#3.こんな時、銀さんだったら
 
私が抵抗しない事を理解したのか、漸く後ろ手に回されていた腕が解放される。
「…泣いているのか?」
そう問われ、今度は男に肩を掴まれて、くるりと私の体を向き合うように反転させられた。
肩に触れたその両手が別の人物かと思うほど優しくて、私は戸惑いの余り振り払うことをしなかった。
そして、振り返らされた先にいたのは。
「え…?」

見覚えがある。
真っ赤なチャイナ服に、長い黒髪。
でもそれは、私が助けた女性の特徴だ。

…というか、私が助けた女性だ、この人。

女性?
女性にしては声が低い、いや確かに声の低い女性もいるけれど。
逆に何故、今朝気付かなかったのかと思うくらい、目の前の女性は男性だった。
自分でも混乱のあまり何を考えているのか分からなくなってきた…。
助けた女性は男性で、目の前にいる男性は助けた女性で???

「お、おかま…??」
「オカマじゃない、桂だ。」
ぴしゃりと言い放たれたけれど、え?
桂って何だろう…?
オカマじゃなくて桂って性別の話?
…あ、名前か…!
何で急に名乗ったのかは分からないけれど。

「ここはどこだ、お前は誰だ、俺はどうなっている?」
「え、え、えっと…。」
矢継ぎ早に質問されて、私は混乱から抜けられない。
「こ、ここは私の家で、私は有村真弓で、…えぇと、桂さん?が倒れていたのを見付けて連れてきました。あ、あの、怪我…大丈夫ですか…?」
「! それは…無礼なことをしてしまった。」
私の話を聞いて、桂さん(否定されなかったから多分名前で合ってるらしい)は状況が理解できたのか、私に頭を下げた。
何だか不思議なところがたくさんある人だけど、話し合いは可能みたいで安心した。
私は改めて、桂さんに声をかけた。
「あんな路地裏で倒れているからビックリしました。…とりあえず意識が戻って良かったです!でも、病院には行った方が良いですよ。」
素人である私が出来る治療なんて、たかが知れている。
斬られた傷の止血は出来ても、それが適切な処置なのか、内臓は無事なのか、それは私に分かるはずがない。
「いや、病院には行けない身でな。」
「ダメですよ!普通の傷じゃないんだから、なおさらです!……あの、…事件に巻き込まれたんじゃないですか?もしそうなら、警察に言った方が良いですよ。」
「それには及ばん。何故ならこの傷は警察からもらったものでな。」
「ほら!やっぱり事件に巻き込まれて、」

………はい?

警察からもらった?
え、警察に斬られたって言ってるの?
という事は、この人は犯罪者?悪い人??
私もしかして、とんでもない人を連れてきちゃったんじゃ…。

桂さんの言葉をゆっくり理解すると同時に、血の気が引くのが分かった。
犯罪者だから病院に行けないという理屈は理解できる。
でも、それにしたって"警察に斬られる"なんて一体どんな悪いことをしたらそうなるんだろう。
いくら江戸の警察が荒っぽいと言っても、仮に桂さんが辻斬りの犯人だったとしても、そんなに簡単に人を斬るものだろうか。
つまり…、私が思い付く犯罪の何よりも悪いことをしてる人だってことになるんじゃ…。
(は、早く、警察に通報しなきゃ…。)
そろりと携帯に指を伸ばす。
私が動いたのに気付いて、桂さんは私の目を見た。
「真弓殿。」
「ヒッ!な、何ですか…?」
どうしよう、バレた?
桂さんが何の犯罪者なのかは分からないけれど、快楽殺人鬼って可能性だってゼロじゃない。
私みたいなのを殺すのなんて躊躇わないかもしれない。
ああ、もしかしたら猟奇的性犯罪者かもしれないし、下手したら私、死んでも死体を見つけてもらえないかもしれない。
考え出したら震えてきて、私は恐る恐る桂さんの目を盗み見た。

「助けてくれて、ありがとう。君は命の恩人だ。」
「…っ!」

優しくそうやって笑う桂さんは、とても犯罪者だなんて思えなくて。
単純にも、その笑顔に安心した私の体の震えは一瞬で消え去った。
(もう少し、話してみよう。)
携帯を置き、私は警察に通報するのは止めることにした。
そして、桂さんは一度しっかり私の顔を見てから、また頭を下げた。
きっと事情を話してくれるのだ、と私は思ったけれど。
「では、俺はこれで。」
「えっ?」
そのまま玄関から出て行こうとする桂さんに、私は思わず駆け寄った。
「そ、そんな体で出て行くつもりですか?」
服の上から確認できるだけでも、たくさん斬られた傷がある。
腕や足も腫れてるところがいくつかあった。
もしかしたら骨折してる可能性だってある。
そんな状態なのに、病院には行けなくて、まだ警察から追われてるかもしれないんだ。
あまりにも無茶だ。

この人は、桂さんは悪いことをした人かもしれない。
でも、このままだと死んでしまうかもしれない。
それは、嫌だ。
(何か…私が出来ることは無いの…??)
…こんな時、銀さんだったらどうするんだろう。
そう考えかけてやめた。
今、銀さんのことを考えたら、きっと私はまた泣いてしまう。

「すまない。世話になったこの恩はいつか、」
「どうでも良いです、そんなこと!それよりも、自分の体、もっと大切にしてください…!」
結局何も思い付かなかった私は、思っていたことをそのまま言った。
桂さんは驚いたように目を丸くしていたけど、どうやら足を止めることには成功したようだ。
「…なるほど、俺はどうやら女神に助けられたらしい。」
玄関で足を止めた桂さんは、そんなお世辞を困ったように笑いながら言った。
その時、カチリと、私の中で何かがリンクする。
(この人、すごく傷付いてる…。体だけじゃない。きっと、たくさんの辛いことや悲しいことを抱え込んでる。)
根拠は無いのに、そう感じた。
心が傷付いたら涙が出るみたいに、体が傷付いているのに心が無事なわけがない。
それは、さっき銀さんと彼女を見て、自暴自棄になりかけた私には痛いくらい感じ取れた。
直感だった。
私はこの人を今、一人にしてはいけないと思った。
…今となっては、私が一人でいると思い出したくないことを思い出すのを回避したかっただけなのかもしれなかったけれど。
少なくとも私自身が"桂さんは大丈夫だ"と思えるまでは一人にするわけにはいかない。

「病院に行くって約束してくれないなら、帰すわけにはいきません…。」
「……。」
「私はあなたのこと何も知らないけど、…力になれることがあるはずです。だから、」
「何故、俺にそこまで構う?真弓殿には何の利益も無いだろう。むしろ、俺を匿ったとなると共犯扱いにされても言い逃れは出来んぞ。」
「私だって…元からこんなことする性格じゃないです…。でも、…でも、あの人なら、きっとそうすると思うから。」

言いながら、また涙が溢れてきた。
結局、私の心に銀さんの存在は消えないままだ。
だから思う、銀さんならきっと桂さんを助けると。
銀さんは優しいから、こんな酷い怪我を負った人を絶対に放っておかない。
例え、相手が悪人であろうが、善人であろうが放っておかない。
(あぁ、こんなのはじめてだ…。)
いつも頭の中で思い出す銀さんは格好良くてキラキラしてて素敵なのに。
どうしてか今は、刷りガラス越しに見ているみたいにぼやけてよく思い出せない。
「…優しいな。」
桂さんはぽつりと呟くとすぐ私の隣まで戻ってきた。
「自分の方が傷だらけじゃないか。外側は病院で治せるだろうが、内側はそうはいかん。そんな状態で他人の心配とはな。」
言いながら桂さんは傅いて、まるでキザな王子様のように私の手を取った。
「真弓殿が拾った命だ。好きにして構わん。従おう。」
「! やめてくださいよ。私は優しくもないし、桂さんの命を好きにして良いなんて思ってないです。」
慌てて頭を左右に振ると、桂さんの想定内だったのか悪戯っぽい笑みが返ってきた。
私も桂さんに目線を合わせるように、その場に座る。
「…手当てします。包帯とか消毒液とか買ってきたので、最低限ですけど。」
「それは助かる。」
桂さんは私の手から指を離し、そのまま服を脱ぎ始めた。
「!? きゃあぁ!!、むごっ…!!」
「騒ぐと人が来るだろう。…匿ってくれるのではなかったのか?」
「んーんー!!」
悲鳴をあげそうになった口を、桂さんの大きな手に塞がれる。
確かに手当てするとは言ったけど、いきなり脱がれるとは思わなかった。
いや、手当てするのだから最終的には脱いでもらわないといけないのだけど…、心の準備が…!
赤いチャイナ服は肩から脱いで、桂さんの腰骨で止まっている。
女性に見間違ったほど綺麗な桂さんの体には程よく筋肉が付いていて、確かに男性のものだった。
(って、何冷静に観察してるの私!!)
じたばたともがく私を怪訝そうに見ながら桂さんが言った。
「突然どうしたんだ。顔が真っ赤だぞ?」
「っ!ま、真っ赤なのは桂さんのチャイナ服でしょう!?というか、何でチャイナ服なんて着てたんですか!?」
動揺を隠すように口元にある桂さんの指の隙間から声を張りつつ、私は桂さんから目を逸らした。
「あぁ…これは、かまっ娘倶楽部の衣装だ。」
(かまっ娘?え、おかま?やっぱり桂さんってオカマなの?)
「助っ人に呼ばれたんだが、店からの買い出し途中で真選組に見つかってしまってな。刀は店に置いたままで逃げることしか出来なかった。」
真選組。
武装警察ということで、今の時代でも刀を持ち歩くことが許されてる人達だ。
「だから別に普段からチャイナ服を着ているわけでも、オカマな訳でもなく、…真弓殿?」
真選組が刀を向けるなんて、桂さんは一体何者なんだろう。
私の呼吸が落ち着いたのを理解して、桂さんの手が私の口から外された。

聞かされてから改めて上半身を見ると、痛々しいほどに刀傷だらけだった。
浅いものから、生乾きの大きなカサブタになってる深いものまで。
答えてくれるかは分からないけれど、私は聞かずにはいられなかった。
「桂さん…。何で真選組に追われてるんですか…?こんなことされるような悪いことしたんですか…?」
痛々しい血の滲む傷を見て、まるで今の私の心を表したみたいだ、なんて思う。
桂さんは一度口を開くも言葉を飲み込み、別の言葉を探すように答えてくれた。
「悪いかどうか、と聞かれると答えが無いな。俺は良いことをしているつもりも無いし、悪いことをしているつもりも無い。俺にとっては、俺が俺で在るために必要なことをしているだけだ。」
「…具体的には?」
「国を相手に喧嘩をしている。」
「それって…、攘夷志士ってことですか…?」
否定しない桂さんの顔をまじまじと見る。
攘夷志士って、ガラが悪くて、何でも腕っぷしで片付ける人というイメージがあった。
桂さんみたいな綺麗な人と、そのイメージとが私の中で合致しない。
「…怖くなったか?」
「…。いいえ、実感湧かないから逆に驚きが勝ってます。」
「ふっ、それは良かった。」
そんな私がひとつ理解出来たのは、昨日今日の辻斬り犯は、やっぱり桂さんではないということ。
無差別に弱者を狙って金品や命を奪う。
…桂さんは、そんなことしない。
ただ、彼が真選組レベルの警察に追われるほどの罪を持っていることには変わりないけれど。
出会ってまだ数時間の他人を信用しすぎるのは良くないけれど、私は桂さんを助けたいと、そう思うのだった。

お湯で濡らしたタオルで体を拭いてあげて、傷口には軟膏を塗って包帯を巻いていく。
「怪我…、本当に大丈夫ですか?ごめんなさい、私に医学の知識があれば良かったんですけど…。」
「問題ない。自分の怪我は自分が一番分かっている。打撲と斬られ傷が大小あるのと、あとは左足の捻挫と左手の骨折ぐらいだ。着地に派手に失敗してな。」
「あぁ、それなら…、…………病院行きましょう桂さん。」
「だから問題ないと言っているだろう。よくある事だ。」
どんな生活をしたら、骨折や捻挫や斬られ傷が"よくある"なんて言えるんだろう。
「だって、そんな傷じゃこれから生活もままならないじゃないですか。」
「? 不思議な事を言う。当面、真弓殿が面倒を見てくれるのだろう?」
「……………え?」
「自分の体を大切にしろと言ったのは真弓殿だろう?俺はここを追い出されたところで病院には行かんぞ。…それに、実は仲間とはぐれてしまってな。本来は合流する為に休んでいる場合では無いのだ。」
思考が追い付かない私に、桂さんは続けて言った。
「しかし、確かにこの手負いでは合流も、追っ手から逃げるのも難しいのが現実だ。ならば、真弓殿のところで少しでも傷を癒すべきではないか、と至ったわけだ。」
あ、あれ?そうなる…の??
桂さんを助けたいとは思ったけど、そうなるんだっけ??

「そんなわけで、暫く世話になるぞ。自己紹介が遅れたが桂小太郎だ。よろしく頼む、我が女神殿?」
ニコリというよりニヤリに近い笑い方をした桂さんをぽかんと見つめる。
今朝から脳が追い付かないほどの出来事に頭痛を感じつつ、私は桂さんに引きつった笑顔を返すのが精一杯だった。


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