#25.悲しくて惨めで救いようのない結末
 
土方さんの部屋の襖に手を掛けたものの、足が動かない。
(あの日も、ここで立ち止まって動けなくなったんだっけ…。)
襖越しでも分かる煙草の匂い。
あの日と違うのは、隙間から明かりが漏れていて、中に誰がいるのか分かっていること。

私は一度、襖から手を離し、総悟さんが貸してくれた刀を胸の前で抱き締め直す。
相変わらず、重い。
それでもきっと、ずっとずっと人の命の方が重いのだ。
(どうして。)
総悟さんは侍の魂である刀を、私なんかに貸したんだろう。
彼が示さなかった"私が刀を持ち逃げする"って考えは無かったんだろうか。
そもそも、土方さんの命を狙ってる私をどうして止めないんだろう。
(…私、助けを求めてるのかな?私が土方さんを殺す前に総悟さんに手段を選ばず確実に止めて欲しいのかも。)
心の中で土方さんに助けを求めたことは何回もあった。
なのに、ここに来て総悟さんに助けを求めることになるなんて、皮肉だ。
そんなことをグズグズ考えて動けなかった私を助けたのは、

…やっぱり、あなたでしたね。

「……そこで何をしている。…中に入れ。」
「…!」
耳慣れた声。
物音は立てていなかったのに、お見通しなんだ。
私はゆっくりと襖を開き、煙草の匂いがする部屋の中へと踏み入った。


土方さんは私に背を向けたまま書類作業を続けている。
あれから休憩を挟まなかったのかな…?
私が土方さんの体を案じるなんて可笑しな話だ。
…今から、仇討ちをするというのに。
土方さんは部屋の外にいるのが私だと気付いていたんだろうか?
一度もこちらを振り向かない。
私にとってはあまりに好都合なのに、どこか、振り向いて私が刀を握っているのを見付けて欲しいとも思っている。
心臓が胸から突き破って飛び出るんじゃないかというくらい煩く暴れまわる。

…ここまで来た。
ここまで来てしまった。
やるしか、ない。

鍔と鞘の間に力を入れると、ギラリと光る刀身が見えた。
それを鞘から抜いて、そのまま床に置く。
両手で日本刀を握って構えると、改めて自分が震えているのが分かる。
何に震えているのかまでは、分からないけれど。
これから、人を殺すということが怖いのか。
こんなことをして私こそ殺されるだろう現実が怖いのか。

…土方さんを、裏切ることが怖いのか。

(裏切るも何も…私を騙していたのは土方さんじゃないか…。私の父を、無惨に殺した相手じゃないか…。)
目を瞑って素早く深呼吸をする。
嫌いだ。
大嫌いだ。
土方さんなんか、…嫌いだ。

いつまでも振り向かない土方さんの背後に付き、刀を振りかぶる。
力の無い私では、首を切断することも、心臓に到達するほどの傷も負わせられないのは分かってる。
だから、頸動脈。
血が止まらなければ死ぬ。
じわじわ苦しみながら死ぬだろうことを考えると、また躊躇ってしまうが、チャンスは今しかない。
思い出せ、総悟さんが言っていたことを。

『簡単に武器を手放すな。刺し違えるくらいの姿勢でいけ。思い出せ、どうして復讐したかったのか。』
『自分より格上の相手と戦うには頭を使え。生死が懸かってんだ、汚いも卑怯もねェや。』

もう私は、これ以上堕ちれないところまで堕ちてるじゃないか。
もう私は、迷っちゃいけないんだ!

「…ッごめんなさい!」
私は土方さんの首筋目掛けて刀を降り下ろす。
私にはまだ重い刀は重力も手伝って、真っ直ぐ土方さんの首に当たる。
目は開けられなかった。
代わりに、グッと刀が刺さった感覚が両手に伝わる。
刀をこのまま引けば、首筋がこの深さのまま斬れる。
のに。
どうしてだろう、震えが止まらなくて体に力が入らない。
あと少し、あと少しで、私は…!!

「…早くしねェと、反撃されるぞ。"有村"真弓。」

「!!」
呼ばれた名前にハッと目を開くと、土方さんの首筋と刀の間に分厚い帳簿が挟まれていて、私の刀は帳簿の表紙で受け止められていた。
(土方さん、私の名前…!?)

坂田じゃないことがバレていた?
いつから?総悟さんが洩らした?
どうして?ハメられた?

思考が完全に土方さんから消えた時、勝負は一瞬で決まった。
「…っう、…!」
状況は分からないが、気付いた時には世界が反転して、仰向けに倒された私の視界には土方さんと天井があった。
私は土方さんに馬乗りにされるように畳に縫い止められていた。
逆光だからだろうか、私を見下ろす目は光を宿さない。

終わった。
私が早い段階で辿り着いた結末のひとつだった。
"私は復讐を果たせないまま、殺される"
いつかのメモを見てから、それが一番現実的だと思っていた。
そして、私は知っている。
土方さんは鬼の副長だ。
真選組に刃を向けた私は敵だし、まだ副長秘書と呼んでくれるなら謀反だ、…切腹ものだ。
私は、土方さんに憎まれて、復讐も果たせずに、ここで死ぬ。
そんな悲しくて惨めで救いようのない結末。
土方さんに捕まれた手首が痛い。
その手はとても冷たくて、…初めて私は、この手が人を殺せる手なのだと理解した。

殺してやりたかった。
私の父を、日常を奪った人を。
殺してやりたかった。
それが私の全てになっていた。
殺してやりたかった。
例えそれが、土方さんだったとしても。

でも。

「………った、」
「何だ?…"助けてくれ"、か?」
土方さんの声は、いつもみたいに温かくはない。
見下して嘲笑するような声。
その声に心臓が張り裂けそうになる。
でも、それでも。
「(…よかった。……土方さん、死ななくてっ…、よかっ、)」
言いながら声が震えているのに気が付いた。
音になっていたかすら危ういこの言葉が土方さんに聞こえたかどうかは分からない。
視界が一気にぼやけて目の前の土方さんの顔がよく見えなくなる。
総悟さんには中途半端だと言われ、自分でも迷ってるんだと思ってた。
けれど私は随分と、…随分と前から土方さんに復讐なんて出来なかったんだ。
最悪の結末を迎えたのに、私は心から安堵している。
土方さんが無事で、本当に嬉しいんだ。
いろんな感情がぐちゃぐちゃで、私は本当の気持ちが分からなかったけれど。
ひとつだけ、確実に分かった。

私は、土方さんに生きていて欲しい。
…例え、その為に私が土方さんに斬られてしまっても。

土方さんは私を押し倒したまま、じっと私を見下ろし続けている。
私が言葉を紡ぐのを待っているのかもしれない。
確実に命を脅かされたのだから、とっとと私を斬り捨てれば良いのに、そうしない。
私の命乞いか、言い訳か、そんなつまらないものを待ってくれている。
そんな優しさが、今の私には苦くてたまらなく切ない。

「ひじかた、さん…。」
私は名前を呼ぶのが精一杯で。
それを土方さんも悟ったのか、私の手を離れて帳簿に刺さったままの刀を見た。
「……菊一文字。総悟か。」
小さくそう呟いたのを聞いた私は慌てて土方さんに声を掛ける。
「ちが…ッ!違います!」
土方さんが、今回の事は総悟さんの計画だと勘違いしてはまずい。
私の復讐は私のものであるべきなんだから。
「総悟さんは関係無いです…!」
「総悟、さん…?」
「!!」
「お前ら、会ったのは昨日今日じゃねェな。…いつから繋がっていた?」
しまった、と思った時には遅かった。
これでは私が副長秘書になる前に接触したことがバレバレだ。
「そ、その刀は…、盗んできて…、」
「あの総悟からか?それは手並みを拝見したいもんだな。どんな魔法を使ったらそうなるのか。」
ふいに思い出す。
前に総悟さんから、どんな魔法を使って土方さんを落としたのか、と聞かれたことを。
…必要ないよ、そんなもの。
土方さんは最初から優しかった。
魔法なんて使わなくても、優しかった。
(そんな土方さんに刃を向けた…。私を心配してくれて副長秘書にして守ってくれていた土方さんを、私はきっと傷付けた。)
かき集めたはずの殺意は薄れて、懺悔の気持ちでいっぱいになる。
「………。」
「否定も抵抗も無しかよ。…俺にこんな事して、タダで済むとは思っちゃいねェよな?」
「!」
言われて反射的に身を捩ったが、土方さんの拘束から逃れることは出来なかった。
総悟さんから借りた刀は随分と遠くに転がり、手は届かなそうだ。
(もう、ここまでだな。…私は、私に出来る全てをやった。)

私は抗うために全身に籠めていた力を抜いて、冷たい目で私を見ている土方さんの瞳を見つめ返した。
「…私が"有村"だと、いつ総悟さんから聞いたんですか?」
「聞いてない。」
「え?」
「……よく俺に辿り着いた。遠回りした癖に、想定より早かったな。」
土方さんは、いつ、と答えてはくれなかった。
けれど、私が総悟さんに話すよりも前に、私の正体を知っていたみたいだった。
「今まで二回チャンスをやった。…知りたいことがあったんじゃねェかと思ってな。その様子じゃ、もう知ったようだが。」
そう言って、土方さんはうっすら笑った。

私の知りたかったこと。
"誰が私の父を殺したのか?"
私が知ってしまったこと。
その答えは"土方さん"だと。

「私の父を殺したのは…、"有村邸事件"と呼ばれるあの惨劇は…、全部土方さんが?」
自分でも恐ろしいことを言葉にしている自覚がある。
そしてきっと、私は往生際が悪い。
否定してほしい。
土方さん本人から"俺は関係ない"と言ってほしい。
「…驚いたな。指揮をしていたのが俺だから襲ってきたのかと思っていたが、俺がお前の父親を殺したと確信して?」
「………。」
早く否定して。
"そんな訳無いだろう。総悟にからかわれてるぞ。"
それを言ってもらえたら、どんなに。
私はそれ以上を望まないから、だから。
「ああ、なるほどな。それも総悟か。」
土方さんはそれだけ言って、押し黙る。
沈黙。
夜風が通り抜けて、微かに襖を揺らした。
そして私は、ずっとずっと追いかけてきた真実に辿り着く。

「違いねェ。お前の父親の首を斬ったのは、俺だ。」

「!!」
否定、されなかった。
土方さんが父を殺したことを認めてしまった。
「……、…っ」
呼吸がうまく出来ない。
叫びたいのに声にならない。
また涙が溢れる。
土方さんが無事で泣いた涙と、父が土方さんに殺されたショックで流れる涙は矛盾しているようで、そうじゃない。

土方さんには味方でいて欲しかった。

「もういい、…殺してください。」
「…。」
私の言葉を聞いて、土方さんは漸く私を解放してゆっくりと立ち上がった。
私はそのまま目を閉じる。

私が最後に見たのは、総悟さんの刀を拾って私に向き直る土方さんの姿だった。


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