
その表情は私を安堵させる、優しいものだった。
「話すと長くなるな…。さて、何から話せば良いのやら。」
やっぱ最初からだよな、と土方さんは呟いて、私に始まりの話をしてくれた。

**********

「くそっ!」
それは計画的な奇襲だったのだろうと、自分の血を見つめながら思った。
致命傷は無い。
だが、額からこめかみにかけて、ぱっくりと開いた傷口からの血が止まらない。
おかげで片目だけで立ち回っていたのだが、どうにもそろそろ限界だった。
(とりあえず止血しねェと状況が悪化するだけだ…。)
そう思うも、多勢で追われて隠れようもない。

万事休す、その言葉が脳裏を過った時だった。
「君、こっちだ!」
潜めた声で誰かが俺を呼ぶと、有無を言わさず俺の手を引いた。
「っオイ!」
「大丈夫、うちの中までは追ってこないから。ついておいで。」
聞こえてくる攘夷浪士共の怒号とは真逆の、ひだまりのような穏やかな声だと思った。
覗き見たその顔もまた穏やかな、歳は松平公に近い、人の良さそうな男だった。

手を引かれてすぐに木の門をくぐる。
どうやら、この男の家らしい。
流れ落ちた血が目印にならないように慎重に男の後をついて歩いた。
男は一度門から顔を出して、追っ手が来ていないことを確認してから戸を閉めた。
「まぁ、落ち着くまでゆっくりしていくと良、…だ、大丈夫かい!?血塗れじゃないか!」
「はぁ…。」
今ごろ俺の身形を見たらしく、男は目を見開いて声をあげた。
厄介事はきっと御免だろう。
この瞬間だけやり過ごせたら、俺は静かに立ち去るつもりでいた。
ところが、男が続けた言葉は意外なものだった。
「さぁさぁ、上がって上がって!可哀想にねぇ、すぐ手当てしてあげるよ。」
「あ、いや、俺は…。」
断ろうとする俺の言葉を遮り、男は再び手を引き、家の中への招き入れる。
「遠慮することはないさ。困ってるならお互い様だ。まぁ、娘がいればもっと手際が良いんだが…、いやぁ、あれは家内に似たんだろうなぁ。真面目で優しくて愛嬌もあって一生懸命で、私には勿体ないくらい出来た娘でね。」
突然の娘自慢に面食らったが、あまりにも幸せそうな顔をするものだから、仲の良い親子であるのは間違いなかった。
俺は少し悩んだ後、手当ての申し出を受けることにした。
「では、その娘さんと奥方が戻る前には立ち去りますので…。俺みたいなのがいたら驚かせてしまいますから。」
「あぁ、いや、ゆっくりしていくと良いよ。娘は出掛けたばかりだし、家内はもう他界しているんだ。」
「! それは…、」
「だからまぁ…、一人で退屈してたオジサンの相手してくれると助かるよ。外は暫く"賑やかそう"だからさ。」
「………感謝します。」
攘夷浪士相手に遅れを取るわけにはいかなかった。
それは真選組の存在意義を揺るがしかねない。
俺は大人しく手当てを受け、浪士共がこの辺りから去るのを待つことにした。
それが今の俺の最善手だとは…。

「情けねェ…。」
「そんな事ないよ。こういうのは運もあるからね。ハイ、また私の勝ち。」
「いや、別にUNOの話じゃねーです。」
二人しか居ないのにUNOとは…、何だこの状況は。
(浪士共から逃げ隠れてカードゲームで遊んでるなんざ切腹確定だぞ…。)
とはいえ、俺はこの人に恩がある以上、この誘いは無下に出来なかった。
「じゃあトランプに変える?ババ抜きとか七並べとか。」
「いや、別にカードゲームの種類の話じゃねーです。つーか、どっちも二人でやるやつじゃ無、」
「そう言われてもマリオカートはさすがに置いてなくてね。」
「よォォォし分かった。最初に二人でするのは言葉のキャッチボールにしましょうかァァァ??」

…今思い出しても変わった人だった。
そもそも真選組と関わりたくない一般市民も多く、且つ浪士と争って怪我まで負っていた。
そんな中、この人は笑顔で家に入れて、気付けば一緒に娯楽をさせられていた。
退屈してたなんて言っていたが、俺が手持ち無沙汰にならないよう、こうして気を使ってくれているのだろう。

「あ、ねぇ、名前聞いても良いかな?見たところ役職は隊長クラスだと思うけど。」
男は棚に手を伸ばしながら、声だけで俺に聞いた。
(本当にトランプを持って来ようとしてやがる…。)
俺は半ば呆れつつ、どこか愉快な気持ちにもなりながら答えた。
「申し遅れました。真選組"副長"、土方十四郎。残念ながら隊長の職には就いていません。」
「! もしかして、鬼!?」
「確かに"鬼の副長"とは呼ばれてますが、詳しいですね?」
「鬼、初めて見た…。」
「いや、鬼じゃねーです。人間です。鬼ってのは例えです、例え。」
「そっくりだ。」
「え?どっちに?俺が鬼に似てンの?それとも鬼なのに人間に似てるって言ってンの?」
「わぁ、光栄だなぁ…。君がそうか…。」
一人で目をキラキラさせて、男はそう呟きながら俺を見た。
何だか気恥ずかしくなって、俺は視線を下に落としながら聞いた。
「アンタは名前、」
「あ、土方君。トランプやめて鬼ごっこにしようか?」
「は?それは俺が鬼だから言ってンすか。」
聞こうと思ったものと違う答えが降ってきて軽く悪態をついて見せたところで、俺はいつの間にかこの人に心を開き始めてる事に気が付いた。
「残念だけど、鬼は私だよ。」
そう言って男は柔らかく笑うと、部屋から出てすぐに俺の靴を玄関から持ってきた。
「何で、靴、」
「今から一分後に始めるよ。この先の台所の奥の扉がスタート地点だからね。」
訳の分からないまま靴を押し付けられ、説明を何とか理解しようとするので精一杯だった。
「……君と話せて良かったよ。」
「何、」
トントントントン。
入り口の戸を叩く音が響いた。
足音、気配。
どうして今の今まで気付かなかったのか。
この家のすぐ目の前まで、浪士達が来てしまったようだ。
「はいはい。今出ます。」
男はそう大きく答え、一度俺に手を振ってから玄関へと向かってしまった。

突然の出来事に放心しそうになるのを堪え、俺は男を追おうとした。
あんな殺気だった浪士に、あんな呑気な男が会って無事でいられるだろうか。
恩を感じるなら助けに行かなければならないのではないか。
(…いや、あの人の遊びは終わってない。)
俺に鬼ごっこを持ち掛けて、靴を持たせた意味を考える。
指示された台所に着くと、奥に普段は使われていなさそうな扉を見付けることが出来た。
扉を開けると、やはりそれは隠し通路だった。
「鬼ごっこぐれェは、アンタに勝たないとな…。」
直接言われなくても分かる。
あの男は浪士の時間稼ぎをして、俺を逃がしてくれるのだ。
俺は一度振り返ったが、この場所から玄関が見えるわけもなく、ただその場で最敬礼をしてから隠し通路に入った。

薄暗いが真っ直ぐの隠し通路を出ると、男の家から少し離れた空き地に到着した。
「何者なんだ、本当に…。」
ぽつりと言葉を溢して、俺はすぐに屯所に戻った。

**********

土方さんは一度そこで話を止めた。
「その男の人って…。」
「そう、真弓の親父さんだ。…出会ったのはそこそこ前になるがな。」
「!」
父と土方さんは知り合いだった…!?
意外すぎる事実に驚きを隠せない。
「俺はその間お前には会ってないが、大体の事は聞かされてた。性格や好きなもの、煙草が苦手だって事もな。…アルバムは何度も見せられてなァ、本当に親馬鹿だったよ。」
友人の事を話すように土方さんは父の事を語る。
いや、そうなんだ。
きっと父と土方さんは、友人だったんだ。
「じゃあ…、私が初めて屯所に立ち入った時、土方さんは私の事を、有村の娘だと知っていたんですね…?」
「あぁ。」
「何で、黙ってたんですか?教えてくれれば、私…っ!」
私は、土方さんを憎んだり、土方さんの事で悩んで苦しんだりしなくて済んだのに。
「…約束したんだ。俺が勝手に。」
ぽつりと土方さんが溢した言葉は、私にというより自分自身に再確認するかのような言葉だった。
その様子をじっと見つめていた私の視線に気付いた土方さんは、私を見つめ返した。
その眼差しは、まるで父のそれとよく似ていて。
「…一度、会って話してみたいと思ってた。真弓に。」
「!」
その言葉と、表情に、私の心臓が跳ねて頬が熱くなるのが分かった。
(あぁもう悔しいなぁ。)
結局私はどうしても土方さんの事、好きなんだって思い知らされて。
「会って、…がっかりしませんでした?あの時の私、斡旋所の女として土方さんに初めて会いましたし…。」
恐る恐る聞いてみると、土方さんは一瞬目を丸くした後、少し困ったような顔をした。
「驚きはしたけどな。…その仕事の前にキャバクラに居たのも知ってるし、あの日、現場にいたのも知ってた。…いや、それ以前に何回も町ですれ違ってたりすンだけどな。」
「そ、そんな前から!?…全く知りませんでした。」
「だから、」
土方さんの声が低くて真剣なものに変わる。
「すぐに助けてやれなくて、すまなかった。」
「……っ。」
真摯に頭を下げて、土方さんは私に謝った。
胸が締め付けられるみたいだ。
私が悩んで苦しんでいたように、土方さんもそう過ごしてきたのかもしれない。
私は泣きそうになるのを堪えながら言った。
「頭を上げてください。…土方さん、話の続きを聞かせてくれますか?」


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